【特集】五輪王者へのリベンジを胸にハンガリーへ…グレコ55kg級・豊田雅俊





 今年の世界選手権は、1986年以来19年ぶりにハンガリーのブダペストで行なわれる。フリースタイルの佐藤満ヘッドコーチ(専大教)が同大会で銀メダルを取った地であり、フリースタイル日本代表の小幡邦彦と松永共広(ともにALSOK綜合警備保障)が1995年に世界カデット選手権出場で訪れた地。彼らにとって思い出の地であるが、グレコローマンでも1人、特別の思いをもってブダペストへ向かう選手がいる。

 55kg級の豊田雅俊(警視庁)だ。アテネ五輪の初戦で敗れた選手がハンガリーのイストバン・マヨロス。この選手がその後勝ち上がって優勝しているからだ。ことし31歳のマヨロスが世界選手権に出てくるかどうかはまだ不明だが、五輪王者として地元の世界選手権に出場してくることは十分に予想される。「出てきてほしい。リベンジをしたい」。豊田はマヨロスに強烈なラブコールを送っている。

 アテネ五輪でのマヨロスとの戦いは、ローリングで2−0と先制し、バック投げで瞬間的に3−0としながら2点を返され、その後3−3と追いつかれた。そして延長の末に敗れた悔やまれる敗戦だった
(写真右=赤が豊田)

 しかし、五輪チャンピオンと互角に戦った事実に加え、5か月前の五輪予選決勝で勝っていたグエインダー・マメダリエフ(ロシア)が五輪で2位に入った事実は、豊田の実力が世界のトップクラスであることを示している。世界一は目の前。マヨロスへのリベンジのみならず、世界王者戴冠も十分に期待できる実力を持っている。

 もっとも、五輪直後はなかなか気持ちが戻らなかった。負傷のため12月に全日本選手権を欠場したが、無理すれば出られないことはなく、「気持ちが盛り上がらなかった」という理由の方が大きかった。

 年が明け、気持ちは徐々に戻ってきた。全日本チャンピオンとなって海外へ飛躍した大学の後輩の平井進悟(ALSOK綜合警備保障)が、3月のポーランド国際大会と5月のアジア選手権でともに銅メダルを獲得。いやがおうでも闘争心は燃え上がった。そして6月の明治乳業杯全日本選抜選手権。決勝戦の最中に左ふくらはぎを痛めるアクシデントに見舞われ、足を引きずっての戦いを余儀なくされながらも、平井に決勝、プレーオフと連勝。実力を発揮して日本代表権を獲得した。

 「以前にも、足を肉ばなれした状態で試合に出たことがありました。そのときの経験があったから、けがをしている状態ででも勝つことができたのだと思います」。ダテにキャリアは積んでいない。どんな状況でも勝利に対する気持ちを出し、勝つための戦いができるのも、本物の実力があればこそだろう。

 そんな豊田に、ルール改正という追い風が吹いた。グラウンドの攻防が主流となった新ルールは、リフト技を得意とする豊田には願ってもないこと。「外国選手のリフトを守る力もつけなければならないから、五分五分でしょう」という言葉も口にしたが、リフトの攻撃力の強い選手は、守る時にも、どう動けばいいのかを体が知っているから、防御も強いのが普通。豊田の持ち味を生かせるルールになったことは間違いない。

 今の豊田にとっては、防御の力をアップすることより、けがをしないことの方が大切かもしれない。リフトというのは、投げようとする自分のパワーと、必死にこらえる相手のパワーとが重なるので、「(投げる選手に)ものすごい負担がかかってくるんです」と説明する。若い肉体なら問題なくても、28歳(10月で29歳)の豊田にとっては、昔と同じようには考えられない。「投げる角度や動きなどを研究し、けがをしない投げ方を身につけたいと思います」と、やみくもな攻撃は慎み、理にかなったリフト技で勝利への道を切り開いていく心積もりだ。

 「けがをして、それでも戦うことも必要ですけど、しないことの方が大事です」とも言う。“けがを乗り越えて勝った”という美談はいらない。目前にある世界一奪取に最も必要なことは、最高のコンディションで臨み、一戦一戦をけがなく勝ち上がっていくこと。そのためにも、疲れの残らない質の高い練習でこれからの2か月間を乗り越えることが望まれる。

(取材・文=樋口郁夫)


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