【特集】常勝軍団への闘いがスタート…拓大優勝から




  5月21〜24日に東京・駒沢体育館で行われた東日本学生リーグ戦で、創部63年目の拓大が初優勝を遂げた。第3日に大東大に黒星を喫しながらも、最終日に日大、山梨学院大を連覇しての栄光。1994年にソウル五輪代表の西口茂樹コーチを迎えて9年目での快挙だった。


     

 昨年に続き山梨学院大との決勝戦。120kg級の試合を沢田直樹が9分間フルタイムの死闘の末に制した瞬間、拓大のベンチ、応援席が沸き返った。相手チームとの礼が終わるやいなや応援席から駆け下りた下級生選手も含めた選手は西口コーチのもとへ駆け寄り、胴上げを求めた。西口コーチは、感激の涙を隠すかのように「オレじゃない。天谷監督だ!」と言い放ち、選手を"追い払った"。

 宙に舞う天谷監督。「きのう1敗して、かえって発奮材料となった。あそこで負けていなければ、あるいは決勝で負けていたかもしれません」と歓喜の表情で振り返る。一昨年、昨年と全日本大学グレコローマン選手権での団体優勝を遂げていた。だが、学生選手が目標とするのは、この東日本学生リーグ戦だ。1935年(昭和10年)の早慶対抗戦に始まり、4大学リーグ戦、関東学生リーグ戦を経て現在まで続く伝統あるリーグ戦での優勝こそが、"学生日本一"を感じることのできる大会だ

 「名前の上では、全日本の方が上でしょう。でも価値は歴史と伝統のある東日本リーグ戦です。これで本当の学生日本一となった気持ちです」と天谷監督。その栄光を作り上げたのは、まぎれもなく西口コーチだと言う。

 西口コーチは1994年、拓大の職員に採用されるとともにコーチに就任した。1940年(昭和15年)に正式に部としてスタートした伝統の拓大も、前年の93年には一部Bリーグ7位と低迷、二部Aリーグ優勝の東北学院大との入れ替え戦をしいられるほど低迷していた。

 ここから西口コーチによる熱烈指導と意識改革が始まった。練習とは、本来選手が自発的にやらねばならないもの。だが、今の学生にこれを求めても難しい。指導者が練習に毎日顔を出し、選手と寝食をともにするくらいでなければついてこない。西口コーチはそれを実践するため住まいを大学のそばに構えた。拓大のある場所は豊島区茗荷谷。その近くとなれば、当然住居費もかかる。池袋乗り入れの線を使って郊外なら、同じ部屋代で1・5倍の広さの部屋に住める。それでも大学の近くにした。選手の指導に力を注ぐためだ。

 勝つための意識改革にも取り組んだ、全日本王者の三宅靖志や警視庁の選手などを呼んだりして、選手の心にトップを目指す気持ちを植え付けた。そのかいあって、94年=一部B5位、95年=一部B優勝 → 一部A昇格、と順調にきたものの、96年=一部A7位 → 一部B転落。一筋縄ではいかなかった。やはり勝負の世界は厳しい。

 だが、西口コーチがアトランタ五輪出場を逃し、気持ちを切り替えて指導に専念してから快進撃が始まった。97年=一部B優勝 → 一部A昇格、98年=一部A3位、99年=一部A4位、00年=一部A4位、01年(リーグ改編)=一部2位。この間に全日本大学グレコ選手権でも優勝した。勝負の世界は、伝統が大きく作用することが多い。だが、グレコとはいえ、王者・日体大を破ったことは気持ちの上で大きな役割を果たしたことだろう。そしてこの日を迎えた。

 天谷監督は「西口コーチのおかげです」を繰り返す。監督としての手柄を求めてどんな誘導尋問をしようとも、それらしきことは一切口にせず、西口コーチを持ち上げる。その西口コーチは「冗談じゃない。天谷監督がいてくれたから勝てたんです。あたたかく、時に厳しく自分たちを見守ってくれました」と返す。

 スポーツ界はときに監督やコーチが前面に出てくるチームがある。だが、そうしたチームが栄光を続けたケースは少ない。天谷監督、西口コーチともに「自分は裏方」という意識をもっての指導が、今、しっかりと花開いたといえるだろう。「1度なら、まぐれで勝てます。2度、3度続いてこそ本物」と天谷監督。常勝軍団を目指した闘いがスタートする。


日体大戦で燃え尽きた?…V逸の山梨学院大

 ○…3年連続優勝ならなかった山梨学院大の下田正二郎部長は、Aグループ決勝の日体大との試合で「燃え尽きた面があったのかもしれない」と振り返った。99年を最後に優勝から離れている日体大だが、やはり"リーグ戦の王者"の存在。対して拓大は、昨年の決勝で7−1で勝った相手であり、「気持ちのどこかで、ことしも十分に勝てる、という思いがあったかも」と言う。

 メンバー的にも、全日本王者の小幡邦彦(74kg級)を74kg級に起用し、相手のポイントゲッターの高橋龍太(85kg級に出場)にぶつけられなかったことが「失敗だったかも」と分析した。

 だが高田裕司監督は「これがウチのベストメンバー。悔いはない」と言う。選手のケガもあり、V逸は「仕方ない」と割り切るが、「4年生はこの大会を目標にしてきた。勝たせてやりたかった…」と無念そう。

 ただリーグ全体を見て、拓大も大東大に負けていることなど戦力が均衡化していることを指摘。「どの大学も優勝のチャンスが出ている」と、来年以降の激戦を予想。その中で学生選手のレベルが上がることを期待していた。


 3年連続で優勝に見離されたV25の日体大・藤本英男部長の話「選手はよくやった。部長がしっかりしていないから負けた。すべての責任は部長にある。OB会が『責任をとって辞任しろ』と言ってきたら、潔く責任をとる」




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