【特集】優勝の瞬間、両親を思い出して号泣…女子59kg級・正田絢子





 決勝でフォール勝ちを収めると、59kg級の正田絢子(ジャパンビバレッジ)はマットに突っ伏してしばらく動かなかった。あふれる涙をこらえ切れなかった。

 「うれしすぎて何も考えられなかった。この6年間やめようと思ったこともあったけれど、今は最高の気持ちです」

 98年世界ジュニア選手権では63kg級3位、翌99年世界ジュニア選手権を制覇すると、同年、17歳にして世界選手権62kg級を初制覇した。

 しかし、99年、00年の全日本選手権ではともに決勝で敗退。再起を目指すため、01年9月、脱きゅうがクセになっていた右肩にメスを入れる決断をした。女子レスリングの五輪正式種目採用の知らせは、病院のベッドで聞いている。

 「今ここでじっとしているわけにはいかないと思いました」。少しでも身体を動かそうと、手術後はすぐ自転車に乗り身体を動かしたが、02年以降は63kg級に伊調馨が台頭し、アテネ五輪出場を逃してしまう。

 筋力トレーニングにも励んだ。今では天井から垂れ下がるロープを両手だけで登ることもできる。再び世界の頂点を目指して63kg級で出場した2004年全日本選手権では伊調馨に決勝で敗退。世界選手権出場を目指し、今年のジャパンクイーンズカップは59kgに変更し、プレーオフにも勝利してつかんだ切符だった。

 パワーを武器に1回戦から連続してフォール勝ち。決勝では2ピリオド目に得意の飛行機投げで相手をねじり、最後はテクニカルフォールで勝負を決めた。

 「6年前の優勝とはぜんぜん違います。これは自分のなかで大きな自信になるし、本当に頑張ろうという気になりました」

 マットに突っ伏していたとき、考えたのは両親のことだったという。高校時代から親元を離れていた彼女は、「ちょっと親孝行ができたらいいな」と話した。赤いベルトと金メダルは何よりの親孝行となったはずだ。

(取材・文=三好えみ子)




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