【特集】「復帰してからの期間に悔いはありません」…山本美憂


 【48kg級】山本美憂  3位

 予選1回戦 ○[Tフォール、5:59=11-0]赤坂幸子(福岡大)
 予選2回戦 ○[Tフォール、5:40=13-2]平岡深雪(大東大)
 予選3回戦 ○[フォール、1:34=6-0]吉澤碧(大東大)
 準 決 勝  ●[3−5]坂本真喜子(愛知・中京女大付高)
 3位決定戦 ○[Tフォール、5:12=13-1]清水美里(ジャパンビバレッジ)

  


 3組の姉妹選手(坂本日登美・真喜子、伊調千春・馨、山本美憂・聖子)が注目を浴びてきた日本の女子レスリング界。最初に2人とも五輪を断念せざるをえなかったのは、皮肉にも長い間、女子レスリングをけん引してきた山本姉妹だった。

 五輪種目への採用が決まって復帰してきた48kg級の美憂は、準決勝で坂本真喜子に敗れ、アテネの道が閉ざされた。「自分からどんどん攻めていこう、最後まであきらめずに戦おうと思いました。こういう結果になってしまったのは、自分に何かが足りなかったのだと思います」。無念の思いでいっぱいだったはずなのに、報道陣の前に出てきてくれ、言い訳がましいことは一切言わずに負けを認めたのは、第一人者の誇りか。

 全日本選手権で負けたあと、愛息を夫の実家に預けて練習に打ち込んだ。犠牲にしてしまったことは多かったが、復帰してからここまでの期間に悔いはないという。「とても貴重な時間をすごすことができました。家族やレスリング関係者、練習相手となってくれた日大の方々に感謝しています。自分にとっていい時間で、思ったとおりにやることができて幸せです」。

 涙はとまらなかったが、気丈に気持ちを話し、「今は子供に会いたい。『ママが迷惑かけてゴメンネ。オリンピックには行けなかったけど、ありがとう』と言いたいです」と、息子の“協力”に感謝の言葉を話した。

 会見場を出ると、1987年の第1回全日本女子選手権以来のライバルであり同僚だった吉村祥子が待っていた。何も言葉を交わさなくても、2人の目から大粒の涙がこぼれた。

(取材・文=宮崎俊哉、樋口郁夫) 




《前ページへ戻る》