【特集】決勝T進出の望み絶たれても全力ファイト…横山秀和




 8年ぶり2度目の五輪出場となったフリー84kg級の横山秀和(秋田・秋田商高教)は初戦(2回戦)の2002年世界3位のマジット・コダエイ(イラン)戦に敗れた段階で決勝トーナメント進出の望みが絶たれた。

 それでも3回戦は「最後の国際大会になると思うし、気持ちを切り替えて臨んだ。勝たないと、生徒に対して示しもつきません」と全力ファイトを展開。カウンタータイプであって相手の攻撃を逆利用することの多い横山だが、「自分から攻撃しましたよ」と、攻めのレスリングで有終の美を飾った。

 初戦
(写真左)は第1ピリオドを終わって1−1。悪くても2−2で延長勝負狙いを考えてしまい、守りの気持ちになったことが悔やまれたためでもある。「テクニカルフォールも狙っていたんですけどね」と、この部分はちょっぴり残念そうだ。

 大会に臨むにあたって体調はよく、マットの上での動きも悪くなかったという。しかし「気持ちと下半身のバランスが今ひとつだったかな」と振り返った。それでもアテネ五輪を目指すと決めてからの約2年間、「とても充実していました」と満足感は残った。

 もう国際大会に出場することはなく、全日本選手権への出場もなさそうだが、国体などでのファイトは続ける予定だ。それでも、生活の大部分をかけていたものがなくなるわけで、「何をしようか迷っているんです。ゆっくり考えてみたいです」と、しばらくは“休養”となりそう。1964年東京五輪から出場を続けている秋田県レスリング界の伝統維持のために尽力することが期待されるだろう。

(取材・文=樋口郁夫)



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