【特集】松本慎吾のヨーロッパ遠征報告


【ヨーロッパ選手権へ(5月21日〜25日)】

 5月21日に全日本チームの伊藤広道コーチ(自衛隊)と一緒に欧州グレコローマン選手権(ユーゴスラビア)視察のため日本を出発しました。大会後にはヨーロッパの合宿に参加させてもらうため、ほぼ2ヵ月間、日本を離れることになります。こんなに長く遠征に出るのは初めてです。レスリングは世界中でやっていますが、なんといってもグレコローマンはヨーロッパが本場です。世界ではヨーロッパ選手を倒さないと上にあがれません。ですから、ヨーロッパ選手権を見て、直接それに触れてくることは、世界で勝ち上がるためには大きなチャンスです。

 ヨーロッパ選手権の試合は、やはり高レベルなものが多く目につきました。自分の84kg級では、五輪二連覇のイェルリカヤ(トルコ)と去年の世界王者アブラハミヤン(スウェーデン)がもっとも気になる選手です。しかし、2人とも大会には来ていましたが、今年は世界選手権ひとつに集中するために試合には出ていませんでした。イェルリカヤは去年の世界選手権の予選で戦って敗れた相手なので、ぜひ見ておきたかったですね。

 大物2人は出場していませんでしたが、ヨーロッパで勝ち上がってくる選手は、みんな何かひとつ、絶対に点を取れる得意技をもっています。84kg級決勝に勝ち上がってきた2人もそうでした。ロシアは俵返し、アルメニアはローリングがうまかったですね。グレコの世界では、世界中でアルメニア人の選手が活躍しています。同じ階級のアブラハミヤンもそうです。どの選手も、もつれてからポイントを取ってくるのがうまい印象です。


【クラブチーム「マリウポリ」(5月26日〜6月9日)】

寝台車で

 大会終了後、日本へ帰国する伊藤コーチと別れ、昨年8月からウクライナへコーチ留学している嘉戸洋コーチと合流しました。ウクライナのナショナルチームと一緒に寝台列車で移動です。初めて寝台車に乗ったのですが、寝台が狭くて参りましたよ。二段ベッドになっていて、上の段を嘉戸コーチが、下を僕が使ったのですが、とんでもなく幅が狭いんです。寝返りを打ったら床に転げ落ちるような幅でした。

 セルビア・モンテネグロのベオグラードを出発してハンガリーのブタペストでウクライナのキエフ行きの列車に乗り換え、キエフに着くまでに36時間くらいかかりました。ベオグラードで別れて日本へ帰った伊藤コーチの方が、早く家に着いたかもしれないですね。到着が夜だったので、キエフで一泊してからナショナルチームのメンバーは皆、それぞれの地元へ帰ってゆくのですが、ここからの移動はヨーロッパ選手権での成績によって使える乗り物が違うんです。勝った選手は飛行機で移動、負けた選手は長距離バスです。嘉戸コーチと僕は、お客さんだからと飛行機でマリウポリまで移動させてもらいました。

 キエフから南へ向かうマリウポリへの飛行機も、今まで乗った事がないくらい小さい飛行機でした。それでも、40人くらいは乗っていたでしょうか。もちろん、プロペラが回っている飛行機でしたよ。

 空港も、見た事がないような小さい空港で驚きました。滑走路の周りは草原で、囲いがしてあるだけなんです。荷物を受けるためのロビーも何もありません。いちおう、タクシーも待っていたのですが1台しかありませんでした。周りに何もないし、あの1台を逃すと空港からどこへも行けなくなりますよ、たぶん。

 マリウポリはアゾフ海沿いののんびりした街でした。人口50万人と説明されましたが、広すぎて、そんなに人口がいるとは感じられませんでした。街にいる外国人は嘉戸コーチひとり。自分が来たことで2人になりました。マクドナルドがない街、というのも新鮮ですよ。映画館はあったみたいですけど。

 マリウポリにいた間は、嘉戸コーチが去年から住んでいる家に住ませてもらってました。クラブチーム「マリウポリ」のコーチ、ビタリさんの娘さんの家で、今は使っていないので使わせてもらったんです。

