【特集】学歴より大事なものを求めて新天地へ…女子48kg級・坂本真喜子





 強くなるためのエネルギーは、時としてすごい行動を引き起こす。昨年末、女子48kg級で全日本チャンピオンに返り咲き、先月のジャパンビバレッジ杯ジャパンクイーンズカップ2005にも勝って今年のワールドカップ(5月20〜21日、フランス)、アジア選手権(5月28〜29日、中国)、世界選手権(9月28〜30日、ハンガリー)への出場を決めた坂本真喜子は、中京女大を1年にして退学。姉・日登美のいる自衛隊への入隊を目指し、埼玉県和光市へ住まいを移した。和光クラブの所属選手として自衛隊の練習に加わり、来春の入隊を目指す
(写真左=和光クの藤川健治監督とともに)

 「高校(中京女大付属高校)の2年生で全日本チャンピオンに輝くことができ、栄監督(和人=全日本ヘッドコーチ)には本当に感謝しています。でも姉が自衛隊に進むことになり、自分の気持ちの中で姉と一緒に北京を目指したいという気持ちが強くなっていって…」。抵抗がなかったわけではない。学歴に対するこだわりはさほどないにしても、「退学、という言葉はあまりいい響きではありませんしね」と、少しのためらいはあったようだ。

 「でも」と続ける。「たぶん北京五輪で(選手生活は)最後になると思う姉と支えあって挑んでいきたい」。決心したのはロシア遠征(1月下旬)から帰ってきて、しばらくしてから。「頭の中が真っ白になるほど悩んで、決めました」という。

 姉には、アテネ五輪を目指していた時に支えてもらった。姉妹で“恩義”というのも変だが、今度は「自分が姉を支えていきたい」とも言う。「とにかく2人で盛り上がっていきたい」と言い、栄監督も「姉とのコンビで1+1が3にも4にもなるのなら…」と送り出してくれた。

 自衛隊の練習は、女子だけの中京女大とは違い男子選手の中に入っての練習となる。最初は戸惑いもあったそうだが、「高い技術を持った選手が多く、自分にないものを身につけることができそうです」と、その環境が頼もしく感じるまでにそう長い時間はかからなかった。「高い意識と目標をしっかり持ち、自分を追い込んでいくことが大事だと思います」と、転籍に関するマイナスは全くない。

 全日本選手権とジャパンクイーンズカップでの戦いを見る限り、よほどのことがない限り国内で取りこぼすことはなさそう。1月のヤリギン国際大会では、アテネ五輪5位のラリサ・オーザク(ロシア)を破っており、今後の目標は、アテネ五輪代表を最後の最後まで争った伊調千春(51kg級へアップ)が五輪決勝で負けたイリナ・メルニク(ウクライナ)に絞っていいだろう。

 メルニクとは、坂本も2003年世界選手権(ニューヨーク)で対戦しており、2−5で敗れている
(写真右=赤が坂本)。「前へ前へと出てくる選手。根性だけでやっているというか、気迫がすごい」という印象を持っている。その段階で2度世界一に輝いていた選手であり、自分は世界選手権初出場。「気持ちでも負けていましたね」と振り返る。張り手まがいの前さばきもやってくる選手で、「そこまでしても勝ちにくる執念もすごかった。レスリングで生活しているのでしょうけど、そのハングリーさも伝わってきました」と、世界トップ選手のすごさを感じた時だった。

 ウクライナはワールドカップの出場権は持っていないので、メルニクとの対戦は世界選手権でとなりそう。「パワーをつけて臨みたい。でも動けなくなっては仕方ない。動けるスピードは落としたくない」と、パワーアップを目指しつつスピードを落とさないことが目標だ。栄ヘッドコーチは「メルニクはつかむ力が強く、開始直後に爆発的な力を出す選手。それを怖がってはダメ。ほかに大技を仕掛けてくる選手なので、かわし方を教えたい」と、世界選手権へ向けての強化ポイントを挙げる。

 もっとも本人は、メルニクだけを標的にするつもりはないようだ。「オーザクにはぎりぎりで勝った試合ですし、世界へ出たら接戦が続くと思います」と、出てくる選手すべてが敵と考えている。これまで本格的な国際大会といえば2003年の世界選手権だけであり、世界での戦いそのものに対する不安がちょっぴりあるようだ。

 しかし、今年はワールドカップとアジア選手権のほか、まだジュニアの年齢であり、世界ジュニア選手権(7月4〜10日、リトアニア)出場のチャンスを得ることもできる。「多くの経験を積むことができそうです。ひとつひとつをしっかりクリアして、世界選手権には最高の状態で挑みたい」と、補強ポイントの克服に恵まれる年になりそうだ。
(写真左=全日本合宿で練習する坂本)

 アテネ五輪を最後まで争った末に悔し涙をのんだのは、ちょうど1年前。振り返ってみると、「いい経験になりました。誰もができる経験ではありません」と、その闘いの中から得た経験は、今、しっかりと役にたっている。19歳にして、昨年のような過酷な闘いを経験した選手は、そう多くはいないだろう。

 「1年間、経済的には親や姉におんぶにだっことなります。強くなることしか、返す方法はありません」。レスリングに打ち込む生活だ。遊ぶ金は必要ない。メルニクのハングリーさを上回るには、絶好の“耐乏生活”が待っている。どれだけハングリーになって勝利への執念を燃やせるか。坂本真喜子の試練が始まった。

(取材・文=樋口郁夫)




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