担当記者の世界選手権

※担当記者から見た世界選手権を、日記風に描いてみました。
(レポート・樋口郁夫)


9月20日(火) 9月24日(土) 9月25日(日) 9月26日(月) 9月27日(火)
9月28日(水) 9月29日(木) 9月30日(金) 10月1日(土) 10月2日(日)


【9月20日(火)】
 女子の最後の公開練習。多くの金メダルが期待されるとあって注目も高く、約20人もの報道陣が集まった。
 
 前回の公開練習に続いてアニマル浜口特別コーチが参加。インタビューは練習のあと、選手1人1人が報道陣に囲まれる形で行なわれたが、最後までしっかりと待っていてくれる。泊まりではなく通いなので、「先に…」と促したが、選手をできるだけ待たせたくないと思ったのか、「いや、先に選手をやってください」と固辞。こうした気遣いが、選手、コーチ、報道陣から慕われる要因だ。

 練習のあとは、担当記者の有志が赤羽駅近くで4人のコーチの激励会を開催。栄和人監督をじっと見つめた発起人の「コーチをはげます会、いや激励会にカンパ〜イ」という音頭で、約2時間の歓談
(写真左)

 世界選手権へ初めて、しかも自費で参加するフリーの佐野美樹カメラマン
(写真右)は、以前、新潟・十日町での公開練習のあと、浴びるほど飲んでもケロッとしていたエピソードを持つ酒豪。栄監督は、最初のうち、顔を全く覚えていなかったのに、その時の話が盛り上がると、「あ! あの時の!」とやっと思い出した。

 本HPの臨時評論家として健筆をふるう大橋正教・ALSOK綜合警備保障監督が「さっきからその話をしているんじゃないですか! 何で忘れているんですか!」と一喝。「わりー、わりー。ブダペストででも飲みましょう」と照れ笑いを浮かべながらとりなす栄監督。

 最後に、今回は同行しないものの、学生の大会にも足を運んで記事を書いてくれる朝日新聞の竹園記者が「柔道ではオリンピック・チャンピオン16人のうち、今回の世界選手権でも優勝できたのは鈴木桂治1人しかいませんでした。勝負の世界は厳しいです」とあいさつ。もう一人、現地には行かないもののずっとレスリングを取材してくれているサンケイ・スポーツの牧記者が、急な指名にしどろもどろになりながら、「日本で応援しています」と締めくくり、コーチたちを激励した。

【9月24日(土)】

 女子の出発。3連休の最中ということもあり、成田空港は午前8時にもかかわらず黒山の人だかり。女子チームには日本テレビほか報道陣が張り付いているので、さらに混雑さを増した。

 とりあえず全員で出発の記念撮影。「アニマルさん、気合だ! 1回お願いします」「1回でいいの?」。ええ、1回にしてください。実は昨年夏、成田空港に浅草応援団が集合し、至るところで「気合だ!」とやった時、警備員から5回も注意がきたんです。その度に「すみません。やめさせます」とうまくとりなし、結局、1回もやめさせなかった協会役員も偉いけど(!)、まあ、オリンピックでないから、一発勝負でいきましょう。

 ゲートをくぐると選手もほっとした表情で、ジャージ姿に着替え。飛行機の中でも、のんびりムードで、まだ決戦におもむく緊張感はなし。栄監督はあいかわらずオヤジ・ギャグを連発し、選手をリラックスさせる。この人、選手をリラックスさせる天才だよ。
機内の乾燥防止のためマスク着用で飛行機に乗った坂本姉妹(中・右)とお休み中の正田絢子(左)。 機内でカップヌードルをを食べる栄和人監督と、床に座ってテレビゲームに熱中する吉田沙保里。 飛行機の中でまな娘の背中をマッサージするアニマル浜口さん。体調維持ののために最善を尽くす。
 アニマル浜口さんの周囲の席はサインを求める人が続き、あたり一面がマジックのためにシンナー臭に。やはりすごい人気だ。しかし大きな体のアニマルさんが、エコノミー・クラスの席で10時間以上もいるのは大変そう。レスリング界に多大な貢献をなしているのだから、ビジネス・クラスという待遇をしてもいいような気がする。でも、そうしようとしても、一人だけの特別待遇は絶対に受けないだろうな…。なら京子選手とのセットで。でも、これも受けないだろう。なら、チーム全員がビジネス・クラスは…ちょっと無理か。 