 昼食はクラブチームの食堂で食べさせてもらっていた嘉戸コーチの手料理のですが、夜は自炊です。左の写真が夜ごはんです。といっても、僕が作ったのではなく、嘉戸コーチの手料理ですが…。自炊ということで、ご飯を作らなければならないと聞いた時、「ごめんなさい。作れません」と嘉戸コーチに頼りきりでした。

 写真は、手前がカレーのかかったパスタで、奥がキムチ味の肉野菜炒めです。おいしかったですよ。嘉戸コーチが鍋で器用にご飯を炊いてくれたこともありましたが、長細くてパサパサしたコメしか売っていなかったですね。ちなみに、下に敷いてあるのは日本の新聞です。去年の世界選手権(2002年9月、モスクワ)のときに嘉戸コーチへ渡した新聞を、大事に使ってくれていました。


マリウポリのバザールで生野菜。ネギも生でかじる豚肉の脂身、サーロ

 夕飯のためにバザール(市場)へ買い出しに行ったりもしました。肉も、目の前で切り分けてもらって買ってくるんです(上写真左)。日本と違って、豚肉が一番高くて高級品でした。おいしいですよ。ウクライナの人たちは、基本的に野菜は生で食べるようです。上写真中央の皿に載っているのはトマトとキュウリ、ネギですが、塩をつけるだけで食べたりするんです。ネギもですよ。すっかり慣れて、同じように食べていました。

 写真左はサーロといって、豚肉の脂身です。これをスライスして、細かく切った香草をまぶしたりなどして食べます。豚肉の脂身と聞いて驚くかもしれませんが、これがすごくおいしいんです。嘉戸コーチも気に入って、バザールで売っていたのを冷凍庫に入れて保存していた、とっておきをごちそうになりました。


【ウクライナ代表合宿(6月10日〜24日)】

 6月10日、マリウポリから、歴史の教科書にも出てくるヤルタの近く、アルーシタへ移動しました。ウクライナのナショナルチーム合宿に参加するためです。アルーシタもマリウポリのように海の近くですが、今度は黒海のそばになります。

朝練でダッシュ  1日3回練習のうちの朝練は、8時から30分ほど、軽いランニングとダッシュをして体を起こします(左の写真)。


 練習後、そのまま黒海へ海水浴をしにゆくことが多かったです(右下の写真)。一緒に写っているのはマリウポリでもお世話になったコーチのビタリさんです。写真では天気がよくて、海水浴する子どももいて楽しそうにしますけど、前日に雨が降ると、翌日は晴れていても海がさすような冷たさになります。3秒と入っていられませんでしたね。それでも、みんな入りに行くんですよ。
黒海でビタリコーチと
 昼の練習は、12時から1時間半ほどマット練習です。1時間半と聞くと短いと思うかもしれません。でも、内容が濃いからとても長い1時間半なんです。四つ組みなど、場面を限定した展開を集中してやったあと、あいだに30秒のグランドを入れて練習が続きます。ものすごく集中して相手もやってきますから、体も頭も休む間がありません。ダラガンと練習写真の相手はダラガン(=アレクサンドル、01年グレコ85kg級世界3位)です。反り投げがうまくて、ちょっとでも気を許すと、どこからでも投げられちゃう感じですね。日本で自分が投げられることなんてまったくないので、新鮮でしたし、よい練習になりました。

 6時から夕方の練習が始まります。これもマット練習で、やはり1時間半です。昼間とは内容を変えますが、集中した、長い1時間半であることに変わりはありません。

 こういった1日3回練習を毎日ずっとしているのかというと、そうでもないんです。2日間マット練習を含んだスケジュールで過ごした翌日は、軽めのメニューに変わります。朝練は同じような内容なのですが、昼はサッカーなどの球技をして、夕方はサウナで体をほぐすんです。

 サッカーをしているうちに、現地の言葉を覚えましたよ。「デレバ」ていうんですけど、意味は「木」なんです。どうしてそんな言葉を覚えたかというと、サッカーをしているときに、みんなからよく言われたんです。

