【特集】“最も厳しい世界選手権”を勝ち抜いて4度目の世界一…女子55kg級・吉田沙保里





 3階級で決勝進出を果たした日本。その先陣を切ってマットに上がったのが55kg級の吉田沙保里(ALSOK綜合警備保障)だった。相手は5月のアジア選手権でフォール勝ちしている蘇麗慧(ス・リフイ=中国)。しかし、欧州チャンピオンのナタリア・ゴルツ(ロシア)を破っての決勝進出で、躍進・中国の波に乗って成長していることは十分に予想された。「一度やっているがゆえに、怖いという気持ちもあった」という。

 得意の正面タックルを「研究されている。返し技を受けやすい」として、あえて連発しなかった吉田だが、決勝の舞台では開始5秒、バーンという感じで豪快なタックルを決めた。惜しくも1点と判定されたが、蘇麗慧の出鼻をくじくには十分な破壊力。

 途中、ちょっぴり危ない体勢になったりもしたが、ポイントを失うことなくピリオド・スコア2−0で快勝。アテネ五輪を含めて4年連続4度目の世界一に輝いた。栄和人監督から、ALSOK綜合警備保障の寄せ書きの入った日の丸を渡された吉田。それを掲げて「マットを1周しようか」と思った時、栄監督から肩車された。「股の下から頭がニュっと出てきたんですよ」−。

 アテネ五輪では吉田が監督を肩車した。その時は試合前から「やるぞ」と決めていたパフォーマンスだった。五輪の大舞台でも、優勝後のことを話し合う余裕があったのに、今回、2人の間で勝ったあとのパフォーマンスを話し合う余裕などはなかった。吉田の「今回の世界選手権は、今まで以上に厳しい闘いになると思う」という言葉は、決して謙そんではなかったのだ。

 五輪チャンピオン、88連勝(大会前)−。周囲は「絶対に勝てる」と思っているかもしれないが、闘う当人はそんな大船に乗ったような気持ちでマットに上がることなどありえない。「どの国の選手も打倒・吉田できている。研究されていることを実感している」。そのため、タックルに入ることを怖がってしまったりもしたという。

 連勝記録を騒がれてしまい、そのプレッシャーもあった。社会人になり、自由気ままに生活していた学生時代とは違ったプレッシャーもあった。「王者を取ることより、それを続けることの方が難しい」とは、勝負の世界の定説。勝ち続けていたら勝ち続けていたで、困難はつきまとってくるもの。「プレッシャーは今まで一番大きかったですよ」。必死の思いで勝ち取った4度目の世界一だった。

 しかし、プレッシャーはあっても緊張という代物はほとんどなかったという。ダテに世界の大舞台で勝ち続けているわけではない。躍進・中国を押さえた吉田の勝利が、伊調馨、そして正田絢子の金メダルへつながったことは言うまでもないだろう。

 プレッシャーは、飛躍のための欠かせないエネルギーでもある。栄監督から「明日から、もう練習するんだよな」と声をかけられると、にっこりとうなずいた吉田。日本協会の富山英明・強化委員長が初めて世界王者に輝いた時、世界中から標的とされる恐怖心に襲われ、翌日ロードワークを始めたところ、先輩世界チャンピオンの高田裕司・現専務理事が走っていたというのは有名なエピソード。

 世界V4を達成して無敵の地位を築いた吉田も、これまで以上に追われるプレッシャーを感じ、きょう30日から栄監督とともに練習する姿があることだろう。北京五輪までの無敗ロードの確立をかけて−。

(取材・文=樋口郁夫)




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