 アムステルダム空港では、大阪からの審判員2人が合流。しかし大阪からの飛行機が遅れ、「荷物は後で送るから、とにかく乗れ」とのこと。きょう中に届くものかどうか。

 ブダペストまでの飛行機では、高田裕司専務理事や内藤可三審判長、栄和人監督らが席の関係でビジネス・クラスへアップグレード。大きなアニマルさんがエコノミーのまま。栄監督が席の交代を申し出たが、「いや、ここでいい」と固辞。決して特別待遇を好まず、選手と同じ行動をする、それが日本レスリング界最大のスター、アニマル浜口だ。

 合計13時間のフライトでブダペスト空港へ到着すると、共同通信の山田記者、朝日新聞の柴田記者、チェコ在住のビル・メイ記者が出迎え。レスリングの世界選手権で二大メディアが取材に来るなんて、時代は変わったものだ。
機内でビールを飲み続けたスポーツ・ヤァの三好えみ子記者と佐野美樹カメラマン 決戦の地に到着。いよいよ勝負だ! 日本選手団を出迎えたビル・メイさん(左)と朝日・柴田記者(中)、共同・山田記者(右)

【9月25日=日】

 男子フリースタイル初日に出場する3選手は最後の練習。11時から軽く汗を流し、3選手とも、やることはすべてやったという表情。日本チームの脇には、女子でV5を達成しているニコラ・ハートマン(オーストリア)の姿が。これで12度目の世界選手権出場。8月のポーランドの大会で左肩を痛め、ビル・メイさんの「世界選手権は無理じゃないかな?」という予想はハズレ。1週間でよくなって問題なしだとか。自らの持つ世界選手権の出場記録の更新は確実となった。京子ちゃん、負けるな! ハートマンを追い越すまで、引退しちゃダメだぞ。

 中国女子チームは、44・47kg級で世界一に5度輝き、日本にとって最大の敵でもあった鐘秀娥がいて、ニコニコ顔で手を振ってくる。「48kg?」と聞くと、「ノー、コーチ」と笑って返した。「72kg、ワン・シュー?」と聞くと、「ノー。シー」といって、5月のアジア選手権優勝のワン・チアオを指差す。「ホァイ?」と聞き返すが、英語はあまり理解できず、答は聞き出せなかった。国内で負けた説と、温存説がささやかれている。果たして真相は?(後日分かったことだが、肩の手術をして国内選手権には出なかったためだそうです)

 プレスルームでは、米国協会の名物記者のゲリー・アボットさんに、イランの女性記者が熱心に取材している。女性がレスリングをすることはおろか、見ることも禁止されていたのは昔の話。女性記者がレスリングを取材する時代だ。イランで女子レスリング解禁の日は遠くないか? 本HPの英語版を頻繁に見ているそうで、ビル・メイ記者が執筆者だと知るや、「もっと頻繁に更新して!」とおねだりしていた。
ニコラ・ハートマンを取材するビル・メイ記者。 中国コーチとして参加した女子最強レスラーの一人、鐘秀娥(赤) USA協会のアボット記者を熱心に取材するイラン女性記者。
 3時から計量と抽選。開会式がある関係で、普通より早い。アテネ五輪でもそうだったが、組み合わせの結果が、大型スクリーンに次々と出てくる。55kg級はけっこういい組み合わせ。しかし30人も40人も参加すると、強豪がすべて反対ブロックに固まる「本当にいい組み合わせ」なんてありえない。誰が相手でも勝つ、という気持ちを持たなければ、と痛感させられる。

 日本チームの欧州遠征でよくお世話になる日本サンボ連盟の副審判長、セルビアモンテネグロ在住の筒井穣さんが姿を見せた。ブルガリア圏では言葉に不自由せず、いつもは通訳として大活躍してくれる。しかしハンガリー語は全く違うそうで、「今回は応援に徹します」と言う。

