【特集】世界一奪還はならなかったが、敗因は明白。Vロードは見えている浜口京子






 世界選手権から帰国し、8日後の10月11日、女子の代表選手は“故郷”新潟県十日町市にいた。ここは女子レスリングの“虎の穴”(合宿所)があるところであり、市民は全面的に女子レスリングを応援してくれている。凱旋祝賀会(写真右)では、金メダルを取った選手には祝福が、取れなかった選手にはねぎらいと今後の激励の声が、数知れず送られた。

 72kgの浜口京子(ジャパンビバレッジ)は「十日町の人たちのあたたかい応援に感謝の気持ちでいっぱいです。十日町は小さな頃から何度も合宿をやってきて、父や母が何人もいるところ。第2のふるさとです」と話す。好調の時だけではなく、どんな時にでもあたたかい声援を送るのが本当のサポーター。今年も金メダルを取れなかったが、そんな自分でも以前と変わらずに受け入れてくれた人々の存在のおかげで、心の傷はかなり癒された様子だ。

 しかし、2年連続V逸の悔しさを忘れたわけではない。負けを認め、問題点を探し出し、来年へとつなげなければならない。世界選手権では、準決勝までの浜口と決勝の浜口が別人のように動きが違った。まず、この点を自己分析してもらうと、「何が何でも勝つ、という気持ちが、相手より少なかったからだと思います」と、意外とも思える答が返ってきた。

 決してヤル気を持たずにハンガリーへ向かったのではない。アテネ五輪で金メダルを逃しただけに、「絶対に勝つ!」という気持ちは強かった。だが、その気持ちは準々決勝で王嬌(中国)に勝った時、「これで優勝できるだろう」に変わってしまった。

 浜口がアテネ五輪で負けた相手が中国の王旭(ワン・シュ)。現在、王旭は肩の手術をして戦列を離れているとのことで、出てきたのは以前67kg級で闘っていた王嬌(ワン・チアオ)。しかし5月のアジア選手権では、村島文子(中京女大ク)にプロレスのジャーマンスープレックスのような豪快なバック投げを決めて優勝するなど、五輪チャンピオンの国の代表選手にふさわしい実力を持っていると考えられた。

 こんな相手に、第1ピリオドはわずか1分8秒で9−0のテクニカルフォール勝ち。第2ピリオドもポイントを許さずに1−0で勝ち、快勝といえる内容で勝った
(写真左)。そのため、ここで大きな達成感を得てしまい、「絶対に勝つ!」という気持ちが薄れてしまったのだろう。

 準決勝のスベトラーナ・サヤエンコ(ウクライナ)は、その気持ちで闘っても勝てる相手だったが、決勝の相手のアイリス・スミス(米国)は急成長を遂げており、5月のワールドカップで負けたリベンジにかけてきた。その気持ちの状態で闘っては、勝てないのも当然だったのかもしれない。

 アニマル浜口コーチは、自省を込め「本人も、コーチも、マスコミも、すべて中国戦がヤマと考えてしまった。こんな状況では、中国を破った段階で気持ちが切れても仕方なかった」と、娘をかばった。

 アトランタ五輪女子柔道の谷(当時田村)亮子選手がそうだった。準決勝で最大の敵と思われたアマリリス・サボン(キューバ)を破り、この段階でコーチ、柔道関係者、専門記者・担当記者のだれもが金メダルを予想した。しかし決勝では、16歳のケー・スンヒ(北朝鮮)に敗れた。「どう攻めようか考えが固まらない。気持ちが盛り上がらなくて、集中力がなくて…。絶対に勝ってやるという気持ちが薄れて…」とは、試合後の谷選手のコメント(時事通信報道)。何年か経った時、谷選手は「サボン戦のあと、笑顔の私が写真に写っていました。あの時、闘う気持ちが切れてしまっていたのでしょうね」と振り返っている。

 今回、王嬌に勝ってマットを降りた浜口の顔には、満面の笑みが浮かんでいる
(写真左)。世界一復帰をかけた2002年大会で、前年チャンピオンのエディタ・ビトコウスカ(ポーランド)を破った時は、その笑顔はなかった(写真右)。今回の敗因は明白。アトランタ五輪で谷亮子選手がはまった落とし穴と全く同じ落とし穴。あの谷亮子選手ですら落ちてしまった陥穽(かんせい)こそが、最大の敗因だったと断定したい。

 浜口は、王嬌戦のあとに気持ちの切れが多少なりともあったことは認めながらも、「負けは負けです」と話し、言い訳がましい言葉は一切口にしなかった。「自分の欠点を明確に発見できたので、世界選手権に出たのは無駄ではありませんでした」。それが精神面のことなのか、技術面のことなのかを明かすことはしなかったが、世界一復帰の気持ちは衰えていない。巻き返しをはかる今後の強化については、「新しいチャレンジも必要ですね」と話し、国内での練習だけではなく、海外遠征も視野に入れていくという。

 母・初枝さんは「10年以上レスリングをやってきて、やっとレスリングが分かってきたみたい。今が一番楽しいんじゃないかしら」と話してくれた。ますますレスリングにのめりこみ、打ち込む気持ちになっているようだ。

 世界一奪還はならなかったが、それは実力が衰えているからではない。繰り返しになるが、谷亮子選手でさえも陥ってしまった落とし穴がゆえの敗戦である。谷選手がその後、五輪二連覇を達成したことを考えれば、このつまずきが浜口のレスリング人生に何をもたらすかは明白だろう。北京五輪までのビクトリー・ロードは、はっきりと見えている。

(取材・文=樋口郁夫、2005年世界選手権撮影=矢吹建夫)


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