【特集】大橋正教の目「ひと山越えた松永共広」…世界選手権第1日





 史上最大規模の世界選手権が始まりました。2分3ピリオドにルールが変わってから初めての世界大会。どの国にとっても、今年に入って約9か月の練習が正しい方向を向いているかを確かめる大会になったと思います。

 55kg級の松永共広選手はメダル獲得を逃しましたが、2回戦のキューバ戦
(写真右)で絶体絶命のピンチから逆転勝ちした執念を褒めたいと思います。「勝つ!」という気持ちを最後まで持っていたがゆえの勝利だったと思います。世界選手権の舞台でこのようなあきらめない気持ちをもって戦えるようになったことは、選手として一山を越えたと思います。

 しかし二山目を越えることができずメダルに手が届きませんでした。全体的に脚をさわらせすぎました。このあたりの強化が今後の課題になると思います。技術と試合展開は申し分ないです。本人も自覚していましたが体力不足が勝ち抜けなかった要因でしょう。

 ただ準決勝のマンスロフ(ウズベキスタン=この大会の優勝選手)戦は、脚をさわらせることもなく非常にいいデフェンスをしていました。全試合を通じて一番いい動きで、この動きが出れば3位決定戦にも勝てたと思います。いい面と悪い面が両方出た大会でした北京オリンピックまでの練習の方向性が見えてきました。

 60kg級の湯元健一選手は、足腰が強く固いデフェンス力が光り、初戦で五輪王者といい試合をしました。第1ピリオドのコイントスで勝っていれば、勝敗はどう転んだから分からないくらいの試合内容でした。“ダメ元”という気持ちで、もう少し思い切った攻撃がほしかったですね。いくら固い防御力があるといっても、守り続けて優勝することは不可能です。若いし、これからの選手。今回の経験を生かして、今後につながる練習を積み重ねてほしいと思います。

 66kg級の池松和彦選手は、ちょっと元気がなかったですね。精神的に疲れているような気がしました。思い切って休養した方がいいのか、続けるのかは本人の判断になります。個人的には、いい資質を持っている選手ですし、アテネ五輪前の勢いを取り戻して頑張ってほしいなあ、とは思います。

 大橋正教 1964年12月7日、岐阜県生まれ。岐阜一高から山梨学院大へ。大学時代、のちにソウル五輪に輝く小林孝至選手に土をつけた唯一の選手。89年のアジア選手権グレコローマン48kg級2位のあと、92年アジア選手権で優勝。同年のバルセロナ五輪代表へ。現在はALSOK綜合警備保障監督。



《前ページへ戻る》