 同じ時刻に、女子が練習。こちらは試合開始まで一番早い選手であと3日あるので、かなりハイテンションでの練習だ。この日から時事通信ジュネーブ支局の加藤記者が加わり、共同通信、時事通信、朝日新聞の三大メディアがそろい踏み。アテネ五輪前年のニューヨーク大会は別として、日本にとっても本当に豪華な世界大会だ。

FILAのマルティニティ会長を取材するメイ記者(右)とアボット記者(左)。 セルビアモンテネグロからかけつけてくれた筒井さん(左)と和田コーチ。 抽選の結果が即座に掲示される大型スクリーン。
 6時から開会式。でも、これが長いのなんのって。コンサート会場か、ランジェリーパブに来たかと錯覚するほどのアトラクションの数々。三大メディアの記者は途中で席を立ってしまった。五輪の開会式ほどではないけど、やりすぎだよ。

 夜は、前夜遅くにブダペスト入りしたALSOK綜合警備保障の大橋正教監督、この日から合流した矢吹建夫カメラマンらと夕食会。地下鉄に乗ると、男子フリースタイルの今泉雄策副団長ほかコーチ陣とばったり。前日、IDカードで地下鉄に乗れると思っていたら、それはダメで、あわや逮捕されるところだったことを話してくれた。1000フォリントの罰金を払って許してもらったとのこと。逮捕・拘留されずによかった。IDカードで地下鉄に乗れるのは、バスでの送迎のない記者・カメラマンだけだったのです。

 夜遅くにフリーの保高幸子カメラマン(格闘技通信)、東京スポーツの中村亜希子記者と浜井光徳カメラマンが到着。記者の気持ちもいよいよ盛り上がっていった。
96の国と地域(予定)が参加する史上最大の世界選手権が開幕。 開会式でセクシー・ショーが展開。15年前までのハンガリーでは考えられない! 記者も決起集会! 金メダルの執筆・撮影を祈願して乾杯。

【9月26日(月)】

 いよいよ世界選手権がスタート。ところが、本HPの矢吹建夫カメラマンがIDカードを紛失するというトラブルあり。前夜の飲み会ではきちんと持っていたことは確認している。どうやっても見つからないので、再発行してもらうことに。プレス受付へ行って事情を話すと、「もうなくしたの?」とあきれられている。それも当然か。試合も始まっていないのに、なくすカメラマンも珍しい。

 佐野美樹カメラマンは佐野美樹カメラマンで、カメラマンエリアの「8」が入っていないIDだったので抗議に行った。しかし、「申請通りにつくっている」とはね返される。しかし、こんなことで引き下がるようなカメラマンではない。三好えみ子記者とともにプレスのチーフにかみつき、最後は相手が根負けして出してくれた。

 プレスルームでは、備え付けのパソコンのLANの接続部分にテープが貼ってある。記者が勝手に使わないようにということだろう。しかし電話も公衆電話しかなく、パソコンとはつなげないという状況で、どうやって通信しろというのだろうか。案の定、テープがはがされまくるのに、そう長い時間はかからなかった。佐野カメラマンといい、報道に携わる人間は、何かを言われて黙って引き下がっては、やっていけない!

 この日から読売新聞(パリ支局)と中日新聞の記者が合流。記者席は、ますます日本人記者が多くなる。
闘いを控えるブダペスト・スポーツ・アリーナ。満員になるか? 記者室。試合中、あるいは試合後はパソコンの音や電話声で騒然となる。 日本人記者たち。試合中から本社との連絡などでいっときも気を抜けない。
 試合開始。会場には殿堂入りを果たし受賞する小幡洋次郎さん(東京・メキシコ五輪金メダリスト)の姿が。「受賞、あらためておめでとうございます。パーティーには行きたいと思います」とあいさつすると、「どこでやるのか知らせれていないんですよ」という答。FILAもいい加減だ。場所も伝えずに呼び出すなんて・・・・。

 会場では、日体大の選手を応援するかん高い声が響く。この人の声は、どこにいても一発で分かる。ブダペストはコーチの勉強で1年間住んでいた都市。約20年ぶりの“里帰り”を兼ねての応援。日体大の選手は、国内での大会と錯覚したりして。

