【特集】支えは失意を乗り越えて五輪出場を果たした父…男子グレコ74kg級・菅太一(警視庁)




 追う立場にあった選手が、あっという間に追われる立場へ。勝負の世界の新旧交代は川の流れのように止まることを知らない。グレコローマン74kg級の菅太一(警視庁)も、昨年暮れ、勝負の世界のこの厳しさを痛感した一人だ。アテネ五輪前までは永田克彦のが城を崩す一番手の立場にいて、追う立場だったのが、20歳の鶴巻宰(国士大)の台頭により、今年は自分の立場を守ることに全精力を傾けなければならなくなった。
(写真左:全日本選手権決勝で鶴巻に苦杯を喫した菅=右)

 だが菅はこの図式を否定する。「追う相手が永田さんから鶴巻に変わっただけです。今も昔も、追う立場です」。追われる立場だとは思っていない。全日本選手権決勝での鶴巻戦の黒星をしっかりと受け止め、チャレンジャーとして今年に挑む腹積もりだ。

 負けた言い訳にするつもりは毛頭ないが、アテネ五輪出場にかけていたので、昨年4月に永田に敗れてその道が断たれ、かなり落ち込んでしまったという。再起したものの、気持ちの奥底からの闘志は再点火してくれなかった。それが「全日本選手権で負けて、目がさめました」。負けて、かえってよかったかもしれない。

 決して実力負けとは思っていない。先制されて焦ってしまったのであり、新ルールへの対応が今ひとつだった。「次に戦えば勝てる」と思える敗戦。敗因を整理し、新ルールに合わせた戦い方を身につけることで、再浮上の道はしっかりと見えていた。

 年が明けての練習で一番に力を入れたのが“2分で1ポイントを取るレスリング”だ。「1点を取れば、ピリオドを取れる確率がぐっと高くなります」。さらにリードされていても、弱気にならずに攻めるレスリングも心がけた。

 その成果は、3月12〜13日の「ポーランド・オープン」で3位入賞という結果で表れてくれた
(写真右:銅メダルを取った菅、平井進悟、松本慎吾=左から)。「まだ新ルールをつかみきれていない。立ち上がりが遅いことがアダとなっているので、これからの課題と言えると思います」と反省点は多いが、全日本の伊藤広道監督(自衛隊)からは3位決定戦を「いい試合だった」とほめられ、浮上のきっかけとなったことは間違いあるまい。

 気持ちが盛り上がった今度の明治乳業杯全日本選抜選手権(6月22〜23日、東京・代々木第二体育館)こそが、菅の本当の実力が発揮される時と考えていいだろう。もちろん鶴巻だけに照準を絞っているわけではなく、「永田さんにも借りを返さなければなりません」と、アテネ五輪への道を阻まれた悔しさは忘れてはいない。

 その先にある目標は2008年北京五輪だ。父・芳松さん(現日本協会事務局次長)は、25歳で挑んだミュンヘン五輪出場を逃したあと、失意を乗り越えて、当時では珍しい29歳でモントリオール五輪グレコローマン57`級出場を果たし、4位に入賞した遅咲き選手だった(注・連日の早朝計量、5分2ラウンドや3分3ラウンドの時代には、30歳前後の五輪代表選手は極めて稀有だった)。

 菅は現在25歳なので、年齢的には父とまったく同じ境遇に立たされた。違うことといえば、父が高校卒業後にレスリングを始めたのに対し、4歳からレスリングに接していることだ。

 だが、キッズ・レスリング出身選手にありがちな体の故障や燃え尽き症候群の気配はどこにもなく、心身ともに北京五輪への道をしっかりと見すえることができている。「29歳でもオリンピックに出られるということを信じ、頑張りたい」。菅の心の支えは、遅咲き選手だった父か。

 その芳松さんは昨年8月、「息子が出ない以上、アテネへは行かない」と、協会役員としてのアテネ行きを固辞して日本に残った。五輪へ行く時は、息子が出場する時と決めているのだろう。そんな父の気持ちを裏切ってはなるまい。まず6月が勝負。ポーランドでよみがえった自信をもって、日本代表の奪取へ挑む。
(写真右:全日本合宿で松本慎吾と練習する菅)

(取材=樋口郁夫、一部・保高幸子、文=樋口郁夫)




《前ページへ戻る》