シドニー五輪代表、宮田和幸(クリナップ)が総合でグレイシーと対戦【2004年10月29日】




 シドニー五輪フリースタイル63kg級代表の宮田和幸(クリナップ)が11月20日、ハワイで行われる総合格闘技大会「ランブル・オン・ザ・ロック」に出場し、ホイラー・グレイシー(ブラジル)と対戦することが明らかになった。これまで、日本レスリングの五輪代表選手としては、モントリオール五輪代表でもあるプロレスラーの谷津嘉章がPRIDEへ2度出場したほか、アトランタ五輪代表の三宅靖志が米国で1大会に出場しているが、総合格闘技に専念して闘う五輪代表選手は初めて。

 ホイラーは、総合格闘技界を一時期席巻したヒクソン・グレイシーの実弟で38歳。1996年にスタート間もない修斗で“寝技師”といわれた朝日昇を子供扱いにして本場ブラジルの総合格闘技のレベルを日本に知らしめ、1998年にPRIDEで佐野なおき(高田道場)を破った。

 その後、1999年にPRIDEで桜庭和志(中大レスリング部OB=高田道場)と戦いドクターストップ負け。2001年にDEEPのリングで村浜武洋と戦い引き分け。ことし5月にはK-1「ROMANEX」で須藤元気(拓大レスリング部OB=ビバリーヒルズ柔術クラブ)にパンチの連打でKO負けを喫している。しかし関節技のあるレスリングとして有名な「アブダビコンバット大会」で3年連続優勝を達成するなど、相手をグラウンドに引き込んでの絞め技、関節技の技術は卓越したものがある。

 宮田はシドニー五輪のあと、69kg級へアップして2001年世界選手権へ出場(予選リーグ敗退、17位=
写真左)。さらに階級区分変更によって66kg級で選手活動を続け、2002年全日本選手権優勝など実力を見せた。

 しかし2003年は世界選手権代表を逃し、日本代表として世界3位になった池松和彦(日体大助手)にアテネ五輪出場をいち早く決められてしまい同級での五輪の望みがなくなっってしまった。そのためグレコローマン66kg級でアテネ五輪を目指した。10月の国体で優勝するなどしたが、結局、全日本選手権予選を勝ち抜けずに五輪連続出場はならなかった。その後、総合格闘技への進出を考えていた。

 なお同大会には、昨年の世界選手権代表でその後、K−1総合格闘技部門入りした中尾芳広(東洋大・自衛隊OB)も出場し、キャベージ・コレイラ(米国)と対戦する。

 宮田和幸(みやた・かずゆき) 1976年1月29日生まれ、28歳。茨城県出身。茨城・土浦日大〜日大卒。172cm。茨城・水戸五中学時代の1990年に全国大会優勝。この年の全国中学生選手権の優勝者には、宮田のほか、40kg級に山本徳郁(元山本“KID”徳郁)、83kg級に今村雄介(元高田道場=現高田道場スタッフ)がおり、ハンガリーでの世界カデット選手権に出場している。また、自転車でアトランタ五輪に出場して銅メダルを獲得した十文字貴信も、この大会の51kg級で2位に入っている。

 土浦日大高校時代も国体などで優勝し、日大では1年生から団体戦レギュラーとして活躍。個人では2位、3位が多かったが、97年全日本大学選手権で優勝。卒業後、98年全国社会人オープン選手権優勝など実力を伸ばした。全日本選手権は96年2位、97年3位、98年2位のあと、99年に初優勝。2000年1〜3月にシドニー五輪予選第2ステージでの資格獲得はならなかったが、同年5月の予選最終ステージのアジア地区トーナメントで優勝し、資格を取った。

 シドニー五輪は、予選1回戦が試合なし(BYE)のあと、2回戦でOtar Tushishvili(グルジア)に4−3で判定勝ち、3回戦でCarlos Julian Ortiz Castillo(キューバ)に1−4で判定負けし、予選リーグ突破はならなかった(13位)。




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