 表彰式では、日本協会の福田富昭会長が66kg級のプレゼンテーターへ。表彰式の前に陣取るカメラマンの中に保高幸子カメラマンを見つけると、にっこり笑って手を振ってくれる。しかし福田会長。4選手にメダルを渡さなければならないにの、優勝選手にだけ渡して元の位置へ。次のプレゼンテーターが2、3位の選手にメダルをわたし、全員に副賞を渡すという事態に。しかし、こうした状況になっても、福田会長は慌てることなく平然としている。一国協会のトップになるには、このくらいの度胸が必要! ちょっとしたミステークで慌てふためくようでは、心もとない。

 夜は数人で女子選手宿舎そばのアラブ料理店へ。窓から見える物陰で、何とカップルがチュッチュッしているではないか。ま、社会主義崩壊から10年以上もたっているのだから、別段珍しいことではないか。そういえば、5月のアジア選手権が行なわれた中国の地方都市・武漢の公園でもすごかった。大橋正教ALSOK綜合警備保障の住む岐阜県の方言では「いちゃつく」ではなく、「いちゃこく」と言うそうだ。

 「見つかったらヤバイぞ。いい加減にしろ」という多くの人の声も聞こえず、長い時間、いちゃこく2人を見つめる人物あり。これ、誰のことでしょう。
表彰式でプレゼンターを務める福田会長。どんな時でもものおじせず、いつも堂々としている。 女子宿舎そばでメルニクに遭遇。48kg級出場で減量中なのに、笑顔で撮影に応じてくれた。 物陰で愛を確かめ合うカップル。もう社会主義の閉塞感は昔の話。昼間でも街中でキスするシーンなど普通のこと。

【9月27日(火)】

 日本選手が不調だったこともあり、どの記者も原稿的に余裕ができ、午前の部と午後の部の間、食事を兼ねたブダペスト・ツアーに出発。総勢12人。ツアーコンダクターは東京スポーツの浜井カメラマン。あとで共同通信の山田記者が加わったので(この記者、外国の都市であっても、住所さえ分かれば1人で間違いなくいけることで有名だそうです)、13人でブダペストの街を徘徊する。仕事で外国へ来ているわけだけれど、観光旅行も少しできる。ちょっぴり役得だ。

 入ったハンガリー料理店でメニューを見た某記者。「Turky〜」という文字を見て、「何でハンガリーでトルコ料理があるんだ?」と一言。しかし「Turky」というのは七面鳥のことであり、トルコ料理ではないのだ。照れ隠しにハワイアン・スタイルの料理を注文したその記者。ブダペストでハワイ・スタイルの料理を頼むのも変わっている。

 そのあと、二手に分かれてブダペストの街を観光。筆者はドナウ川へ出て、ブダ王宮をバックに記念撮影。午後の部は、ちょっぴり遅れて会場入り。日本選手は小平のみの出場。しかし敗者復活戦でも無念の敗退。原稿に困った記者たちは、通算6度目の優勝(五輪を含めて8度目の世界一)のブバイサ・サイキエフ(ロシア)への取材を敢行。しかしロシア語を話せる記者は1人もいない。

 ミックスゾーンにロシア風のTVカメラマンと女性レポーターがいたので、「ロシアン?」と聞くと、むっつりとしながら流暢な英語で「私たちは自分の仕事があるから、あなた達の通訳はできないわよ」とばっさり(朝日新聞・柴田記者訳)。あのね、ロシア人がどうか聞いただけであって、「通訳お願いできる?」って聞いたわけじゃないでしょ。

 社会主義国時代のソ連そのものの対応。蹴飛ばしてやりたくなった。まあ、言っていることは間違いじゃないんだけど、自分がこういう立場だったら、日本選手の取材に来た外国プレスにこういう態度はとらないよ、絶対に。

 サイキエフは長いドーピング検査のあと、やっと出てきた。「ペキン?」とか簡単な英語なら分かるだろうと思って日本記者全員で、サイキエフを待ったが、さっきの女性レポーターが独占してインタビューいる。長い! そのあとに、別の局につかまえられている。遅くなるので、女性レポーターに「ワン・ワード!」と聞いたら、2言、3言、話してくれた。まあ、最低限度の国際交流はやってくれたってことだね。
浜井カメラマン(中央)を案内役にしてブダペストの街をかっ歩。 ドナウ川とブダ王宮。ブダペストは東欧で最も美しいと言われている都市。 サイキエフを長い時間独占した女性レポーター。最後に国際親善をしてくれた。

