【特集】「五輪の目標は優勝。東京W杯はいい経験でした」…C・ノードハゲン



 世界選手権で6度優勝したクリスティン・ノードハーゲン(カナダ)は、同国がまだ五輪出場資格を取っていないため(昨年世界選手権出場のオヘネワ・アクフォが5位に残れず)、3月6〜7日にチュニジアのチュニスで行われたアテネ五輪第2次予選第1ステージに出場。見事に優勝して実力を見せた。1月のプレ五輪(アテネ)では浜口京子にフォール負けしたものの、要注意選手であることに変わりはない。

 5日、試合を翌日に控えながらも、日本協会ホームページのために時間を割いてくれ、インタービューに応じてくれた。(聞き手:ウイリアム・メイ=チェコ・プラハ在住)


 Q:2001年の世界選手権(ブルガリア)で6度目の優勝を飾りましたが、その後の2年間、あまりファイトをしていなかったようです。一時期、引退していたのでしょうか。

 
ノードハゲン:2001年の世界選手権を優勝したとき、私のひざは本当に悪かった。ひざの関節炎のようもので、すごい痛みでした。2004年のアテネ五輪で女子の採用が決まり、私たち(ノードハゲンと、夫でありコーチのリー・ビアリング=写真)は、ひざをしっかり治した方がいいと考えました。2002年の6月に、両ひざの手術を受けて、同年10月にマットへ戻りました。再びレスリングができたのは楽しかったけれど、別の場所のけがが続きました。まず首、それからろっ骨。私は完全に体を治してレスリングをしたかったから、落胆もしました。しかし、前向きな姿勢は崩しませんでした。

 
Q:先月の「ジャパン・クウィーンズ・カップ」では、元世界チャンピオンの吉村祥子と山本美憂が敗れ、選手生活にピリオドを打ちそうです。一方で32歳のあなたはアテネ五輪の出場を目指し、カナダ代表としてこの予選にいます。長い間でやってこれた秘密は何でしょうか。

 
ノードハゲン:まだ、(カナダの国内)若い選手にチャレンジされてないからでしょうか(笑い)。実は、私がオヘネワ・アクフォに国内で負けた時、ちょっと心配しました。彼女は危険な相手ですし、いつも私と接戦の試合をやります。しかし、私は長い間やってきて、たくさんの経験もあります。それが役に立って、まだ若い選手には負けません。

 
Q:どのぐらいの間にレスリングをやってきましたか。

 
ノードハゲン: 12年間です。しかし、20歳で始めたので、シニアのレスリングだけで12年間です。これはキッズ・レスリングから12年間やることとは全然違うと思います。

 
Q:レスリングをやった理由は何でしょうか。

 
ノードハゲン:私の通っていた大学は、体育学の一部としてアクティビティ・クラスをいくつか取らなければなりませんでした。その中の一つにレスリングがありました。レスリングは好きだったから、取ってみようと思いました。

 
Q:12年前のあなたのレスリングと今のレスリングと比べて、一番大きいな違いは何でしょうか。

 
ノードハゲン:初めは技術を覚えるだけでした。いまはレスリングの試合を勉強しています。レスリングのことをもっと覚えたいと、いつも思っています。

 
Q:浦野弥生選手はどんな影響があったでしょうか。(注:浦野は1993年の世界選手権70kg級の決勝戦でノードハゲンを破って優勝。その後、カナダにコーチとして招待された際に知り合った人と結婚して、現在はカナダ在住)

 
ノードハゲン:ヤヨイと私は、私が初めて出場した世界選手権の決勝で対戦し、そのあと、彼女は1階級下げました。ですから、私たちはライバルと言えないでしょう。彼女がカナダに来たとき、私が彼女とレスリングをすることがとても楽しく感じました。カナダの女子選手で、あのレベルの選手を探すことは難しかったので、彼女とレスリングすることが楽しかった。

 
Q:6度の世界タイトルの中で、一番の思い出は?

 
ノードハゲン: 2000年の優勝です。1998年に私が世界選手権68kg級で3連覇を達成し、キョウコ(浜口京子)が75kg級で連覇して不動のチャンピオンになりつつありました。夫と私は新しいチャレンジとして、1階級上げることにしました。でも、1999年の世界選手権の準決勝でキョウコに負けました。それから2000年の1月にエディタ・ビトコウスカ(ポーランド)にも負け、やっぱり68kg級で戦うことも考えました。その方が楽です。でも、75kg級でもう1度チャレンジする道を選びました。

 2000年の世界選手権(ブルガリア)は、現地に入ってから食べ物に当たってしまい、すべてが悪い方へ回転しました。初日はず〜と気分が悪くて、試合の間に吐いたりもしました。しかし、その日の相手はそんなに強くなかったことが幸いでした。2日目も食べ物がのどを通らず、とても弱気になってしまいました。しかし、2日目の夜のセッションでキョウコと準決勝を戦う予定だったのが、急きょ最終日の午前セッションに変更になりました。次の日の朝、何とか体力が戻り、キョウコを破ることができたのです。
(写真左)

(注:2日目の夜は、サッカーのW杯予選でブルガリアの試合があり、レスリングの試合を中止して準決勝以降を翌日に持ち越した。出場選手数が今ほど多くなかったからできたことだが、欧州のサッカー熱は高く、日本では考えられないことが起こる)

 それから決勝でビトコウスカに勝ち、75kg級での挑戦に勝つことができました。私は今、スピーチを頼まれると、2000年の優勝のことを話します。チャレンジし、積極的に頑張ることの重要性を伝えています。

 
Q:浜口選手は、相手としてどんなふうに見ていますか。

 
ノードハゲン:とても強くて、がっしりした選手です。いつもいい姿勢を保ち、なかなか体勢を崩しません。相手のミスを待って、その時を逃さずにポイントを取るのがうまいです。

 
Q:アメリカのトッカラ・モンゴメリはどうですか(昨年世界2位=昨秋のワールドカップで苦杯)。

 
ノードハゲン:非常に爆発的な選手です。「バン!」(爆発音)といった感じで両足タックルに入ってきます。

 
Q:中国のワン・シュ(昨年世界3位)は?

 
ノードハゲン:まだ戦ったことがないので、確かなことは分かりません。

 
Q:ブルガリアのフリストーバ(昨年世界4位)は?

 
ノードハゲン:試合したことがないけど、面白そうな相手になると思います。とても積極的な選手です。私は積極的な相手と組むのは好きです。しかし、彼女はまだ若いから、試合でミスももやっています。

 
Q:そして、ドイツのシャツル(昨年世界5位)は?

 
ノードハゲン:なかなか技術のうまい選手ですが、他の選手と比べたら、そんな体力がありません。

 
Q:最後にアテネ五輪の目標は何でしょうか。

 
ノードハゲン:もちろん優勝です。この間のワールドカップ(東京)は強い人と試合するチャンスを得て、とてもいい経験になりました。ある試合で集中力がなくなった時もありましたが、アテネ五輪へ向けていい経験になりました。

(撮影:宮崎俊哉)




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