【特集】井上謙二が攻撃レスリングで資格獲得…フリー五輪第2次予選第1ステージ

ウイリアム・メイ   
(元国士大コーチ、    
チェコ・プラハ在住)


 2月14〜15日、ブルガリアの首都ソフィアで、アテネ五輪のフリースタイルの「ラスト・チャンス」予選が行われ、55か国から169選手がアテネ五輪への最後の28枚のキップを競いました。

 グレコローマンと女子の予選が終わってから、国際レスリング連盟(FILA)がワイルド・カード(主催者推薦枠)12枚を出場権を1枚も取れなかった国に与えるようですが、このカードはアフガニスタンやイラクの選手に与えるそうです。事実上、この大会はアテネ五輪に出る夢を持つフリースタイルの選手の最後の戦いでした。

 世界選手権と2週間前のスロバキア・ブラティスラバでの2次予選第1ステージに出てない朝鮮民主主義共和国(北朝鮮)もラストチャンスで3選手を出場させましたが、結果は1人も出場権を獲得できませんでした。

 4階級で資格を取っていた日本は、残る3階級に選手を出場させ全階級の出場権を狙いました。60kg級で、日本代表チームとして初デビューとなった井上謙二(自衛隊)が勝負強いレスリングを見せて出場資格を獲得しました。

 井上は2回戦で一昨年の欧州ジュニア選手権2位のイリエ・エシール(モルドバ)に0−2とリードされましたが、ラスト15秒でローリングを決め1−2。延長にもつれ、クリンチでつり出して同点。さらにローリングを決めて3−2と逆転勝ちしました。続く中国のゾウ・シアンデに対しても、0−2とリードを許しながらも逆転してフォールで勝ちました。

 アテネ五輪のキップをかけた準々決勝になると、井上は非常にリラックスしていました。開始ホイッスル直後に足首取りから2001年の世界学生チャンピオンのアレクサンダー・カルニツキー(ベラルーシ)を背中から倒して一気に3−0のリードを奪いました。

 残りの5分はどうすればいいでしょうか? 井上は無理にポイントを狙わなかったものの、組み手争いでうまく攻め続けてパッシブのコールを受けることを避けました。しかし4分ごろ、パッシブを取られ、カルニツキーののガット・レンチで3−2と追い上げられました。しかし井上は守りのレスリングはせず、腕取りや組み手争いで攻撃を続けました。

 ラスト10秒でカルニツキーがパッシブを取り、逆転のチャンスをもらいました。ここで井上は最後の力を振り絞って耐え抜き、そのままのスコアで試合終了。日本の5人目のアテネ五輪のキップを取りました。

 井上は 「(リードを取ってからも)確実に攻めました。守っていたら、ポイントを取られたと思う。(ラスト10秒での守りは)絶対にやらない。動いて、動いて、守りました」と振り返りました。

 井上はこの後、準決勝戦で棄権勝ち。決勝で、カタール国籍ですがロシア系のような顔のイブラヒム・アブデュラハンと対戦。先制点を取ったものの、第2ピリオドでタックルを返されて1−2へ。ハイ・クロッチのタックル(頭が外の片脚タックル)で反撃し、脚を何度か取りましたがポイントがなかなか取れません。しかし、ラスト30秒、ハイ・クロッチから両脚タックルを決め、相手を背中からマットに落として倒し、最後は5−2で判定勝ち。日本代表としての初の大会で優勝を飾り、五輪資格獲得に花を添えました。
(左写真の右は、内田彰子ドクター)

 120kg級では、若い田中章仁(専大)がアテネのキップに手をかけましたが、最後に落としてしまいました。18選手エントリーの階級で、田中は「14」の抽選番号。予選リーグを勝てば、オリンピック出場権をもらえる位置でした。

 1回戦でスペイン選手に対して文句なしの勝利を上げました。しかし3回戦では、地元ブルガリアのボジダール・ボヤディエフに対してタックルのミスとローリングで一気に0−7とリードを許してしまいました。

 万事休すと思われましたが、第2ピリオドに一本背負い投げで3点返し、そして相手の胸でクラッチを組んで2回返すなどして9−7と逆転。この段階でアテネのキップが見えました。02年世界9位のボヤディエフは必死に攻め、膝を取ってのタックルで9−8。ラスト10秒で、同じ膝取りのタックルに入りましたが、タイムアップの方が先だったと思います。

