【特集】予想以上の他国のレベルアップ…世界ジュニア選手権(女子)から



 8月24〜25日にトルコ・イスタンブールで行なわれた世界ジュニア選手権の女子で、日本は51kg級の赤坂幸子(福岡大)が優勝して金メダル獲得の伝統こそ続けたものの、メダルはこの1個のみ。これは大会史上最悪の成績であり、「金3個」のロシア、「金2個・銀3個・銅1個」の中国に大きな遅れをとってしまった。

 五輪種目になったことで予想された他国のレベルアップは、シニアでは何とか来年のアテネ五輪までは日本がトップをキープできそうな勢いを見せているが、ジュニアでは早くも現実のものになっている。

 世界ジュニア選手権は1988年にフランス・ディヨンで、5か国が参加して第1回大会が行われた。この時の日本は、前年の第1回世界選手権に手探り状態で参加した状況で、ジュニア選手を派遣する余裕もなく、選手もいなかった。

 第2回は5年後の1993年にオーストリアのゴチスで行われ、すでにシニアで世界一の座を奪取し4年連続団体優勝を遂げていた日本の力は抜群のものがあった。参加は13か国だったものの、44kg級の清水美里(岐阜・マイスポーツ=当時、以下同じ)、48kg級で上林美穂(愛知・桜丘高)、52kg級で石田由美(群馬・関東学園高)、56kg級で木村こず恵(東洋大)の4選手が優勝。ほかに銀メダルを1個取った。

 第3回が行われたのは、さらに5年後の1998年(ノルウェー・フレドリクスタッド)で、この時は50kg級で2か月後にシニアでも世界一になった篠村敦子(福岡大)のみの優勝。他国のレベルアップを感じさせたが、銀メダル1個、銅メダル4個を取って、まだ世界一の座は保持していた。

 翌99年のブカレスト(ルーマニア)大会になると巻き返し、50kg級の篠村敦子(福岡大)、54kg級の山本聖子(日大)、58kg級の岩間怜那(中京女大)、63kg級の正田絢子(東洋大)の4選手が優勝。銀メダル2個、銅メダル1個も加えて8階級中7階級でメダルを取る強さ。

 00年のナント(フランス)大会も、46kg級で幹佳奈子(福岡大)、50kg級で伊調千春(東洋大)、54kg級で山本聖子(日大)、58kg級で吉田沙保里(中京女大)、63kg級で正田絢子(東洋大)の5階級で優勝。銅メダル1個と、出場7階級中6階級でメダルを取った。

 01年のマルティニー(スイス)大会では、43kg級の世良桃子(福岡大)、50kg級の伊調千春(東洋大)、58kg級の吉田沙保里(中京女大)が優勝し、2選手が銅メダルを獲得。8階級で5選手がメダルを手にした。

 それが今回(02年は実施せず。隔年開催が決定している)は8階級でメダル1個のみ。01年の大会は25か国100選手が参加。今回は同じ8階級で32か国151選手が参加と、数でいえば1・5倍の選手が集まった。今後はシニア並み(今秋の世界選手権には7階級で43か国170選手以上が予想される)の出場が予想され、レベルアップもするはず。

 日本のジュニア育成は、1994年にJOC杯ジュニアオリンピックに女子の部を導入、1995年には全日本女子連盟が中高校生による大会や合宿をスタート。1999年に全国中学生選手権で女子の部を新設するなど、全日本女子連盟だけでなく日本協会やその他の傘下連盟として取り組んできた。そのかいあって、1997年から10代の世界チャンピオンが続けざまに生まれ(浜口京子、篠村敦子、山本聖子、坂本日登美、伊調馨)、世界ジュニア選手権でも金メダルを量産。若手の育成は順調に進んでいた。

 しかし、五輪種目入りによる他国のレベルアップは、日本の想像以上だったというのが、今大会の結果から導き出される結論。アテネ五輪へ向けての強化は順調だが、足元をおろそかにしてはならない。インターハイや国体での女子の実施を含め、女子ジュニア世代の普及と強化を新たな方面から取り組まねばならない。(文・樋口郁夫)


【2003年世界ジュニア選手権・参加国】(順不同)

 《欧州》=ラトビア、オーストリア、英国、スイス、モルドバ、ウクライナ、ドイツ、ポーランド、ベラルーシ、ルーマニア、ロシア、ギリシア、トルコ、ブルガリア、イタリア、ハンガリー、チェコ、フィンランド、フランス、スウェーデン、アルメニア

 《アジア》=日本、台湾、中国、インド、キルギスタン、カザフスタン

 《パンアメリカン》=米国、カナダ、メキシコ

 《アフリカ》=南アフリカ

 《オセアニア》=豪州




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