【特集】米国が3大会連続で金メダル「0」。どうしたフリースタイルの本家






 世界選手権のフリースタイルで、米国は74kg級のジョセフ・ウイリアムズと120kg級のトリー・トンプソンが銅メダルを獲得したのが最高という成績に終わった。世界選手権に限れば、1999年に130kg級のステファン・ニールが勝って以来、出場した大会は3大会連続金メダル「0」という不振(2002年イラン大会は不出場)。

 逆に旧ソ連が7階級中6階級を制する強さを見せ、かつてフリースタイルの雄を争った米国とソ連の対決は、現在ではソ連の圧倒的優勢という状況になってしまった。
(写真右:74kg級で3位に入ったウイリアムズ=右端=、120kg級のトンプソンとともに米国で最高の成績だった)

 ソ連が解体されるまでのフリースタイルでは、ソ連に真っ向から対抗できる国といえば、米国、ブルガリア、トルコ、イランくらいだった(東京五輪後の十年間は、軽量級に限れば日本がソ連以上の強国だった)。バルセロナ五輪での国別対抗得点では、EUN(ソ連解体前最後のチーム)の77点に対し、米国が75点で、わずかの差で2位。

 当時は勝ち点方式という複雑な予選方式を採用しており、フリースタイル62kg級では、すでに決勝進出を決めていた米国のジョン・スミスが予選最後の試合でキューバに敗れたのは、「スミスが勝てばEUNが3位決定戦へ、スミスが負ければEUNが5・6位決定戦へ」という状況であり、EUNの順位を下げるためにわざと負けたのではないか、とまでささやかれたほど。その真偽は不明だが、このうわさも、まんざらウソとは思えないほど、米国は打倒ソ連に闘志を燃やしていた。

 ソ連が解体され、二大強国の対立は終了。1993年は国別対抗得点で米国が75点をマークし、53点のロシアを大きく引き離して初の団体世界一へ。94年こそ金メダル0に終わったものの、95年大会は金メダル4個を獲得して71点をマーク。2位イランの59点、3位ロシアの58点を引き離して、世界一の座を揺るぎないものにした。

 それから10年後。ロシアの「4階級制覇、54点で団体優勝」に対し、米国は「銅メダル2個、20点で8位」。米国の上にはロシアだけではなく、グルジア、ウクライナという解体直後は米国の相手ではなかった国もある。90年代中盤の米国の強さはどこへ行ったのか。

 95年大会で金4個を取らせた時に指揮をしていたブルース・バーネット元監督は、バルセロナ五輪王者のケビン・ジャクソンと世界V2のテリー・ブランズが指導しているにもかかわらず、この成績ということが信じられない様子。「理由はよく分からない。帰国してから研究したい」と、なすすべなしといった表情。米国協会のメディア担当のゲーリー・アボット氏は「新ルールに対応できなかった」と、不振の原因を話す。

 確かに、リードしていながら終盤にポイントを取られたり、警告を取られたりで負けになるケースが多かった。2分間の闘いにおけるスタミナ配分がしっかりできていなかったのは間違いない。日本協会の高田裕司専務理事は「平均して防御が弱い。防御が強ければ、1点さえ取れば勝てる。米国の選手はそれができていない」と分析する。

 00年シドニー五輪と04年アテネ五輪では金メダルを1個ずつ取り、辛うじてフリースタイル発祥の地の伝統を守ってはいるが、このままなら、08年北京五輪で金メダル「0」という事態もありうる。果たして伝統の力を発揮し、はい上がることができるか。

(取材・文=樋口郁夫)



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