 ウクライナの選手たちのサッカーはすごいんですよ。ヨーロッパのプロサッカーと同じで、ものすごく当たりが強いんです。そんなやり方のサッカーはしたことがないから、こっちは普通にきれいにボールを蹴ろうとする。すると、なんでそんな、普通に立っているんだ。まるで「木」みたいだな、と「デレバ」て言われてたんですよ(笑)。

 サッカーで遊んでいるような形を取ってますけど、本気で当たられてもボールをキープすることで柔軟性などが育っているのかもしれないですね。

ツバメの巣アループカでビタリさんと

 日曜日は完全休養日なので、アルーシタからちょっと足を伸ばした観光地、ヤルタに案内してもらいました。上写真左は「ツバメの巣」と呼ばれている、断崖絶壁に立っている建物です。20世紀の最初の頃に立てられたもので、今ではレストランになっているそうです。笑って写真に写ってますけど、足下のすぐ後ろは切り立った崖で、とんでもないところに立ってました。

 その右写真はアループカと呼ばれている建物です。イスラム趣味を取り入れたところだそうで、後ろにそれっぽい文字が見えますね。一緒に映っているのは、マリウポリからずっとお世話になっているコーチのビタリさんです。


アジの家族と
 アルーシタでの合宿も終わりが近づき、マリウポリにいたときからこまごまと世話を焼いてくれたマリウポリの選手、アジ(=ルスタン、95年グレコ68kg級世界1位)の家族(右の写真)と嘉戸コーチとで食事に行きました。嘉戸コーチも1年間、本当によくしてもらった家族です。アジは7月のドイツグランプリに出場するので、大会会場で会えますが、ウクライナを離れると奥さんや子どもたちとはなかなか会えなくなるので、最後に記念写真を撮りました。

 アジの子どもたちもグレコのレスリングをやっています。右の背が高い方の男の子が兄のルスタムで10歳、弟のマキシムはまだ7歳です。2人ともポケモンが大好きな普通の子どもなんですが、嘉戸コーチと練習する時、リフトしようとするんですよ。驚きましたね。ちびっこレスリングをやっている子どもは日本にもたくさんいますけど、リフトしようとする子なんて、いないでしょう。

 日本のグレコの選手は、どうしても大学へ入ってから本当の意味でグレコを教わります。自分も高校までは、グレコの大会に出てはいましたけど本業は柔道でした。笹本(=睦、綜合警備保障、グレコ60kg級日本代表)にしても、小さい頃からレスリングをやってはいますが、本格的にグレコを始めたのは大学からなんです。だから、アジの子どもたちみたいに、小さい頃からグレコの細かい技を積み重ねてきているヨーロッパの選手たちと自分たちとではどうしても開きがあります。

 どうやって日本の選手がヨーロッパ選手と互角に戦っているのかといえば、スタミナがあるからですね。スタミナは絶対に、日本選手の方があると思いますよ。


スメタナ ウクライナを離れる前にひとつ。ウクライナでいちばん気に入った食べ物が左の写真です。スメタナ(写真は入れ物)といいます。サワークリームとヨーグルトの中間くらいの感じなんですが、おいしいんですよ。最初は違和感があったんですが、クレープ(ブリンチキとみんなは呼んでました)につけたり、固めて焼いたトゥボルクになって出てきたりするのを食べるうちに、おいしいと思うようになって気に入りましたね。嘉戸コーチは最後まで、あんまり好きじゃなかったみたいですけど(笑)。


【ドイツ国際合宿〜ドルトムント国際大会〜帰国(6月25日〜7月22日】

 ウクライナのナショナル合宿も終了。ドイツでの合宿に参加するため、6月25日にアルーシタを出発しました。今度は列車ではなく、飛行機です。といっても、直接ドイツへ行ったのではなく、まずチェコのプラハへ向かいました。プラハは、嘉戸コーチが95年の世界選手権で2位になった街であり、去年まで日本でレスリングのコーチなどをしてくれていたビル・メイさんが住んでいるところです。

