【特集】今後は世界チャンピオンを目指します…井上謙二

 予選1回戦 ●[2−3] Damir Zakhartdinov(ウズベキスタン)
 予選2回戦 ○[7−2] Jung Young Ho(韓国)
 予選3回戦 ○[Tフォール、5:41=13-0] Lubos Cikel(オーストリア)
 準 決 勝  ●[4-5=6:28] Masoud Jokar(イラン)
 3位決定戦 ○[6-5=6:45] Vasyl Fedoryshyn(ウクライナ)


 “伏兵”と言っては本人に失礼だとは思うが、田南部力や池松和彦に比べれば注目度・期待度が低かった井上謙二が、死力で銅メダルを引き寄せた。3位決定戦では、0−3となってもあきらめずに飛行機投げで同点。ラスト45秒に1点を勝ち越され、ブレークとなった時に示されていたタイムは「5:37」。再スタートのホイッスルと同時にタックルを決めて同点。勝負をあきらめることがなかった。

 そして、延長で貴重な1ポイント。日本のコーチ(セコンド)は、外国コーチに比べると度をはずす行為をすることが少ないが、この時ばかりは富山英明監督と和田貴広コーチがすぐに井上へ突進し、体全体で勝利を祝福した。

 「勝ったのかなって、半信半疑でした。富山監督と和田コーチが駆け寄ってきたので、勝ったんだって思って」。勝利を意識したのは、周囲よりワンテンポ遅れてだった。その分、勝利を確認したあとの喜びようは、普通ではなかった。自衛隊選手がよくやる胸の日の丸を誇らしげにかざし、応援席へ感謝のアピール。マットサイドで待ち構えた日大の先輩の内藤可三審判員が泣いていた。日本協会の福田富昭会長が祝福した。

 周囲からの予想が今ひとつ高くないことは本人も知っていた。世界選手権に1度も出場したことがないのだから、それもやむをえないだろうが、「自分では絶対に金メダルって思っていました」。周囲の予想が何であれ、戦う選手が負けると思って戦ってはならない。どんな強豪が相手でも、勝つつもりでマットへ上がった。井上にとって周囲の評価など、どうでもよかったことだった。

 可能性が限りなく低い中からのし上がってきたことは確かだった。昨年12月の全日本選手権で2位に終わり、この時点で五輪への道が見えなくなった。優勝した山本英典(自衛隊)が五輪第2次予選第1ステージで勝っていれば、その可能性はさらに狭まった。

 しかし山本が出場資格獲得を逃し、第2ステージで指名された。「声がかかってもいいようにと、しっかり調整していました。出るとなった時、後悔したくなかったんです」。そしてブルガリアで行われた大会で優勝して五輪出場資格を獲得。4月の最後の関門(明治乳業杯全日本選手権)でアテネへの道を開いた。

 この大会でも、初戦でザハルディノフ(ウズベキスタン)に黒星。この段階で予選リーグ通過の可能性が低くなったが、その相手が2回戦でつまずき、またもわずかな可能性の中を勝ち抜いてきた。

 準決勝のジョカー(イラン)戦は、ラスト7秒までのリードを守り切れずに痛恨の黒星。そこをしのげば銀メダル以上が確定し、メダルの可能性は100%だったが、負けたことで、またその可能性が下がった。それをはねのけての銅メダル。「準決勝は守りに入ってしまった。その負けがいい薬となって、(3位決定戦は)最後まで攻めることができた」。悔しい負け方だったが、短時間の間にそれを肥やしに変えて銅メダルという花を咲かせた。これも気持ちが前向いていればこそだろう。

 3年前にはひざの大けがで戦列を離れ、入院することになった。高校時代(京都・網野高)に4冠を取った逸材もここまでか、という声も聞こえた。しかし日大時代の恩師の富山監督が「オリンピック目指して頑張ろう」という年賀状をくれた。「トップの人がどん底の人間を…」。この時の励ましが、その後も心の支えになっていたという。

 世界選手権不出場どころか、全日本チャンピオンに輝いたこともない選手が取った栄光。それを指摘されると、「夢の中では、何度も世界選手権やオリンピックの金メダルを取っていましたから」と返した。“夢の中ででも勝て”とは八田イズムの教えのひとつ。夢の中ででも勝つことにこだわった男なればこその栄光だった。

 だが、井上の夢はまだ正夢になっていない。彼が見てきたのは世界チャンピオン、五輪チャンピオンの夢だ。「世界チャンピオンを目指します」。多くの報道陣の前できっぱり宣言した彼の顔は、いたってまじめ、100%本気の顔だった。

 これからは世界中の選手から研究される。今大会でかかった技が来年の世界選手権でも通じると思ったら大間違いだ。だが、夢の実現へ向け、どんな困難にもぶつかっていってほしい。夢の中ででも勝つ気持ちがあれば、絶対に北京五輪のメーンポールに日の丸を揚げられる!

(取材・文=樋口郁夫)




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