【特集】63kg級への復帰はいつ? 伊調馨へのリベンジにかける正田絢子






 国際オリンピック委員会(IOC)は10月27日、理事会で2008年北京オリンピックの実施種目を決め、国際レスリング連盟(FILA)から要望のあった女子の3階級増(7階級実施)を却下。これによって、同オリンピックでの女子4階級が事実上決まった。IOCが女子スポーツの普及を掲げていることや、地元中国の有望種目にレスリング女子があることなどからわずかな望みがあったものの、五輪規模を今以上にしないという方針のもとに、その希望はついえてしまった。

 しかし59kg級で世界一に返り咲いた正田絢子(ジャパンビバレッジ)は「別にショックとか、残念だったとは感じません」と、こともなげに言う。59kg級での五輪出場を目指していたわけではない。「オリンピックは女子4階級」と思い続けてきた。北京五輪までには63kg級へ戻し、アテネ五輪の前にやられ続けていた伊調馨(中京女大)へリベンジしたうえで出場するつもりだった。4階級と正式に決まったことで、当初の目標を目指して突き進むだけである。
(写真右=押立杯関西少年選手権であいさつする正田絢子。左は吹田市民教室時代の恩師・押立吉男代表)

 59kg級へ落としたのは、日本代表になって世界選手権へ出場することで世界での闘いを経験し、世界一に返り咲くことで自信をつけてひと回り大きくなるためだった。減量さえクリアできれば59kg級の方が可能性が高いと感じた。そして見事に日本代表となり、世界選手権へコマを進めた。

 ハンガリーのブダペストで行なわれた世界選手権は、17歳の時に出場した6年前の世界選手権とは比べものにならないほど選手の数が増えてレベルが高くなっており、規模もステータスも高くなっていた。その最高の舞台へジャパンジャージを来て乗り込む緊張感、表彰台の一番高いところに昇った喜び
(写真左)、多くの人から祝福の声をかけられる幸せ…。63kg級のナンバー2でいては絶対に味わうことのできない経験を積むことができた。

 帰国してからは、所属のジャパンビバレッジのみならず、中学生までを過ごした大阪・吹田市、高校から住んでいる京都・網野町、さらには京都府からも祝賀会が催され、忙しくてなかなか本格的な練習を再開できないながらも、「新たな闘志が湧いた」と言う。59kg級へ落としたことで体力を落としてしまった面はあるだろうが、世界一に返り咲いたメリットは十分すぎるほどあったと言える2005年の闘いだった。

 もっとも、そう大きくパワーを落としたわけではない。ジャパンクイーンズカップで対戦した山本聖子は「(これまでの)59kg級の選手にはいない、すごい力だった」と評した。世界選手権では、「誰が相手でも、力負けはしなかった」と振り返り、外国選手のパワーに引けをとらない体力は維持していた。デメリットはあまりなかったと考えてさしつかえあるまい。

 だが、63kg級で闘うには、「今の体力ではダメです」ときっぱり。このまま59kg級で闘い続け、北京五輪予選の時に階級を上げて伊調に挑んでは力負けしてしまうと感じている。63kg級での日本代表と五輪優勝が目標である以上、63kg級で一定の期間を闘い、決戦へ臨むことが必要になってくる。その時期は? 正田は「もう決めています」と、鮮明な青写真を完成させていることを口にする。

 その時期を具体的に問うと、「秘密です」とピシャリ。「今年の全日本選手権は?」という問いにも「さあ? 開けてのお楽しみにしてください」と笑う。そうしたしぐさから感じられるのは、世界チャンピオンとしての余裕であり、注目される中で闘えるやりがいの表情だ。埋もれていた5年間を取り戻そうとするかのように、正田の表情は生き生きとしている。

 時期がいつになるかは分からないが、そう遠くない将来、自信をつけた正田と受けて立つ伊調馨の壮絶な一騎打ちが実現することは間違いない。アテネ五輪の前は、吉田沙保里と山本聖子の“現役世界チャンピオン同士の闘い”が注目を集め、伊調と正田の“新旧世界チャンピオンの闘い”
(写真右=赤が正田)は、注目という点で一段落ちた。

 今度は違う。伊調と正田の“現役世界チャンピオン同士の闘い”が、五輪代表争いの主役として一番の注目を浴びる可能性は十分。日本の女子レスリングは、またもや壮絶な闘いを私たちに提供してくれそうだ。



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