 しかし審判団はビデオチェックで協議。時計はビデオに映っていないはずですが、ポイントが入って同点。延長になってしまいました。延長では、両選手の押し合いになりましたが、ポイントもパッシブもありません。フルタイム戦っての審判の協議判定となるだろうと思われた時、田中がタックルに入りましたが、カウンターで返されアテネへの切符が消えてしまいました。

 昨年の世界選手権とスロバキアでの予選であと一歩で出場権が取れなかった96kg級(前者は中尾芳広が出場)は、小平清貴(警視庁)が2大会連続で韓国のホン・セオンユンに快勝してスタートしました。3回戦でフランス国籍をもらったばかりのロシア出身のカズベク・ミシコフに最初の15秒で先制点を取り、途中で逆転されたもののラスト15秒でローリングを決めて逆転。3−2で勝ってオリンピックのキップはまた「あと1勝」のところまで来ました。

 しかし、準々決勝戦でアレクセイ・クルプニアコフ(キルギスタン)に対していい攻撃をできず、がぶられたりバックに回られたりで0−8で判定負け。オリンピック出場の道がをなくなりました。

 全階級で出場権を取るつもりだった和田貴広コーチは「悔しいです。5階級を取って、やっぱり6階級、7階級も取りたかった。 みんな一生懸命に練習してよくやりました。 これからはアテネへ向けての練習したい」と言いました。

 全階級出場は逃しましたが、日本は2000年のシドニー五輪と比べて、ワン・ランク上がったと言えるでしょう。シドニーでは8階級中、和田コーチをはじめ4選手が出ましたが、今回は7階級で5つの切符を獲得。日本のフリースタイルは良い方向に行っているんじゃないかと思います。

 わたし個人の意見では、出場権の数のことだけではなく、レスリングの内容も良くなったと思います。組み手も良くなったし、レスリングのいろんなバリエーションが見られ、いい方向に向かっていると思います。日本レスリングの王国復活は、あと後一歩と言えるのではないでしょうか。

 フリースタイルの予選がすべて終わり、アテネ五輪の出場権を取ったのは37か国になりました。その中には五輪開催国のギリシャをはじめ、レスリングが伝統の強いイラン、米国、ロシア、ブルガリアが全階級で出場権を獲得しました。

 昨年の世界選手権で団体優勝したグルジアとトルコ、ウクライナ、キューバなどは6階級でした。日本は5階級に出場権を取りましたが、もう少し運が良ければ、全階級の可能性がありました。

 階級別では、55kg級ではロシアが2000年の世界ジュニア・チャンピオンのアレクサンダー・コントエフを出して、やっと出場権を取りました。この大会の優勝は一昨年のアジア・ジュニア・チャンピオンのヨゲシュワー・ダート(インド)。インドは6階級でアテネのキップ切符を取りました。

 60kg級では、2002年のアジア大会優勝のオユンブレグ・プレブバータル(モンゴル)が4位に入り、やっとアテネのキップを手にしました。一方、欧州3位のペトル・トアルカ(ルーマニア)が準々決勝戦でカタールのアブデュラハンに負け、アテネに行けなくなりました。
(左写真は、左から筆者のビル・メイ氏、和久井始コーチ、優勝した井上謙二)

 66kg級では、シドニー五輪4位のセルゲイ・デムチェンコ(ベラルーシ)が予選リーグでトルコ選手に負けて、アテネの夢が消えました。

 74kg級では、2001年世界チャンピオンのニコライ・パスラー(ブルガリア)が優勝して、やっとオリンピックに出ることになりました。しかし02年釜山アジア大会優勝のチョ・ビュンクァン(韓国)が準々決勝でパスラーに負け、アテネへの道が途絶えました。

 84kg級では、シドニー銅メダリストのマゴメド・イブラギモフ(マケドニア)が出場権を取りました。出場すれば3度目のオリンピックになります。ウクライナ出身のドイツ人のダビッド・ビチナシビリが優勝し、120kg級のスベン・ティエレに続いてドイツから2人目のオリンピック・エントリー選手となりました。

 96kg級では、ロシアの若きホープのタイモウラス・ティグイエフがスロバキア大会で負傷しましたが、この大会を託された2001年の世界チャンピオンのゲオルギ・ゴグチェリーゼが奮戦しキップを手に入れました。

 120kg級では、ボヤディエフが優勝して、ブルガリアが7階級で出場権を取りました。2001年の世界ジュニアチャンピオンのチーマ・パルウインダー・シン(インド)が2位になりました。(写真も筆者)



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