聖ヴィート大聖堂の前で 聖ヴィート大聖堂の前で記念写真です。中のステンドグラスが有名だそうなのですが、とてもきれいでした。去年、洪水で壊れたカレル橋は修復中で、工事のためのやぐらができていました。

室伏選手とプラハで ちょうどプラハにいたとき、陸上の国際グランプリ大会が開かれていました。嘉戸コーチが95年の世界選手権のとき泊まったホテルを見に行ったら、偶然、カフェにハンマー投げの室伏広治選手がいたんです。自己紹介したところ「スゴイ体してますねえ」と言われました。でも、室伏さんの方がすごかったですね。自分の体は横には大きいかもしれませんが、室伏さんは縦に大きいなあと思いました。首が本当に太くて、顔の幅よりも首の方が太いんです。頭から首、背中にかけてが本当に大きくてびっくりしました。

 翌日、プラハ在住のメイさんと、嘉戸コーチと一緒に陸上の国際グランプリ大会を見にスタジアムへ行きました。陸上GP会場でメイさんとスタジアムはお客さんがびっしりで、ものすごく盛り上がってましたよ。実は、写真に映っている競技場とは別のサブ・グランドがハンマー投げだったので、そちらへ移動してしまったんですけど。

 室伏選手が日本記録を更新して優勝したとき、すごくうれしかったです。室伏選手もものすごく喜んでいました。なんでも、自己記録を更新したのが、かなり久しぶりだったらしいんです。外国で見る日本選手の活躍は、本当に刺激になりますね。室伏選手だけでなく、金沢イヴォンヌ選手、為末大選手なども頑張っていて、自分も続こうと思いました。


ドイツ行きの食堂車 6月30日にプラハを出発。今度は列車で移動です。列車移動も慣れましたから、食堂車で食事をする余裕です。ところが、このあとベルリンでの乗り換えで大変なことになるんです。

 ベルリンで合宿場所のフランクフルト・オーダー行きの列車に乗り換えるのですが、着いてみたら乗り換え時間を過ぎていたんです。嘉戸コーチと2人で、大きな荷物を抱えて全力疾走です。運がよいことに、乗るはずの列車が数分遅れていて、ギリギリで乗り換えることが出来ました。

 無事にフランクフルト・オーダーへ到着して、翌日からドイツ主催の国際合宿に参加しました。フランクフルト・オーダーというのは、日本からも直行便が出ている大きな空港のあるフランクフルト・アムマインではなく、旧東ドイツのオーデル川沿いにあるこぢんまりした町です。

 合宿の参加国は主催のドイツ、フィンランド、スウェーデン、デンマークにアメリカ、そして日本から僕と嘉戸コーチです。アメリカはパン・アメリカン大会があるから、と一番手は来ていませんでした。ドイツの合宿も一日3回練習で、2日間練習をやりこんで1日軽く、というプログラムでした。ウクライナと似ていますね。

 朝は7時45分に練習開始です。30分くらい、ランニングとストレッチをして過ごします。10時半から1時間半の昼練習と、夕方4時半から6時半の2時間の夕方練習はマットでやります。グラウンド、スタンドともに技術面の練習が多かったですね。日本といちばん違うのは、やはり四つ組みの練習を多くやっていたことでしょうか。

 ドイツチームドイツチームとにはよくしてもらいました。写真のいちばん右の選手は、去年まで60kg級で今は66kg級のクラーツ選手です。笹本には忘れられない選手でしょうね。02年春の遠征でイタリアの「ミラノ・トロフィー」大会に出場したとき、ミスジャッジが元で負けた相手です。でも、確かにドイツのチームなのですが、旧ソ連からの移民ばかりなので、ほとんどの選手がロシア語を話すんですよ。

 ユーロ・チャンネルで日本の番組をよくやっている影響でしょうか、けっこう、みんな日本のことをよく知っていました。ちょっと前の日本のテレビ番組をやっていたり、ドラゴンボールが人気だったり。そのせいなのかわかりませんが、僕はみんなに「ヨコヅナ」と呼ばれて、嘉戸コーチは「ミヤギ」と呼ばれていました。ミヤギというのは、アメリカ映画の『ベストキッド』に出てくるカラテの師匠の名前です。

