【特集】信念にかけた戦線離脱の選択…坂本日登美



 2004年アテネ五輪から正式種目となり、金メダル獲得が期待される女子レスリング。この決定でそれぞれの選手のモチベーションは高まり、練習にいっそう熱が入っている。引退した選手の中に現役復帰を決意しつつある選手もいて、4月7日の「ジャパンクイーンズカップ゚2002」(東京・駒沢体育館)や12月の「全日本女子選手権」では、思わぬ選手の名前を見かけるかもしれない。

 そんな中、51`級で世界2連覇を達成した坂本日登美(中京女大)は今年1年間、国内外の大会から名前が消えることになった。世界では、V3の浜口京子(旧75`級=浜口ジム)や山本聖子(旧56`級=日大)以上に安定した試合を続けており、最も金メダルの期待度が高いとされているにもかかわらずだ。

 1月10日に右ひざの手術に踏み切ったからだ。ここで無理しては、本番のアテネ五輪までに致命的な負傷になってしまうかもしれない。一時的に戦線を離れても、故障箇所を治し、不死鳥のような強さでよみがえってアテネの空に日の丸を掲げようとしている。これは、初めて坂本自身が決めた進路の選択だった。

 坂本には、浜口や山本をライバルとして考え競おうという気持ちはない。戦線離脱を決めることができたのは、周囲に惑わされることのない確固たる自我が確立していることが大きい。

 
坂本「(浜口や山本に)マスコミの注目がいっても、何とも思いません。それが目的でやっているわけでわありません。優勝して、先生(監督・コーチ)や家族、応援してくれる人が喜んでくれることがうれしい。それを目標にやっています」

 51`級は98年に篠村敦子、99年に山本がそれぞれ世界一に輝き、それを坂本が受け継いだ。「日本のナンバー1は、世界のナンバー1」でもあった。坂本は99年12月の全日本選手権で前年世界チャンピオンの篠村を破り、日本一になったことで(山本はこの大会から56`級へ階級アップ)、世界で勝てるという感触をつかんだ。

 
坂本「全日本で勝って、4ケ月後のクイーンズカップでも勝って、「次は世界で勝つ」という気持ちになりました。日本が2年連続で世界一になっている階級ですが、単純に「自分も勝てる」とは思えませんでした。むしろ「自分で途切れたらどうしよう」というプレッシャーがありました」

 その不安は杞憂(きゆう)に終わった。初戦を戦ってみて、手ごたえのなさがはっきりと伝わり、「国内での試合の方がきつい」と感じた。「日本のナンバー1は、世界のナンバー1」だった。

 小学3年からレスリングを始め、高校3年になるまで“優勝”に全く縁のなかった選手がここまで伸びた裏には、まず青森・八戸キッズの恩師・勝村靖夫監督(1966年フリー・フライ級世界2位)の「目先の勝ち負けにこだわらない」という指導方針があった。

 
坂本「一生懸命やればいい、という感じで、体を動かすことが楽しみでした。友だちが遊んでいる時に練習しなければならないのは辛かったけど、練習が嫌でやめようと思ったことはありませんでした」

 幼くして勝利至上主義に染まらされ、燃え尽き症候群として競技への情熱がなくなる弊害が報告される少年少女スポーツにおいて、この自由奔放な環境が、肉体的にも精神的にも成長のベースとったことは間違いない。その基礎に勝つことへの厳しさを植え付けたのが、中京女大の栄和人監督(1987年フリー62`級世界3位)だった。

 
坂本「厳しかったですね。試合も練習も、怒られる恐怖や緊張との闘いでした。妹もレスリングをやっていましたが、『絶対に中京女大には来させない』って思いました(昨春、中京女大付高へ進学)。でも『ここまでやらなければ勝てないのか』と精神的に強くなったのは確かです。監督は、試合前は不安を取り除いてくれるように励ましてくれ、試合中はどんな体勢になっても聞こえる大きな声でアドバイスしてくれ、助かりました」

 アメとムチを使い分けた指導。世界で勝つべくして勝った過程であり、この世界一は勝村監督と栄監督の“共作”でもあったと言えよう。

 しかしアテネ五輪での勝利へ向け、坂本は自らの力で方向を定め、飛び立った。ひざの手術は、自らの意思で決めた。栄監督はV2を達成したソフィアの会場でも「ひざの手術、させた方がいいのかな…」と口にし、1年もの間、戦列を離れさせることの不安を口にしていた。

 だが、坂本は「だましながらやっていても、うまくいかないと思います」ときっぱり。中京女大の坂本涼子コーチが同じ手術を受けて1年以上もマットを離れながら、その翌年にきっちりと優勝したことも、決断の材料となった。

 完全復帰まで約1年かかる。だが、勝つ自信に裏づけられた自らの選択。どんな結果になっても悔いることはない。いま、その目にはアテネの金メダルがしっかりと見すえられている。




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