【特集】「オリンピックがはっきり見えてきました」…浜口京子インタビュー



 11月2〜3日、ギリシア・ハルキダで行われた世界女子選手権で3年ぶり4度目の優勝を遂げた浜口京子(浜口ジム)。ことしはアジア大会(11月2〜8日、韓国・釜山)、ワールドカップ(10月19〜20日、エジプト・カイロ)に続く3個目の金メダル獲得。ワールドカップが始まったのは昨年からだが、女子初の三冠王(世界選手権、ワールドカップ、大陸選手権)に輝いた。

 世界選手権を終えて約1週間たった浜口に聞いた。(聞き手・宮崎俊哉)



Q:
世界選手権の優勝おめでとうございます。

浜口:
ありがとうございます。皆さんのおかげです。

Q:ギリシアのハルキダで金メダルを獲得してから1週間以上、今のお気持ちは?

浜口:まだ興奮しています。気合が入ったままというか、まだ試合が続いているような気がします。

Q:アジア大会からワールドカップ、世界選手権と続き、かなりハードスケジュールでしたが。

浜口:
ハッキリ言うと、今年は春からアジア大会のことしか考えていませんでした。日本中が注目する大きな大会でしたから。女子レスリングが初めて採用されたアジア大会に、日本女子レスリングを代表して出場させていただいた者として、必ず優勝しなけれがならないと思っていました。

Q:子レスリング3選手の中で最後の出場となりましたが、調整の難しさとかありましたか。

浜口:早く試合がしたかった。モチベーションを保つのが大変でいしたが、今思えばいい勉強をさせていただいたと思います。

Q:帰国して、すぐエジプトでのワールドカップ。体調を崩されていたようですが。

浜口:
戻ってきた5日目に出発でしたからね。荷物をほどいて、また荷造りしただけ。体調を整えている時間はありませんでした。それでも、アジア大会のときの緊張はふっきれて、考えも整理できて自分の動きがほぼ完ぺきに近い状態でできたと思います。

Q:
カナダの選手に判定で敗れた、あの試合は?

浜口:
試合が続いて、気合が入る前にマットに上がってしまって。何かスーッと、何気なく試合に入ってしまいました。あれは反省しなければいけませんね。

Q:それでも、すぐ立て直せたようですね。

浜口:あってはいけないことですが、ああいうことは大会に1つや2つはありますから。穴というか。それが大事な試合でなければいいので、すぐに気持ちは切り換えられました。

Q:
大会で鼻の骨を折られたとか。

浜口:はい。下痢も続いていて、帰国したその足で病院へ点滴を受けにいったんです。点滴なんて初めての経験です。そのとき、試合でぶつけた鼻も気になっていたので、レントゲンを撮ってもらったんですが・・・。

Q:そうしたら折れていると。

浜口:
ええ。ヒビぐらいかなと思っていたので、とてもショックでした。帰宅して、母に「世界選手権を辞退しなければならないかも」と話したぐらいですから。

Q:それでも、すぐに世界選手権に向けて練習を再開した?

浜口:
はい。自分が今までやってきたことを考えてたら、休んではいられないと思って。父も心配しながらも心を鬼にして、厳しく指導してくれましたから。

Q:骨折した鼻は痛くなかったですか。

浜口:鼻をかむだけでも痛かったですけど、そんなことは言ってられませんから。自分でヒザのサポーターを切って鼻に当てて、少しでも当たったときのショックがないようにして練習しました。今考えれば、あの状態でよくあそこまでやったと思えるほど、たくさん練習しました。

Q:
世界選手権本番ではプロテクターはしていませんでしたが。

浜口:中島先生(耕平、国立科学スポーツセンター)に相談して、プロテクターをすることにしていたんです。荒居先生(聖子、世界選手権日本チームドクター)が用意してきてくれて。でも、プロテクターをつければ安心できるけど、それを言い訳にはしたくなかったし、狙われるのもいやだったのでつけませんでした。チーム全員、みんなが集まっている前で言ったんです。「なるべくなら、自然体で戦いたい」と。そうしたら、福田理事長(全日本女子連盟理事長)理事長が鼻を骨折しても戦った選手のことなど、いろいろ話してくれて。