【9月28日(水)】

 女子の部がスタート。応援席には、日本からの応援の数が多くなる。その中に、中京女大の杉山三郎部長を発見。来年5月、名古屋でワールドカップ開催決定の記者会見を取り仕切ってからのブダペスト入り。「10社近くも集まったよ」とうれしそう。谷岡郁子学長が張り切って長時間しゃべりまくったとか。

 杉山部長とビル・メイ記者は、1979年にアゼルバイジャン・バクーで行なわれたサンボの国際大会に日本チームのメンバーとして参加した中。久しぶりの再会ということで、杉山部長も流暢な英語で長時間話す。2年後の世界選手権はバクーで行なわれる。2年後、思い出の地での再会を期待する2人でした。

 正田絢子選手の応援で、網野高校の吉岡治監督の姿もあり、日本の審判団と談笑。そこにいた芦田審判員、前日の84kg級の米国−ロシア戦で、米国に非情のコーションを宣言し、リードしていた米国選手を負けにしていた。「あの堂々とした判定こそ、レフェリーの鏡ですね」と持ち上げると、「いやあ…。批判もあったんだよ」と肩をすぼめた。ま、いいじゃない。批判を恐れていたら、記者…、いや審判なんてやっていられないよ、と思う筆者だった。
日本選手の応援に来た杉山部長(左)とビル・メイ記者。 (左から)芦田審判員、内藤審判員と談笑する吉岡監督。 エルセガン前FILA会長が来場。かなり足腰が弱くなっているようだが…。
 日本からもう一人、PRIDEの島田レフェリーが選手の発掘で来日。「みんな北京オリンピック目指しているから、今引っ張るのは無理だよなあ」と言いながらも、熱心に観戦。PRIDEはまだ女子はやっていないが、総合格闘技向けの選手も見つけたようで、PRIDE女子部門の立ち上げも遠い日のことではないか。一番のお気に入りは55k級3位のナタリア・ゴルツ(ロシア=写真左)。この選手がミス・レスリングだということに異論を唱える人は、そう多くはいないだろう。矢吹建夫カメラマンは「そんなにきれいですかね」と言っていたが…。

 午後の部では坂本日登美選手が4年ぶりの優勝を遂げた。日本時間午前2時45分。新聞によっては、最後の版にこのニュースを入れるそうで、記者が慌しく動く。表彰式のあと、ドーピング検査に入った坂本選手を待つが、なかなか終わらない。様子を見に行った木名瀬重夫コーチによると、係員の手順が悪く手間取っているのだとか。

 ミックスゾーンで作業をしながら待つ記者やカメラマンに対し、なぜか木名瀬コーチが「申し訳ありません」と頭を下げる。でも、木名瀬さんの責任じゃないよね。もう一度様子を見に行った木名瀬コーチ、「あと10分か、30分で出てきます」。そのアバウトな推定時間設定に記者一同大笑い。結局、取材、執筆を終わったのは夜11時でした。
計量と抽選を終え、姉(左)と兄(上)に報告へ来た伊調馨(右から2人目)。いつも通りで、特別の緊張はなし。 選手のファイトを見つめる島田レフェリー。誰を引っこ抜くか。 ミックスゾーンで坂本日登美を待つ記者。待つことも記者の仕事。木名瀬さん、謝らなくていいからね。

【9月29日(木)】

 女子3階級で決勝進出という快挙。さあ、決勝と思っているところへ、組織委員会の美人スタッフが私の隣に座っているビル・メイ記者のところへ来てひそひそ話。決勝のあと、日本の優勝選手のコメントを取ってくれないか、との頼みで、そのコメントをすぐに印刷してプレスルームに配布したいとのこと(「ニュースフラッシュ」というのです)。

