【特集】リング、永田町に続く“戦場”にかける…馳浩監督




 戦う国会議員、馳浩(全日本プロレス)の "デビュー戦"はにがかった!?  5月21〜24日、東京・駒沢体育館で行われた東日本学生レスリング・リーグ戦で、昨年12月に母校・専大の監督に就任した馳が初出陣。一部Bグループの優勝も期待されたが、山梨学院大と日体大にともに3−4で敗れ5位に終わった。

 最終日に会場に姿を見せた馳監督は「優勝を狙っていたんだけどなあ…」と無念そう。だが、「いい戦力はそろっている。9月の全日本大学王座決定戦までに鍛え直し、次は優勝を狙う」と気合を入れている。

 ロサンゼルス五輪グレコローマン90kg級に出場したあとプロ入りした馳監督は、新日本プロレス時代にレスリングチーム「闘魂クラブ」を結成。石沢常光(早大OB)、中西学(専大OB)をスカウトし、中西をバルセロナ五輪へ送った。その後、永田裕志(日体大OB)、藤田和之(日大OB)、小柴健二(日体大)を誘い、アマ選手に活躍の場を与え、プロアマの交流にも尽力してきた。

 1995年に参議院議員に当選(その後、衆議院議員へ当選)。新日本プロレスを不本意な形で去ることになり。自らの団体移籍もあってマットから遠ざかってしまったが、1999年にソウル五輪金メダリストの佐藤満が専大教員に採用されてコーチに就任したあたりから情熱が再燃した。2人は、高校は違うが同期生で(馳=石川・星稜、佐藤=秋田・秋田商)一緒に高校選抜米国遠征に参加した間柄。ずっと親交が続いていた。OB会からの推薦を受け、気心の知れた旧友を助ける意味で監督の責務を引き受けることになった。

 名前だけの監督になるつもりはなかった。忙中をぬって週2回は練習に顔を出し、衰えぬ体で後輩たちの練習相手を務めている。それだけに、「チームの成績は自分の責任」と自覚し、惜敗続きとはいえ5位という結果に無念そうだ。

 久しぶりにアマレス界に接し、「元気が足りないね。ケンカになるくらいの気迫で向かっていかなければ、試合では勝てないよ」という気持ちを持った。「格闘技は、最後は気迫であり根性。それらがあって技術が生きる」という意識革命を訴え選手を育てたいという。

 かつて新日プロにレスリングチームを作ったように、現在所属する全日本プロレスに同様のチームを作り、アマの人材を受け入れて五輪選手を育てる計画も持っている。ことし1年をかけて有望選手を見極め、来春には実現させる可能性が十分。すでに石沢が専大の練習に頻繁に顔を出し(この大会にも母校・早大の応援を兼ねて来場)、アマの振興に対する気持ちは衰えていない。

 リング、永田町に続く"第3の戦場"での奮戦が期待される。
 




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