【特集】中学レスリング史に永久に刻まれる“沼尻直”




 1975年(昭和50年)にスタートした全国中学生選手権は、今回が第28回大会。四半世紀を超えて30回大会が見えてきた。この大会を首尾一貫して支えてきたのが茨城県協会会長であり、日本協会前副会長の沼尻直・全国中学生連盟会長。28年間を振り返り、「第1回は7チームしか集まらなかったんですよ」と感慨深げだ。

 大会開始のきっかけは、沼尻会長が交流のあったフィリピンのレスリング界から「世界少年(スクールボーイ)選手権がペルーで開催されるから、一緒に行かないか」という申し出があったことに始まる。曲がりなりにも「世界大会」だ。“予選”というものをやって派遣しようとなり、大会をスタートさせた。

 世界大会は、第2回大会がメキシコ、第3回大会がドミニカ、第4回大会が米国と続き、当時は自己負担30万円を越えたにもかかわらず、海外でファイトしたい中学生選手の憧れとなって全国中学生大会の規模が大きくなった。

 その後、世界カデット選手権派遣というご褒美に変わり、少年少女レスリングの発展とともにこの大会も急成長。最高で500選手近い出場数を集めることができた。しかし少年少女レスリングの選手数が頭打ちとなったこともあって、出場選手数は減少。ことしの場合、男子のエントリーは317。300の前半で横ばいとなっており、減少率は高校レスリング選手数のそれよりゆるいが、決して満足できる数字ではない。しかし4年前から女子を実施し、今回は56選手がエントリー。五輪種目となったことで増えることが予想され、再び500選手近い選手が集う大会に盛り上がる可能性は十分だ。

 選手数だけでなく、選手に「夢を与える」という目標もしっかり持たせてやりたい。世界少年選手権、世界カデット選手権と続いた優勝選手への“ご褒美”は、カデットの年齢区分が変わったことでJOC杯の優勝選手へ持っていかれてしまった。国際レスリング連盟(FILA)の方針で仕方ないことだが、沼尻会長にとっては不本意なこと。現在でも優勝選手には韓国遠征という“ご褒美”があるものの、「やはり大会出場でしょう」と言う。

 一昨年6月に、日本協会の専務理事を長く務めた塩手満夫氏の社葬でFILAのミラン・エルセガン会長が来日した際にも、14−15歳の年齢層の大会復活を訴えた(エルセガン会長の回答は「経済的な問題もあり、世界大会を開くことがすべてではない。低年齢層の選手は、国内や近隣諸国との交流で実力をつけてほしい」というものだった)。ひょんなことでかかわることになった中学レスリングの振興への気持ちは、生半可なものではない。

 少年少女の全国大会、高校生のインターハイは都道府県の持ち回りであり、中学レスリングの普及という観点で考えれば、全国の持ち回り開催を考えないこともなかった。しかし、「中学レスリングに"甲子園"があってもいい」として水戸市での開催を通した。ただし、約10年前にスタートさせた関東中学生選手権は、関東の各県の持ち回りとしている。それでも普及は思うように進まず、県中学校体育連盟に加盟している県はいまだ茨城県だけという現状。目標だった全国中学校体育連盟への加盟ははるかに遠く、この点は心残りのようだ。

 国際審判の権威でもあり、世界の審判員との交流は深い。1988年のソウル五輪でその役目は後人に譲った。「以後は中学レスリングの普及発展が生きがいでしたか?」という問いに、「国際審判をやっていた時から、全力を尽くしていましたよ」と返した。この大会を支えてきた自負は強い。

 来年3月には、日本協会理事の定年によって、本協会の運営からは勇退することになる。しかし、この大会ではまだまだその勇姿が見られそう。「いえ、引き際というのがありますよ。優秀な人材がそろっていますし、いつバトンタッチしてもいいだけの大会になっています」とは言うが、そうなっても、背後からしっかりとこの大会を支えていくことは間違いないだろう。時がたっても、中学レスリング界に刻まれた“沼尻直”という名が消えることはない。



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