アテネ五輪への熱き思い…小柴健二(全日本社会人選手権より)

 この春、フリースタイル76kg級の小柴健二の履歴書はまた一行増えた。

 日体大4年(1993年)で全日本選手権を制し、卒業したのち新日本プロレスに就職する。現在、「PRIDE」などの総合格闘技やプロレスで活躍する藤田和之(日大卒)らとともに「闘魂クラブ」でアトランタ五輪を目指した。

 同五輪を逃した2年後、広島県の民間企業に転職する。その翌年には静岡の沼津学園で非常勤講師となる。当時高校生で、現在フリー54kg級の成長株、松永共広(日体大)も指導している。その年の春に自衛隊へ転職。シドニー五輪を目指した。そして今年4月。佐賀県・鹿島実業高校の教員としての生活が始まった。

 「忙しいですよ。初年度ですから研修もたくさんあります。すっかりやせちゃいました」

 シドニー五輪を目指してフリースタイル76kg級で活躍していた小柴のコンディション作りは見事だった。スポーツ科学に興味があったこともあり、レスリング選手としての筋力を重視し、理路整然と食事やトレーニングを調整していた。

 そのため、日本人選手の中では抜群に均整の取れた身体だった。しかし、国際大会へ出場しても、外国選手にひけを取らなかった小柴の身体が、わずか3か月で並みの日本人選手と変わらないほど細くなっていた。

 シドニー五輪が終了して、小柴と同期の選手は次々と第一線を退く意思を明らかにしている。アトランタとシドニー両五輪に出場した和田貴広(フリー69kg級)は4月から協会強化部の専任コーチとなり、同じく2度の五輪に出場し日体大から自衛隊で同僚でもあった片山貴光(グレコ76kg級)は、自衛官としてのキャリアを積む生活に入っている。アトランタ五輪代表だった嘉戸洋(グレコ54kg級)はシドニー五輪予選を待たずに指導者への道にまわった。

 しかし、小柴は昨年末の全日本選手権、今年の明治乳業杯全日本選抜にも出場し、世界と闘う場所から退かないつもりだ。小幡邦彦(山梨学院大)に節目で敗れ、日本代表からも1年以上遠ざかっているが、あきらめてはいない。「まだ勝てると思う」と試合に出続けている。しかし今年も世界選手権の代表選考会で2位に終わり、代表の座を逃した。

 その2週間後の全日本社会人選手権でも、再びマットに立つ小柴がいた。決勝こそ、バッティングで鼻を強打して鼻血が止まらずに苦戦したが、予想通りの優勝だった。

 教員生活に没頭するのなら、1か月の間に2度も試合に出場しはしないだろう。しかし、無理を押して上京して試合をしている。小柴がそこまで現役選手にこだわるのは、やはり五輪出場を2度、目の前で逃した経験のためだろうか。

 「わかりません。ひとつひとつ、目の前の試合を勝つつもりです。できるところまでやりますよ」

 2004年のアテネ五輪出場を考えているのかという問いには、あいまいな答えしか返ってこなかった。

 日本の現役選手の中でも小柴の研究熱心さは目を引く。外国選手の動向にも詳しく、分析力も高い。その力を、まだ選手として使い切りたいと考えているらしい。3度目の正直は訪れるのか。答えは、3年後に出る。

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