Q:それで、ノーガードでいこうと。

浜口:はい。でも、荒居先生はとっても心配してくれて。いつでもプロテクターができるように、最悪の事態を想定して用意してくれていました。

Q:初戦、いきなりロシアのマルチネンコ選手との対戦となりましたが。

浜口:彼女にはワールドカップでも勝っていましたが、接戦だったので、今回も接戦覚悟。もつれるつもりで臨みました。最終的に自分の手が上がっていればいいと。それがよかったと思います。

Q:予選2試合目、スペインのウンダ選手には順当に勝ちましたが、先制の1ポイント取られましたね。

浜口:ええ。がぶったときに自分の左足が残っていて、それを(相手の右手で)すくわれました。反省しています。

Q:決勝トーナメント1回戦でブルガリアのイワノバにテクニカル・フォール勝ちをおさめ、いよいよ昨年準決勝で敗れた世界チャンピオン、ポーランドのビトコオスカ戦。事実上の決勝戦と見られていましたが。

浜口:試合前、金浜コーチ(良、ジャパンビバレッジ)から「京子、お前に負ける要素はない。負けるとしたら、オマエのミスだけ。スパーリングのつもりでいけ。京子がまな板の上のビトコウスカをどう料理するかだけだ」と言ってくれて、自分でもそうだと思いました。

Q:ナイス・アドバイスですね。

浜口:
コーチがいつも最高のタイミングで、ズバリ的確なことを言ってくれているので助かります。

Q:
鈴木監督(光、ジャパンビバレッジ)は、「今日は何て言って京子を笑わそうか。アイツは気合が入り過ぎて気負いになっちゃうから、笑わしてリラクッスさせるのが自分の役目ですから」と言っていましたけど。

浜口:ハハ。監督にも本当に感謝しています。おかしくて仕方ないんですが、試合前に歯を見せて笑えないじゃないですか。

Q:それはそうですよね。最大の難敵に4−0と完封。冷静でしたね。

浜口:相手の動きがよく見えていました。癖もよく見えたし、タックルも完全に切れていたし。。マットに上がっても冷静で、全てがよく見える。自分の得点も相手の得点も常にわかっていますし、残り時間も頭に入っている。それが、自分が一番進歩した点だと思います。

Q:
負けるスキがないというか、安定していて。アジア大会でもそれが感じられましたが、それがさらに増したような気がしましたが。

浜口:そう言っていただけれると、とても嬉しいです。

Q:
そして、いよいよ決勝戦。相手は中国の新鋭、ワン・シュ選手。

浜口:世界学生選手権(6月、カナダ)で活躍したと聞いていたので、もっと強いかと思ったんですが・・・。組んでみてら、絶対勝てると思いました。でも、それならクリンチなんかにならないで勝てよって、ね。

Q:クリンチのときも落ちついていましたね。

浜口:去年の準決勝、3位決定戦とクリンチで敗れているので、道場の男子選手相手にとにかくクリンチの練習をしてきました。自分が有利な態勢、不利な態勢。背の高い選手、低い選手。どんなパターンにも対応でき、絶対負けない自信がありましたから、あのときも勝てると思っていました。そうしたら相手から動いてきたので。

Q:やっぱり冷静でしたね。

浜口:はい。体をそらして投げようとしてきたので、そのまま一気にさば折りのような形になって。

Q:
最後に1ポイント取られたのは、無理せずに?

浜口:気がゆるんだというか・・・。よくないですけど、5点リードしていたのはわかっていたので、4点やっても勝てるんだ、と割りきっていました。

Q:スタンドの弟さんから「普段通りやれ! 攻めまくれ!」という声が飛んでいましたが。

浜口:
聞こえていました。父も「リズム! リズム!」と声をかけてくれていたし、応援団長の吉野さんもずっと太鼓をたたいてくれて。とっても力になりました。

Q:弟さんが海外での試合に応援に来たのは初めだと思いますが。

浜口:はい。自分が命がけでやっているとこを見せることができてよかった。自分のことをわかってもらえたと思います。あの子も23年間生きてきて、姉の私が世界チャンピオンに返り咲けたことが一番うれしいできごとだと言ってくれました。弟も協力してくれて、家族全員でつかんだ金メダルだと思います。

Q:ワールドカップも団体優勝だけでなく、72kg級トップの成績でしたらから(注・1敗しているが勝ち点の関係で個人優勝)、これでアジア大会・ワールドカップ・世界選手権と三冠王ですね。

