【特集】死闘再び! 伊調千春VS坂本真喜子





 2008年北京五輪の女子4階級実施が正式に決定。そのため、48、55、63、72kg級では上下の階級からも強豪が集まり、世界選手権の代表争いより過酷な闘いがまたしても展開されることになった。48kg級はアテネ五輪前と同じく、アテネ五輪銀メダリストの伊調千春(中京女大=来年4月からALSOK綜合警備保障)と今年世界3位の坂本真喜子(埼玉・和光ク)の争いが予想される。

 ことし51kg級で闘っていた伊調千春は、12月21〜23日に東京・代々木第二体育館で行なわれる天皇杯全日本選手権(女子48kg級は21日)には、迷った末に48kg級でエントリー。北京五輪へ向けた闘いが早くも火花を切ることになった。

 前回の坂本真喜子との3度の対戦は、中京女大選手同士の対戦であり(最初の2試合は、坂本が中京女大附高)、チームメートはどちらにも肩入れできず、激闘のわりにはシーンと静まり返った中での試合だった
(写真右は、04年4月のアテネ五輪代表決定プレーオフ。赤が坂本)。今回はチームが分かれ、スタンドの応援合戦もヒートアップしそう。2008年春まで2年半近くにわたって続くであろうサバイバルマッチに臨む2人を追った。(取材・文=樋口郁夫)


伊調千春

 48kg級への階級ダウンが成功し、アテネ五輪出場を果たした伊調千春は、ことし51kg級へ戻した。3月のジャパンクイーンズカップでは、2年前までの数年間、対戦成績で分が悪かった坂本日登美を下し、オリンピックという大舞台を経験した選手の強さを見せた。5月のワールドカップでも快勝。この階級でも世界トップレベルの実力を見せたが、6月の世界選手権代表決定プレーオフで坂本のリベンジに遭い、世界選手権への道を閉ざされてしまった。

 「3月の試合、第2ピリオドを6−0で勝ち、(プレーオフでは)心のどこかで『勝てる』という気持ちがあったのだと思います。最終的にはコイントスで決まったわけですけど、運も実力のうち。日登美の方が『勝ちたい』という気持ちが強かったんだと思います」。2002年から世界の舞台に出場し続けた伊調にとって、世界への道を閉ざされたショックは大きく、7・8月はほとんどマットに上がらなかったという。

 世界選手権は初めて観客席から見た。自らが出場するはずだった51kg級のマットには、それを阻んだ日登美の姿があった。しかし“憎さ”はなく、「やっと戻ってきたね」という、うれしい気持ちの方が強かったという。

 日登美は、青森で少女時代から競い合った同い年のライバルであり(学年は坂本がひとつ上)、2001年まで世界選手権への出場がならなかったのは日登美の壁があったからだ。しかし自らを奮い立たせてくれた選手だ。「ライバル? その前に大切な友達でした。ひざのケガがなかなか治らず、51kg級がアテネで実施されないことで悩んで…。『元気出してよ』『マットに戻ってよ』って思っていたのに、結局、八戸へ戻ってしまって」。そんなどん底からはい上がり、最高の舞台で光り輝いた姿を、とても素直な気持ちで見つめることができた。

 その段階では北京五輪で女子7階級実施の可能性もあり、この12月から48kg級で闘うことまでは考えていなかったが、日登美に対してそうした気持ちになったということは、無意識のうちに51kg級での闘いにピリオドを打ったのだろう。自身のこれから進む道を予感したかのように…。「北京五輪が4階級に決まったので、48kg級に専念します。もう51kg級で闘うことはありません」ときっぱり言う。

 同じ立場にある日登美や59kg級の正田絢子、67kg級の坂本襟らが、今回はまだ“自分の階級”に出場するのに対し、いち早い決断だった。夏の間に落ち込んだ気持ちは立ち直り、今はその後遺症もなく真喜子との闘いに向けて燃えている。世界選手権で見た真喜子は、「スピードがある」と思った反面、「パワーのある選手には弱いのかな」という感想も。しかし、相手のスタイルを考えて対策を練ってしまうと、「相手がその通りに動かないと、どうしていいか分からなくなる。あまり意識せず、自分のレスリングをやることだけを考えていきたい」という。

