【特集】ベテラン横山秀和が五輪資格を獲得…フリー五輪第2次予選第1ステージ

ウイリアム・メイ   
(元国士大コーチ、    
チェコ・プラハ在住)


 アテネ五輪の出場資格獲得をかけたフリースタイルの第2次予選第1ステージが1月31日〜2月1日、スロバキアの首都ブラティスラバで行われました。

 五輪には各階級20選手が出場します。昨秋の世界選手権で10選手が決まり、今回は次の5選手が決まります。世界選手権で10位以内の国の選手は出場しませんが、58か国199選手が参加した今回の大会は、シドニー五輪金メダリスト3人がいて、世界チャンピオン経験者は10人もいました。ほかにも五輪・世界選手権のメダリスト、大陸大会や世界ジュニア選手権のメダリストも多く、レベルとしては世界選手権とほとんど同じくらいの大会だったと言っていいと思います。

 世界選手権や大陸大会は、普通3〜4日間の大会ですが、今回は2日間で、そのため、いろんなトラブルが起こりました。まず、大会は当初は2月1〜2日に行われる予定でしたが、急きょ1月31日と2月1日になりました。出場国の中にエアチケットの予約を変えるのが難しく、計量ぎりぎりの到着となったところがありました。欧州の国の中には空港の降雪で飛行機が遅れたチームもありました。

 こうした事情があったため、大会前日の計量が終わっても、その後に来る国の選手を待ちました。大会初日の午前7時、ほかの国の選手が朝食を食べているときに中国選手が計量器に乗りました。試合開始は予定通り9時でしたので、中国選手は大変だったと思います。

 初日は予選リーグから準々決勝までが行われる予定でしたが、予定通り進まず、夜のセッションの開会式を中止して進みました。それでも夜10時半に84kg級の準々決勝の試合が残ってしまいました。また60kg級に組み合わせミスがありました。

 その60kg級の山本英典は、最初の試合でいいファイト見せましたが、イランのマスードの片足タックルを止められず、1−4で無念の敗戦、2試合目はスタンドの防御の固いドルグ(ナイジェリア)が相手。1分35秒にやっと片足タックルでポイントを取りローリングとアンクルで一気に9−0へ。最後はテクニカルフォールでアフリカ・チャンピオンを破りましたが、1勝1敗で決勝トーナメントへは進めず16位に終わりました。

 2001年のワールド・カップ2位だったマスードは、準々決勝で同年の世界王者のギフィ・シサオウリ(カナダ)に3−4で負けましたが、敗者復活戦で2勝を上げて5位に滑り込み、五輪キップを手に入れました。

 アトランタ五輪の代表でもある84kg級の横山秀和選手は、いい組み合わせを引きました。4人のグループで一番強そうな中国のマンに対して、すぐ得意の小内刈りを掛け、アンクルホールドを決めて試合開始30秒で3−0でリード。残りの5分半に、国際経験たっぷりのセンスを見せて、リスクの低い戦いをしつつ自分のリードを守りました。

 その後、パナマ選手にテクニカルフォール勝ち、アフガニスタン選手に不戦勝で勝ち、決勝トーナメントに進んで、アテネのキップへあと一歩と迫りました。準々決勝の相手はイギリスの無名のシャロラスですが、この選手は1回戦でシドニー五輪で銅メダルを獲得したマゴメド・イブラギモフ(マケドニア)にフォールで勝ち、3回戦でアフリカ・チャンピオンのアディボ・ディック(ナイジェリア)に4−3で勝っています。

 しかし横山はあまり心配していなかったようです。「オリンピック3位の選手に勝っていたので、ちょっと不安がありましたが、パーテールポジションで勝負しようと思って、思った通りに行きました」と試合後に話しましたが、その言葉通り、場外際のタックルでポイントを取ったあと、パーテールポジションからの攻撃で9点を取り、最後に相手のひざに逆4の字固めに掛けて、1分25秒、フォール勝ち。4位以内を確保しアテネ五輪の出場権を取りました。

 準決勝は韓国のムン・エウイヤエ戦でしたが、ムンはひざが悪いようで棄権。決勝へ進み、1997年世界選手権2位のエルダー・アサノフ(ウクライナ)と優勝を争いました。横山の得意なカウンターレスリングがうまく行かず、アサノフの片足タックルを止められずに0−4で負けましたが、2位入賞は十分に所期の目標を達成しました。

       

 96kg級では、小平清貴がホン・セオンユン(韓国)相手に気持ちのいいテクニカルフォールでスタートし、続いてスタンドでは攻めにくそうなナイジェリア選手に、グラウンドでまたさきを決めて、8−2に勝って決勝トーナメントに進みました。しかし、準々決勝でアゼルバイジャンのルスタム・アガエフに腕取りで攻められ、足払いで倒れて0−4とされ、最後は1−9で負けてしまいました。

