【特集】初めて流れた勝っての涙、20歳五輪チャンピオンが誕生…伊調馨

 予選1回戦 ○[Tフォール、5:10=10-0] Lyudmyia Golovchenko(ウクライナ)
 予選2回戦  BYE
 予選3回戦 ○[6−2] Alena Kartashova(ロシア)
 準 決 勝  ○[4−0] Lise Legrand(フランス)
 決    勝 ○[3−2] Sara Macmann(米国)

     


 昨年の世界選手権決勝と同じサラ・マクマン(米国)との決勝戦。ラスト21秒で貴重な3点目を取り、3−2として勝利した伊調馨は、最高の笑顔で応援席の歓声にこたえ、栄和人コーチから肩車されても笑顔が絶えることはなかった。しかしマットサイドで日本協会の福田富昭会長にねぎらわれると、その顔から笑みが消え、目がみるみるうちに潤んでいった。

 そのあとの表彰式でも、最高の笑顔を見せたかと思えば、急に涙ぐみ目頭を押さえるシーンが相次いだ。「両親や大学の先輩、顔なじみの人たちの顔を見たら、涙がとまりませんでした。勝って泣いたのは初めてだと思います」。やはりオリンピックの勝利は違った。「重みがありますね」。その“重さ”が、伊調馨の涙腺をふだんの何倍もゆるくしてしまった。オリンピックには、それだけのパワーがあるのだ。

 マクマンは「去年より力があった」と言う。タックルで1点を取られ、0−2とされて第2ピリオドへ。しかし伊調馨のスロースターターぶりはある意味で有名なため、日本陣営と応援団には「まだ大丈夫」という余裕があったのは確かだ。

 その予想どおり、第2ピリオドに2度、相手のタックルに対するカウンターの技だったが1点ずつ取り2−2へ。残りは1分。1点を争う緊迫した試合は、昨年の世界選手権決勝で延長にもつれた時と同じだ。ここで伊調馨は引き落とし気味にマクマンの体勢を崩し、貴重な3点目。掲示板の時計は「5:39」を示し、伊調が勝利を引き寄せた。

 48kg級の決勝で姉・千春が負けて銀メダルに終わっていた。千春は相手のカウンターが怖く「攻められなかった」と振り返ったが、その分、馨に「勇気を出して攻めれば勝てるよ」とアドバイスしてくれたという。「その言葉通り、勇気を出して攻めることができました」。ラスト30秒を切っての攻撃。カウンターを受けやすい飛び込みタックルではなく、引き落として相手のバランスを崩して攻めるあたりは、勝つための戦術がしっかりと備わっているようだ。

 勝利のあと、栄コーチが吉田沙保里からされたように肩車を要求されたそうだが、はっきりと拒否したという。祝福オンリーの場面での監督命令を拒否するだけの意志の強さ。勝負の世界に生きる人間は、時としてこうした意志の強さが必要ということだろう。

 20歳2か月10日での五輪チャンピオンは、高田裕司専務理事が1976年モントリオール五輪で勝った時の「22歳5か月14日」、数分前に勝った吉田沙保里の「21歳10か月18日」を更新する日本レスリング界の最年少五輪チャンピオンになる。吉田は堂々の五輪二連覇を宣言したが、伊調もその可能性は十分。日本レスリング界の核となる頼もしい若き五輪チャンピオンが誕生した。

(取材・文=樋口郁夫)



《前ページへ戻る》