 アテネ五輪前は真喜子に2勝1敗と勝ち越し、オリンピックへのキップを手にした。それでも、真喜子の挑戦を受けるという気持ちはない。「一度48kg級を離れて、また戻ってきた。挑戦者です。その気持ちで闘います」。2003年秋には、とても大変だった48kg級への階級ダウンも、一度経験していることもあってか、大変さは感じない。「もともと48kg級の体だったのかもしれません」と体調も万全。ライバルとの1年8か月ぶりの対戦に燃えている。


坂本真喜子

 宿敵・中国(Ren Xuezeng=任雪層)に敗れ、銅メダルに終わった世界選手権。「中国戦の前までは、ポイントもしっかり取れ、練習してきたことができました。中国戦は、第1ピリオド、ぎりぎりのところでポイントをやってしまった。粘りが足りなかった」と振り返る。5月のアジア選手権の決勝で負けた相手であり、リベンジを胸に臨んだ世界選手権だっただけに、敗戦直後は落ち込み、やっとの思いで3位決定戦を闘って銅メダルを手にした。

 それから2か月。そのショックも完全になくなり、今は全日本選手権へ向けて燃える気持ちになっている。伊調千春の階級ダウンは、出場選手の発表前から耳に入っており、かなり前から覚悟ができていた。「恐怖感もあるけど、結果はどうであれ、自分のレスリングをやり、悔いなく闘いたいと思います」。受ける立場なのか、挑む立場なのかは分からないが、早くも訪れた宿敵との対戦を平常心で待っている。

 アテネ五輪前は1勝2敗。最初の試合は「何も考えずに臨んだ試合」、2度目の試合は「姉(日登美)と十分に対策を練って臨んだ試合」、最後の決戦も姉と対策を練ったが「千春選手の方が上と感じた」という敗戦だった。

03年天皇杯全日本選手権   伊調千春○[2−0=9:00]●坂本真喜子
04年ジャパンクイーンズカップ 伊調千春●[0−3=6:00]○坂本真喜子
04年五輪代表決定プレーオフ 伊調千春○[3−0=6:00]●坂本真喜子

 だが、当時の結果や試合展開は「参考にはならない」と言う。ルールが違うからだ。試合時間が2分3ピリオドの2ピリオド先取制に変わり、前回に取られたポイントは、いずれも当時のルールである四つ組クリンチの攻防での失点。いま、そのルールはなくなっている。1年8か月の間のお互いの成長とともに、全く新しい土台で勝負が始まると考えていいだろう。

 さらに、別のチームの選手になったことも、新たな闘いの幕開けを感じることだ。同じ道場で練習していると、どうしても「見られている」といった意識になってしまい、やりづらかったという。違う道場で練習していると、“ライバルとして闘う”という気持ちになれるそうで、それが前回以上の気持ちの高揚につながっているようだ。

 違うことがもうひとつある。前回は、チーム内の48kg級あるいは51kg級に、伊調千春を別にして世界トップ選手がいなかったのに対し(注・高校入学時には姉・日登美がいたが、アテネ五輪を目指す頃は戦列を離れていた)、今回は1階級上の世界チャンピオンがいることだ。1階級上の世界最強の選手と毎日練習できる…。こんな素晴らしい練習環境はない。最強軍団・中京女大での練習はためになり、吉田沙保里や伊調馨ら世界チャンピオンの存在が世界一を目指す意識を高めてくれた。今は、女子の選手数は少ないものの最高の練習相手がいる。中京女大に負けず劣らずの練習環境だ。

 「アテネ五輪へは、行かなくてよかったと思うんです。あの時、もし五輪に行っても、メダルは取れなかったと思います。アテネに行けなかったことで、北京五輪への強い気持ちが生まれました」。この2年間の自らの成長をしっかりと感じているがゆえに出てくる言葉にほかなるまい。

 ことし4月に自衛隊に入隊した日登美に対し、真喜子は近くで一人暮らしをしている。栄養を十分に考えた自衛隊体育学校生の食事も、隊員ではない真喜子が口にすることはできない。姉の生活を見るにつけ「早く入隊し、レスリングにより打ち込みたい」という気持ちがつのるという。

 しかし、父から「一人で暮らす経験は、これからの人生で絶対に役に立つ。(恵まれた環境の)ありがたみも分かる」と言われ、この期間を大切な時期と思うようにしている。「自立心をつける期間?」という問いに、「そうありたいですけどね」と笑った20歳。伊調千春との再戦第1ラウンドに注目したい。




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