【特集】大橋正教の目「スタンドでの積極性を生かしたい」…世界選手権最終日





 日本男子の最後の期待を背負って闘った男子グレコローマン60kg級の笹本睦選手が準々決勝で敗れ、日本は03年世界選手権、アテネ五輪と続いたメダル獲得の伝統を守ることができませんでした。昇り調子と言われましたが、やはり世界の壁は厳しいというのが実感です。

 笹本選手は1回戦のロシア戦がひとつの山となりました。スタンドから積極的に技を仕掛け、巻き投げ、胴タックルと試みました。ポイントにはつながりませんでしたが、グラウンドの攻防になるとどちらに転ぶか分からないのが今のルールですので、スタンドから1点でも多く取るという思いがあったと思います。

 グラウンドでも俵返しやが横崩しが決まり、いい動きだったと思います。ただ、負けたルーマニア選手に対しては、クロス・ボディ・ロックの攻撃(リフト)の部分で若干劣っていたかなあ、という気がしました。ルーマニアの選手は1回戦の試合から注意して見ていましたが、1試合に1度は3点リフトを決めていました。負けた準決勝のイラン戦でも、リフトを決めています。

 笹本選手のそれが大きく劣っているわけではありませんが、劣っていたということは認めざるを得ません。私の所属の選手です。ALSOK綜合警備保障の監督として、「次は絶対に勝たせる」と言いたいところですが、今の段階では、何をどうアドバイスしていいのか分からないのが現実です。帰国して、ビデオテープを見て研究したいと思います。

 重量級の2選手は、ちょっと差がありました。今のルールでは、手足が長い選手が有利ですので、パワーだけでなく、体型的にも日本選手には厳しい闘いとなっています。スタンドでもグラウンドでも、確実にポイントを取れる技を身につけないと、この差を縮めることは難しいというのが実感でした。

 2005年の世界レスリング界の最大のイベントが終わりました。帰国後、今回の大会での経験を整理し、早急な対策と再強化に取り組みたいと思いますが、年末には全日本選手権が控えています。今回の世界選手権代表は、再び国内の選手からの挑戦を受けなければなりません。休む間もなく次の闘いに向かって走らなければなりませんが、今しかできない挑戦です。苦しくても頑張ってほしいと思います。

 7日間のご愛読、ありがとうございました。

 大橋正教 1964年12月7日、岐阜県生まれ。岐阜一高から山梨学院大へ。大学時代、のちにソウル五輪に輝く小林孝至選手に土をつけた唯一の選手。89年のアジア選手権グレコローマン48kg級2位のあと、92年アジア選手権で優勝。同年のバルセロナ五輪代表へ。現在はALSOK綜合警備保障監督。



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