 普通は勝ち点によって5〜8位の順位が決まりますが、今回は敗者復活戦を経て5・6位決定戦が行われます。小平の相手は、ヨーロッパ2位のファティ・カキログル(トルコ)か、2001年の世界ジュニア選手権3位のタイモウラス・ティグイエフ(ロシア)になる予定でした。

 しかし両者の準々決勝で、カキログルがティグイエフにかわず掛けみたいな技を掛け、ティグイエフが守るため手を出したものの、ひじが逆に曲がって負傷。以後を棄権することになりました。そのため小平は敗者復活1回戦に勝ち、5・6位決定戦に進み、五輪資格を狙うことになりました。

 相手はスイスの筋肉もりもりのロルフ・シェラーで、小平は腕取りで積極的に攻めましたが、良く取りましたが、決定力に欠けてポイントにつながりません。逆に第1ピリオドの終了直前、シェラーが1Pパッシーブ(警告)で先制。第2ピリオドも場外となるはずのタックルにポイントが入り、3−0で微妙な判定勝ち。スイスで初のアテネ五輪出場を決めました。

 日本選手で一番若い120kg級の田中章仁は厳しい抽選を引きました。初戦はロシアの1997年97kg級世界王者のクラマゴメド・クラマゴメドフで、ゴービハインド2回、ガット・レンチ2回などでテクニカルフォールで負けてしまいました。2回戦はカナダのプロのアメフト選手のウェイン・ウェザーズに一時は0−3のリードを許したものの、逆転で7−4と勝ち1勝をマーク。14位に入って次につながる結果を残しました。

 その他の階級では、55kg級ではシドニー五輪の金メダリストのナミク・アブデュラエフ(アゼルバイジャン)と世界チャンピオン経験の2人(レネ・モンテロ=キューバ、ハーマン・コントエフ=ベラルーシ)が五輪のキップを手にしました。しかし、アジア2位のヤン・ヤエフーン(韓国)と同3位のシャンカー・パテル・クリパ(インド)、欧州3位のマブレット・バティロフ(ロシア)は出場権を取れませんでした。

 60kg級では、アトランタ五輪銀メダルのギフィ・シサオウリ(カナダ)が4位に入り、32歳にして3度目のオリンピック出場権を取りました。世界2位に2度なっているオユンブレグ・プレブバータル(モンゴル)とヨーロッパ3位のペトル・トアルカ(ルーマニア)はまだオリンピックの枠外で、第2ステージ(2月14〜15日、ブルガリア・ソフィア)で資格を目指すことでしょう。日本は井上謙二がソフィア大会に出ます。

 66kg級では、シドニー五輪の金メダリストのアリ・レザ・ダビエル(イラン)が準々決勝では米国のクリス・ボノに2−2の協議判定で負けましたが、敗者復活戦で確実に2勝を上げ、5位に入ってアテネ五輪の予約をしました。まだ取っていない強豪は、シドニー五輪4位のセルゲイ・デムチェンコ(ベラルーシ)とヨーロッパ3位のオエメール・チュブクチュ(トルコ)です。
  
 74kg級では、シドニー五輪優勝のダニエル・イガリ(カナダ)が資格を取り、アルメニアのアライク・ゲボルキアンが3度目のオリンピック出場資格を取りました。しかし、世界チャンピオン経験者のニコライ・パスラー(ブルガリア)、アトランタ・シドニー両五輪でメダルを獲得したの韓国のヤン・ヤエスンはまだ"ウエーティング"です。ポスト・レイポルド(昨夏、急病で倒れ引退した強豪)のドイツはまだ資格を取っていません。

 84kg級では、横山をはじめ、韓国のムン、イランのフェリドン・ガンバリピサールのアジア3選手が資格をつかみました。しかしシドニー五輪銅メダリストのマゴメド・イブラギモフ(マケドニア)とアジア2位のシャミル・アリエフ(タジギスタン)はまだ枠外です。

 96kg級はロシアがまだ資格を取っていません。今回出場したティグイエフはひじをけがしたため、次回の出場は不可能でしょう。昨年の欧州選手権優勝で普通は84kg級の選手のカドシモウラド・ガチャロフでしょうか、2001年世界チャンピオンのゲオルギ・ゴチェリーゼでしょうか。

 120kg級では、シドニー五輪で銅メダルを取ったアレクシス・ロドリゲス(キューバ)が田中を破ったロシアのクラマゴメドフに勝ちました。ちょっと一方的の6−1の判定でした。五輪には、シドニー五輪チャンピオンのダビッド・ムスルベスが出てくるでしょうか? ポーランドのマレク・ガルムレビズが4位に入り、92年バルセロナ(7位)、96年アトランタ(5位)、00年シドニー(4位)に続いて4度目のオリンピック出場権を確保しました。
(写真も筆者撮影)




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