浜口:奇跡! 本当に奇跡としか言いようがないと思います。こんな短期間に3つも金メダルをいただけるなんて。これも全て、家族はもちろん、鈴木監督、杉山先生(三郎、中京女大部長)先生、栄コーチ(和人、中京女大監督)、金浜コーチ、大島先生(和子、東京・城西高教)先生、チームメイト、浜口道場の仲間、それから応援してくれたみなさんのおかげです。私一人の力では、とてもこの奇跡は起こせませんでした。

Q:世界選手権で優勝することは難しいが、連覇はさらに難しい。まして、チャンピオンに返り咲くことはさらに、さらに難しいと言われていますが・・・。浜口選手の場合、世界選手権3連覇のあと、2年間勝利の女神に見放され、今年3年ぶりの王座奪還。この3年間いかがだったでしょうか。

浜口:負けたときは、ドン底でしたね。何も考えられなくて。1年目も2年目も、3位決定戦で戦ったのは脱け殻みたいなもので。気持ちなんか全然入っていませんでした。帰国してからも、2カ月位はボーッとしていて。

Q:立ち直ったきっかけは?

浜口:きっかけですか・・・。特にきっかけというのはないですね。ただ、レスリングをずっとやってきて、ちょっと疲れてはいたけど、やめたいとか嫌いになったりはしなかった。それで、目の前に大会が近づいてきたとき、それに向かってなぜかまた一生懸命やり始めた。そうしているうちに、またやる気になって。でも、今年の場合は特に無心になれたのがよかったのかなぁと、いまつくづく思います。全てゼロからスタートした。目の前の大会はもちろん、合宿でも。全力をつくして、最後まで乗り切ろう。やり遂げようと。それだけやってきました。

Q:初心に戻った?

浜口:
そうですね。レスリングを始めた頃、初めて代表の合宿に入った頃、そして世界選手権で初めて優勝した頃。ただ一つだけ言えるのは、どんなに周りから何か言われても、父についていこうと思っていました。父のもとでやって、どんな結果がでようが、それが自分の人生だ。自分のスタイルを通そうと。

Q:
それを通して、今回結果を出すことができた。

浜口:はい。それが一番うれしいです。父の教えが間違っていなかった、そのことを自分で証明できたことが。

Q:アジア大会の後、父に恩返しができたと言っていましたが。

浜口:
本当に辛い思いをさせてしまいましたから。

Q:
アジア大会、ワールドカップ、世界選手権と、ドンドン自信が増しているように見えましたが。

浜口:試合前のアップ場で、自分には負けないものが1つだけあると思ったんです。それは自分が誰よりもレスリングが大好きだということ。誰よりも誠心誠意レスリングに打ち込んできたということ。自分は遊んだりせず、レスリングに命をかけてから、絶対に負けない。そう思ったら落ちついてきました。

Q:
これで、いよいよ2年後のアテネ・オリンピックです。

浜口:霧が晴れて、オリンピックがしっかり見えてきました。オリンピックに出たい、金メダルを獲りたいとハッキリ言えます。オリンピックに向けて、腹を決めました。

Q:
迷いが吹き飛んだようですね。

浜口:ハイ。ハルキダの海岸でみんなで遊んでいるとき、ハート型の石を見つけたんです。2つも。1つは、「どうか2004年アテネ・オリンピックで金メダルが獲れますように」と願いをかけて、海に投げたんです。

Q:
もう1つは?

浜口:それはナイショ、ヒミツです。それと、試合の翌日、アテネに連れていっていただいて、近代オリンピック発祥の競技場を1周走らせてもらいました。もう、うれしかったです。ギリシアと自分は相性バッチリ! ホントですよ。そう感じました。ギリシアの大地が私を応援してくれているって。

Q:それはいい体験ですね。

浜口:今、オリンピックという大きな目標に向かってチャンレンジできることにとても感謝しています。それも、父がやってきた格闘技で。レスリングがまた好きなりましたし、誇り持っています。

Q:
今日はありがとうございました。2年後、と言っても正確にはもう2年もありませんが、アテネでの活躍が楽しみになってきました。

浜口:私の中では、もうオリンピックは始まっています。皆さん、いつも応援してくださり、ありがとうございます。これからもがんばりますので、応援よろしくお願いいたします。




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