【特集】敗れたものの、“横綱相撲”に早大完全復活の足音が聞こえた!




 早大が表舞台に戻ってきた。5月20日に終了した東日本学生リーグ戦、一部Aグループの早大は、第3日(19日)に35年ぶりに日体大を破る快挙を達成し、最終日は東洋大に勝って決勝進出。これが1962(昭和37)年以来43年ぶりの2位以内の確保。もし優勝すれば、1948(昭和23)年以来57年ぶりの優勝となるところだった。

 拓大との決勝戦はあと1勝の壁が破れず、半世紀以上の時を隔てた優勝はならなかったが、レギュラーは1年生3選手を含んで全員が3年生以下というメンバーとあっては、早くも聞かれる「来年のリーグ優勝は間違いない」という声ももっとも。日本レスリング界の礎(いしずえ)を築いた名門“ワセダ”が、いよいよ復活しそうなムードだ。
(写真左:84kg級の木村元気が勝ち、優勝へあと1勝と迫った早大)

 復活のスタートは、5年前に1996年アトランタ五輪銅メダリストの太田拓弥をコーチ(日体大OB)に迎え入れたことだろう。太田コーチが見込んでスカウトをした選手が、今年4年生。今のチームが自分で発掘した選手を育て上げてつくった最初のチームといえるわけで、この意味からしても、来年、さ来年の成長が楽しみな早大だ。

 太田コーチは「大会前は、どこまでいけるか分からなかった。初日の中大、青学大、2日目の法大、群馬大との試合を終えて、何とかいけるかな、と思った」と振り返る。その気持ちは3日目の国士大戦で4−3という接戦の末の勝利を経験して多少ぐらつく面もあったが、「負けた選手も、勝てる要素のない一方的な負けではなく、次につながる内容の試合ばかり。力をつけている」と感じ、いける気持ちの方が強かったという。

 日体大戦での勝利で、その思いが確固としたものになる。チームスコア3−3のあと、日体大の米山祥嗣を破ってチームの勝負を決めたのは、1か月半前のユニバーシアード予選で米山に負けていた伊藤拓也。リーグ戦までのわずかな期間での成長があればこそで、選手の実力を完全に信頼できる気持ちになったという。

 決勝戦は、起用する階級をいじったりする小細工は使わず、考えられるベストの布陣で臨んだ。終わってみて振り返ると、120kg級に起用した伊藤を96kgで戦わせるなどすれば、「勝つことができたかも」という気はする。しかし「選手の力を信頼してやりたいと思った。これで負けたら、その結果と実力を受け止めるだけ」という思いがあり、選手起用に悔いはない。
(写真右:試合の合間にも選手に技術をアドバイスする太田コーチ=左のスーツ姿)

 小手先のごまかしで勝っても、長くは続かない。真正面から堂々とした戦いをすることが、次につながる。選手起用にもそのことは言える。挑戦者の立場ながら、こうした“横綱相撲”で挑むあたりは、日体大の黄金時代を支えた太田コーチならではの発想だろう。「1度、2度の優勝で満足するつもりはありません。日体大の18連覇(1979〜96年)に匹敵する黄金時代を築くつもりです」ときっぱり。そのためにも、「ことし勝てばいい」という選手起用はしたくなかった。

 日体大のレギュラー選手として伝統を死守し、アトランタ五輪で銅メダルを取って日本レスリング界のメダル獲得の伝統を守った男の生きざまが、はっきりと表れていた拓大との決勝戦。負けはしたものの、真っ向勝負での敗北は、選手をより強くするに違いない。来年以降の早大の活躍を十分に感じさせる7階級の死闘だった。

 早大はリーグ戦こそ優勝から見放されていたが、日本レスリングの強さをつくりあげた故八田一朗会長の出身大学であり、日本唯一の五輪二連覇を達成した小幡洋次郎さん
(旧姓上武=写真左)や、五輪4度連続代表の快挙を成し遂げた太田章さんなど、個人では強豪を輩出してきた。日本レスリング界の伝統は早大があればこそ。

 マスコミ界でも“ワセダ”のネームバリューは抜群。リーグ戦にしては珍しく朝日新聞の記者が取材に来てくれたが、勝った拓大ではなく負けた早大を記事にしたほどで、早大が学生レスリング界の頂点に立てば、もっと多くの記者が駒沢体育館を訪れるだろう。それほどまでに“ワセダ”の力は強い。

 だが、早大が最後に日体大を破った1970年生まれの太田コーチは、早大のかつての強さや栄光、威厳を聞かされても、今ひとつピンとこない表情だ。自らの選手時代、早大はずっと下にいた存在なのだから、これも当然のことだろう。

 早大復活の足音を聞きつけ、多くのOBとマスコミの注目が集まるようになった時、早大レスリング部の74年(現段階=日本最古)の伝統の重みをずっしりと感じることになるはずだ。だが、日体大時代に「連覇を途切らせてなるものか」と感じ、そのプレッシャーと戦いながら“王道”を歩んできた太田コーチが、その重みに押しつぶされるとは思えない。

 「伝統はこれからつくっていきます。18連覇は、まず最初に勝ってからスタートするんです」。自分自身に言い聞かせるように話した太田コーチ。今年は惜しくもその第一歩を踏み出すことはできなかったが、来年こそ力強く踏み出せそう。“35年ぶり”“57年ぶり”などという言葉が記事になるのは、ここ数年限りか。そんな期待を抱かせる名門ワセダの“復活”だった。

(取材・文=樋口郁夫)




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