【特集】勝者が強者の世界で、王座をめざす笹本


 余裕があるからフォールしない。決勝戦の試合終了が近づいたとき、笹本はフォールを狙って不自然なバランスに陥ることなく、時計を見ながら無失点で大会を終えた。1回戦と準決勝の2試合は、ともに規定の6分をかけずに勝っている。決勝もフォールかテクニカルフォールで、と色気を出すのが自然ななりゆきだ。しかし、笹本は勝ち方よりも、ミスを出さないことを優先した。

 実は、決勝の第1ピリオドで小さなつまずきがあった。パッシブからパーテルポジションをとったのだが、ポイントを取れずに終わったときだ。得意のリフトとはいかなくても、ローリングで1点は取るだろうと予想した。しかし、無得点に終わる。

 3分2ピリオド、延長しても最大9分までのルールでは、先取点を獲得した選手の勝率が圧倒的に高い。国際戦であるほど先取点の重さが際だつことから、日本代表のキャリアを積みつつある笹本にとって、先取点のチャンスを逃したショックは焦りにつながった。だが、焦りをすぐに冷静さへと切り換えることができた。そして、無理なフォールよりも確実な判定勝ちを選ぶ結果へと向かう。

 シドニー五輪直前の代表決定戦を制して以降、笹本は日本代表に定着している。昨年の世界選手権(12月・ギリシャ)では日本男子最高の7位。シドニー五輪と同様、アトランタ・シドニー五輪両金メダルのアルメン・ナザリアン(ブルガリア)に上位への道を阻まれたが、いずれも内容は充実していた。今春のヨーロッパ遠征では、昨年のヨーロッパ王者を破るなどして3大会のうち2大会で優勝した。

 笹本は物心がついた頃から東京・木口道場で遊ぶようにレスリングを始めている。そのおかげで、ことし24歳ながら、すでにキャリアが20年を超えるベテランだ。4分の1混じるロシア人の血のおかげか、外国選手と比べても遜色がない体格も持つ。豊富な経験に、天賦の才能、さらに近頃は質もともなってきた。

 「小さなミスをなくせば、メダルに届くと思っています」。試合後に笹本の口から出たこの言葉の裏に、世界標準の試合運びを実践できるという自負が感じられる。チャンピオンを頂点として争うレスリングでは、強い選手が勝つのではない。勝った選手が強いのだ。レスリングの世界選手権には、男子の優勝者にだけチャンピオンベルトがある。9月の世界選手権(ロシア・モスクワ)では、ぜひベルトを狙ってほしい。(文・横森綾)



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