 日本語のコメントを流すわけにはいかないので、私がインタビューし、メイ記者が英語に訳して組織委員会に渡してもらえないか、と。昨日のロシア記者のように「私は自分の仕事で忙しいから、あなた達の仕事はできないよ」と言おうかな、と思ったけど、そこは人のよさ。メイさんとともに二つ返事で受けてしまう。頼みに来た人がかわいかったこともあるけど…。「イフ・ユー・アー・ノット・ビューティフル、アイ・ウイル・レジェクト(拒否する)」と言ったところ、にっこり笑ってくれた。

 組織委員会のお墨付きで、記者は入れないところまで進入。マットサイドで試合を見る。表彰式のあと、すぐに頑強な体のスタッフが選手をドーピング・ルームに連れて行くから、時間は30秒あるかないか。その間に、最低限度のインタビューをしなければならない。

 トップバッターは吉田沙保里選手。ところが、さっきの美人スタッフ、3位になったロシアのナタリア・ゴルツを連れてきた。「え? ロシア語のインタビューしろということ?」と戸惑っていると、メイ記者が「ノー、ノー。ヨシダ・イズ・ハー」と訂正してくれる。吉田とゴルツを間違ったのだ。ゴルツは東洋的な顔をしているから、間違ったのだろう。

 かくして3人への30秒インタビューに成功。このコメントが世界へ流れる。しかし、ドーピング検査を終えて、あらためて多くの記者で取り囲んでインタビューしようとすると、吉田沙保里選手に「さっき、何であんなに焦っていたんですか? 抜けがけしてあそこまで来たのに、『よ、よ、よ、4度目の世界一、い、い、い、今の気持ちは…』なんて聞いてきて」と、からわかれる。

 あのね、沙保里ちゃん。抜けがけしたんじゃないの。世界のレスリング記者を代表してあそこにいたんだからね。でも、後で録音したテープを聞いてみると、すげー早口。沙保里選手に指摘されたようなどもりはなかったけど、普通の1.5倍のスピードでインタビューしている。やはり焦っていたんだろうな。そんなインタビュアーの焦りに気がつくんだから、さすがに世界チャンピオン。どんな時でも、この冷静さが必要なんだよね。

 各選手のインタビューが終わったあと、プレスのカードを持っていながらにして、サインを求める数人の人物あり
(写真左)。金メダリストのサインを集めているオタクらしい。でも、曲がりなりにも記者で入ってきてるんだろ。そんなミーハーなことするなよな。ま、筆者も1996年にもらった浜口親子のサイン色紙を、今でも部屋に飾ってあるけど…。

 3人も世界一が生まれたので、原稿量も多くなり、あっという間に夜10時、そして11時。空腹を感じたとき、こういう時のためにサンドイッチを買っていたことを思いだした。バッグから出すと、隣で必死に記事を書いている東京スポーツの中村亜希子記者のものほしげな顔。いいよ、半分あげるからね。これで飢えをしのぎ、プレスルームで記事を書いていた三好えみ子記者(サンドイッチやらなくてゴメン)とともに、0時15分、アリーナを出ました。疲れた〜。

【9月30日(金)】

 女子の最終日。観客席には心配顔の浜口初枝さん。3回戦の中国に勝ってほっとした表情になったのだが…。女子72kg級の決勝戦は日本時間の午前2時半ごろから。東京にいるサンケイ・スポーツの牧記者から電話がはいり、おおよその決勝の時間を聞いてくる。「もう朝刊に入らないでしょ」と聞くと、「いえ、2時半なら入ります」との答。2時半ごろ、電話が入るかな、と思っていたけど、決勝の直後のあわただしさで、頭の外へ。後で不在電話が3度、入っていたことに気がつく。たぶん、牧記者だろう。ゴメン。京子ちゃんが負けたショックもあって、本当に気がつかなかったんだ。

 でも、どんなショックであっても、自分の仕事をおろそかにすることはできない。サポーターなら、京子Vならずの悔し酒でも飲むところだけれど、記事の執筆を放棄するわけにはいかない。この日も遅くまで執筆。結局、最後まで残ったのは筆者と東京スポーツの中村亜希子記者の2人。この日は、2人そろってサンドイッチを買っていたので、1個のサンドイッチをまるまる食べられた。ほかに、ホテルの朝食会場からリンゴ1個を持ってきていたので、おなかは何とかもった。