 合宿には01、02年の世界チャンピオン、アブラハミヤン(スウェーデン)も来ていました。組んで練習もしたのですが、自分とやるときはかなり気合いが入ってましたね。1ポイントもやらないようにするんです。でも、ムキになって首のうしろを引っかかれたのには参りました。しばらくみみず腫れになってましたよ。

 アブラハミヤンは、2月のアメリカ遠征で自分が優勝したデーブ・シュルツ国際大会にも視察に来ていて、自分の試合を見て「あの選手はもっと強くなる」と言ってくれていたらしいんです。ライバルとして見てもらって、練習でも最初から本気で来られたのはびっくりしましたけど、うれしかったですね。彼も合宿のあとのドイツグランプリに出場するはずだったのですが、膝をケガして出場しませんでした。でも、膝が悪いというわりにはスクワットしてたんですよね。スパーリングはしてませんでしたけど。

 7月16日、フランクフルト・オーダーからドイツグランプリ大会が開かれるドルトムントへ移動です。スウェーデンチームが移動するのに便乗させてもらいました。チームで借りたレンタカーに乗せてもらったんです。アウトバーン(無料の高速道路)を時速180kmで6時間飛ばしていきました。速度は違反じゃないですよ。あっちの高速道路はそのくらい出していいんです。ドイツ車はエンジンも強くて、180km出し続けてもしっかりしてました。

 ドイツグランプリ大会では、もちろん結果を残すつもりで出場しました。予選の2試合では、2試合とも俵返しをして、そうしたら感激したらしい観客のおじさんから『サインをくれ』と言われました。びっくりしましたが、うれしいことですね。

 ですが、あとひとつで準決勝というところで、ミスジャッジが元でダラガン(ウクライナ)に負けてしまいました。第1ピリオドでリフトなどを狙ったのですが結局きまらず、前半を終了。四つ組みで第2ピリオドが始まり、自分が先に押し出したのですが、『クラッチが切れていた』と相手に点が入ってしまった。最近のFILAルールであれば、たとえクラッチが切れていたとしても、攻撃を続けていた自分の方に点が入るのですが…。あとでこの試合のチェアマンも『ミス・ジャッジだった』と認めていました。

 この判定が試合の流れを決めてしまい、反撃してポイントを取り返す時間はなくなっていました。納得がゆく結果ではありませんが、大事な試合は別にあるので、よい経験をしたと考えています。


 ドイツグランプリの写真がなくてすみません。試合があると、そっちに神経が行ってしまって、僕も嘉戸コーチも写真を撮るのを忘れていました。ウクライナで家族ぐるみのつきあいをして、本当によくしてもらったアジが74kg級で優勝するなど、楽しいこともあったのですが、写真を取り損ねました。ドイツは、やっぱりビールとソーセージがおいしかったですねえ。人もよかったし。女の子はウクライナの方がかわいかったですけど(笑)。


 ヨーロッパでの2ヵ月間は、大変勉強になりました。練習で自分が持ち上げられることもありましたし、グラウンドの技術も大変参考になりました。四つ組みは何十回と練習してきましたから、体に覚え込んできた感じです。試合の中で、不利な状況からでも自分のポイントに出来るようになっていると思います。

 グレコの経験が豊富なヨーロッパ選手に日本人が勝つには、グラウンドのディフェンスを完ぺきにすることが絶対に必要です。東洋人は同じ階級の中でも背が低いので、どうしても先にパッシブを取られやすい。パーテールポジションで下になったら、絶対に守らなくちゃいけない。先に点をやると向こうのペースになってしまいますから。そこをこらえて、自分のペースへもってゆかないとならないですね。

 外国人に慣れて、経験を積めたのがいちばんの収穫でした。どれも、日本にいてはできない練習ばかりで充実していました。

 次のヨーロッパ遠征(8月11日にポーランドに向け出発、ピトライスニスキ国際大会に出場)には、スウェーデン代表も出場すると聞いています。アブラハミヤンも出場してくるかもしれないですね。今度は、結果を残してよい状態で世界選手権を迎えたいです

(談、構成=横森綾)


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