【特集】芽生えた強烈なプロ意識。リーダーの自覚が出てきた吉田沙保里






 アテネ五輪を含めて4年連続で世界一に輝いた女子55kg級の吉田沙保里(ALSOK綜合警備保障)。帰国してからは、中京女大の100周年記念のシンポジウムで野口みずき選手(女子マラソン)や井上康生選手(柔道)とパネルディスカッションをしたかと思えば、翌日には東京・駒沢で行なわれた日本オリンピック委員会のオリンピックフェステバルに参加。その日のうちに愛知県へ戻り、翌日からの新潟・十日町市での全日本女子チームの合宿に参加と、目まぐるしく動く毎日。体がいくつあっても足りないような日々をおくっていた。

 しかし、「レスリングが世間から注目され、盛んになるなら、頑張りがいがあります」と話し、それほど苦にはなっていないことを強調した。駒沢でやった少年少女選手相手のレスリング教室にしても、「こうしたことを積み重ねていけば、競技人口が増える。増えていけばレスリングが盛り上がる。将来、私が引退したあとでも、レスリングが盛んになっていれば、とてもうれしいと思うんです」と言う。

 本心は、激戦のあとの休む間もないようなハードスケジュールに音を上げたいのかもしれない。だが演技だとしても、女子レスリングを代表する選手としての自覚があればこそのこと。2、3年前のまだ幼さの残る吉田の口から、こうした言葉はすらすらとは出てこなかった。そこに、選手として、そして人間としての成長を感じとることができる。

 ふつう、現役選手というのは自分のことを考えるのが精いっぱいで、その競技全体の発展を口にする選手はほとんどいない。発展途上の選手は当然としても、一流選手であってもだ。そんな中での例外の一人が、カズことサッカーの三浦和良選手だったといわれる。まだサッカーがアマチュア(日本リーグ)だったころ、三浦選手は巨人戦があるかないかをいつも気にしていたという。巨人戦が組まれていなかったり、雨で中止になれば、新聞でのサッカーのスペースが大きくなるからで、そんな時はあえて記事になる話題を提供したそうだ。

 ここまでサッカー全体の発展を気にしていた選手など、三浦選手以外にいなかったという。「ブラジルでもまれて帰国。本場で身につけたものは、経験や技術だけではなかった。強烈なプロ意識。それがあったから、日本のサッカーを引っ張れたし、キングになれた。サッカーが露出すること。マスコミを通じて自分自身を売り込み、競技を売り込む。ファンを増やし、人気を高めることこそ、プロとしての仕事だと考えていた。」(日刊スポーツ・荻島弘一記者)。

 今の吉田は、カズに優るとも劣らないプロの意識をもって世間に接していると言える。そのひとつが冒頭の言葉であり、アテネ五輪のあと、何度聞かれたか分からない「連勝記録はいくつまで伸ばしたい?」という質問に対する対応だ。相手は違っても、何度も同じことを聞かれたら、普通はうんざりした表情が浮かぶものだが、吉田にそうした表情をされた記者はいないはず。これも、強烈なプロ意識を持っているがゆえの行動と解釈したい。

 これほどマスコミから注目されるネタを持っている選手は、現在のレスリング界では吉田と浜口京子だけだろう。質問をシャットアウトすることは、レスリングが世間に出る機会をつぶすことを意味する。プロのする行動ではないのである。

 吉田を大学入学から一貫して指導している中京女大の栄和人監督は「質問されることを楽しんでいますよ。励みにもなっているみたいだし。取材制限? まったく考えていない。取材のプレッシャーに負けるような選手ではない」ときっぱり。吉田の金字塔がより強烈な輝きを持つためにも、どんどん取材し、報道してほしいという姿勢すら感じられる。

 「これまでのどの大会よりも厳しいことが予想された」(吉田)という今年の世界選手権だが、終わってみれば失ポイント0の完全優勝。要注意だった欧州チャンピオンのナタリア・ゴルツ(ロシア)はレスリングに進歩がなく、02・03年世界2位のティナ・ジョージ(米国)とアテネ五輪3位のアンナ・ゴミス(フランス)には落日の兆候が見えている。アテネ五輪2位のトーニャ・バービック(カナダ)との実力差も明白。

 躍進が予想される中国の蘇麗慧(ス・リフイ=中国)にしても、「3年あれば、どう伸びるか分からない」という警戒心を持つ一方で、一定のレベルまで伸びた選手がもう一段上へ行くには、3年では足りないことを経験として知っている。「試合時間が短くなり、吉田の集中力のすごさが、いい形で出ている」とは栄監督。「世界に敵なし」という言葉は、決してオーバーな表現ではないだろう
(写真左=世界選手権のメダリスト、左から蘇麗慧、吉田、ゴルツ、バービック)

 大学を卒業して“レスリングのプロ”になり、これまで以上に強烈なプロ意識を持った吉田が、 油断という敵に敗れることは考えたくない。そして、もうひとつの“敵”である世間へ、自らとレスリングの存在を十分にアピールしてほしいと思う。北京五輪で、一段と真っ赤に輝いてくれるためにも。

(取材・文=樋口郁夫、2005年世界選手権撮影=矢吹建夫)


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