 すべて終了したのは深夜1時10分。中村記者もほぼ同時に終了。それにしてもガッツのある女性記者だ。隣で必死になって執筆しているから、こちらも気持ちが折れることなく続けられたんだ。感謝、感謝。きのうのパン半分じゃあ、足りないくらいだね。ホテルへ戻ると、ビル・メイ記者と矢吹建夫カメラマンの寝ている部屋にそーっと入り、缶ビールを1本飲んで寝た。大会中の記者って、こんな生活なんですよ〜。

 でも、やはりショックだったんだろうな。優勝を見越してで書いていた「浜口京子が3大会連続6度目の優勝」といった原稿の一部の記事・見出しを修正することなくアップロードしてしまった。読者の皆様に深くおわびします。
闘う浜口京子選手と浅草ほかからの応援団(応援席の黄シャツ) 浜口選手の決勝を待つ記者団。インタビュアーとしてフロアから撮影。 全試合を終了し、富山英明強化委員長からねぎらわれる女子チーム。

【10月1日(土)】

 大会も残すところあと2日。3日間聞こえなかった“どこにいても分かる声”が聞こえたので、声の持ち主、日体大の藤本英男部長のもとへ行ってみる。「先生、3日間どこか観光でもしていたんですか?」と聞くと、「いや、女子の試合をずっと見ていたよ。おとなしくな」との答。「日体大の部長が世界の女子レスリングをしっかり研究!」といったところ。この人が本格的に取り組めば、日体大の女子も強くなるだろうな…。

 ほかに会場を見渡してみると、48kg級で無念の銀メダルに終わったアテネ五輪金メダリストのイリナ・メルニクの姿が。マニュキア、口紅、アイシャドウなどで、すげー、けばけばしく、これじゃあキャバクラのお姉ちゃんと見まがうよ。まだ少女のようにかわいかった2、3年前、試合の写真をやったことがあるので、「デュー・ユー・リメンバー・ミー?」と話しかけてみると、「イエース!」とにっこり。

 これが、試合では闘争本能むき出しで相手に張り手をかまし、今回の決勝ではフォールされまいとして、相手の肩に噛みついた子とは思えない柔和さだ。けばけばしくなったけど、ハートはまだ昔のままか。インタビューを冷たく拒否した某米国選手とは大違いだ。

 メルニクには、いつもそばにいる男がいて、寄り添うようにして行動している。婚約者説と夫説があるので、「ハズバンド?」と聞いてみると、「ノー。ブラザー、アンド、コーチ」との答。「え?」と思って、「ノット・ハズバンド?」と確認すると、再び「ノー」との答。確かにFILAのデータベースには、コーチとして「アレクセイ・メルニク」と書いてある。本当だとしたら、すごく仲のいい兄妹だ。

 はぐらかされたのかもしれないが、長年の疑問がとりあえず解消。「ネクストイヤー、アイ・ホープ、ユー・ウイル・ウイン!」と声をかけてみると(真喜子ちゃん、ゴメンね。社交辞令だからね! 大人の世界には必要なこと。まもなく20歳でしょ。分かるよね)、「イエス。アンド、ペキン・オリンピック、アイ・ウイル・ウイン」と返してきた。このあと、兄にシャッターを押してもらって、栄光のオリンピック・チャンピオンとともに記念撮影。

 こんなシーンを中村亜希子記者に見つかると、何を言われるか分からないので、こっそり記者席を抜け出し、だれにも知られないと思っていたら、日本選手の試合間隔があいて、手持ち無沙汰のカメラマンが偶然にも筆者の姿を見つけ、その一部始終を見ていた! 矢吹建夫カメラマンからは写真まで撮られた、盗撮はやめなさい!

 でも、他社の記者やカメラマンから「オレ達の写真を勝手に使っているのに、なんで自分の写真を載せないんだ」という抗議があったので、批判をかわすために、その時の写真を掲載しましょう。「私のウクライナ妻です」なんて意味ではないからね、中村亜希子記者!

一宮運輸の社員を手伝い、横断幕を張る日体大・藤本英男部長。  アテネ五輪金メダリストのメルニクと筆者。お忍びのはずだったのに、矢吹カメラマンに盗撮されてしまった!
 日本女子チームはこの日の3時頃まで、ブダペスト市内を観光。福田会長のはからいで参加したPRIDEの島田レフェリー、午後の部に来ての第一声が「いや〜、みんないい子ですね」。そうです、日本女子選手もウクライナ選手に負けず劣らず、いい子ばかりなのです。でも、北京五輪まではPRIDEに引っ張らないでね、と思う筆者でした。

 5時半からは、国際オリンピック委員会(IOC)のジャック・ロゲ会長の記者会見。質疑応答になり、北京五輪の女子7階級実施を聞こうと思って、タイミングを見計らっていたら、朝日の柴田記者が流暢な英語で質問。さすが国際的記者。筆者なら、こうはいきませんでした。ロゲ会長は「3週間後のIOC理事会で、民主的な方法で決める」と回答。この“民主的な”という部分、たぶん前のサマランチ会長を意識してのことだろう、と話し合う記者でした。

 夜は高田裕司専務理事のはからいで、翌日帰国する女子チームの役員と報道陣との懇親&打ち上げを中華料理店へ。松本選手がメダルを取れば、とてもじゃないがいけなかったが、不運にもメダルを逃したので、仕事をチャッチャと終わらせ、30分遅れて参加。最後に、協会広報としてのあいさつを急に指名されてしましました。で、あいさつした内容が、「共同、時事、朝日、読売と来ていて、なんで毎日が来ないんですか! 毎日の記者に来年は来るように言ってください」「北京オリンピックの時には、過去の取材実績で、取材を差別します。きちんと取材したかったら、来年からも必ず世界選手権へ取材に来てください」。各社のレスリング担当の皆さん、この発言のページをプリントし、デスクに渡してくださいね。
女子選手帰国前夜の懇親&打ち上げ

【10月2日(日)】

 いよいよ最終日。午後1時からは、国際プレス連盟(AIPS)レスリング分科会のミーティング。ビル・メイ記者はこの会のビューロー。世界のレスリング報道に関して活発な意見が交わされるかな、と思われたが、単なる顔合わせぐらいで終了し、ちょっと拍子抜け。

 試合では、笹本選手が1回戦でロシアを破り、2回戦でアテネ五輪優勝国の韓国代表選手を破ると、記者席がが然慌しくなり、「日本の世界チャンピオンは1983年の江藤正基以来」「グレコローマンのメダル獲得は1995年の嘉戸洋以来」「03年世界選手権、アテネ五輪に続いて3大会連続でメダル獲得」などといった記録を整理する声が飛び交う。こうしたことは、優勝したり、メダルを取ってから調べたのでは時間が足りないので、事前にチェックしておくものなのです。

 しかし、準々決勝で無念の敗戦。これらの記録ものは、来年へ持ち越しとなりました。その後は記者の間には何となく虚脱感がただよう。筆者も、最後くらい早く執筆を終わらせ、食事へ行こうと思い、試合中にも急ピッチで原稿を仕上げる。そのため、決勝もじっくり見ることができなかったが、9時終了を目指して奮戦。

 結局、9時15分終了。試合終了直後はごった返していたプレスルームも、1人消え、2人消え、残っていたのは中村亜希子記者、共同通信の山田記者、矢外カメラマンの3人だけ。日本人記者は、よく働くことを実感。他国の記者はホテルに戻って書いているのかな。

 富山英明監督から、グレコローマンの打ち上げに誘われたが、こちらの人数も多いし、2日続きの“ごっちゃん”は気がひけ、記者・カメラマン11人で打ち上げ。かくて2005年世界選手権が終了しました。各社の記者の皆様、いろいろとお世話になりました。来年もよろしくお願いします。
(おわり)
AIPSレスリング分科会のミーティング。後列左から5人目がメイ記者。 最後の試合にハンガリー選手が出場するも無念の2位。これが5度目の世界2位。 全終了直後の記者室。地元選手が2人銀メダルということでごった返していた。

打ち上げへ行く途中で世界V4のグドルン・ホイエを発見。2児の母で現役。 最後の打ち上げ。7日間のロングラン、ご苦労さまでした。来年の大会は1日休けい日を入れるそうなので、8日間になりますので、よろしく。



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