【特集】世界選手権へかける(12)…男子グレコローマン74kg級・菅太一【2006年9月16日】






 大学4年生で出場した2001年のアジア選手権(モンゴル)76kg級で、決勝でイラン選手を首投げによるフォールで下して堂々の金メダルを獲得した菅太一(当時日大=現警視庁、左写真)。同選手権には、84kg級に松本慎吾も出場しており、決勝で敗れて2位に終わっていた。松本はその半月前の東アジア大会で優勝していたものの(菅は2位)、アジアにおける“出世”は、今をときめく松本より早かった。

 翌年からの階級区分変更により、シドニー五輪69kg級銀メダリスト、永田克彦という壁ができた。03年全日本選手権でやっと壁を乗り越えたが、最後を破ることができず、アテネ五輪のマットに立つことはできなかった。その後、若手の台頭もあり、今回が5年ぶりの世界大会のマット。「緊張します」と本音を話してくれた。

 5年間のブランクのみならず、新ルールでは初の世界選手権出場となれば、気持ちは初出場の選手とさほど変わらないのも仕方あるまい。年齢ではなく、経験である。

 新ルールでの国際試合を何試合もこなすことができていれば、別の考えもあるだろうが、4月のアジア選手権(カザフスタン)と8月の「ピトラシンスキ国際大会」(ポーランド)での1試合ずつのみでは、一抹の不安を持ってしまうこともやむをえないだろう。05年3月の「ポーランド・オープン」で銅メダルを取っているとはいえ、今と違うルール下での試合だった。

 不安は、オーバーワークという弊害を引き起こす可能性もある。9月15日、最後の全日本合宿を終えた菅は「疲れが残っています。欧州遠征から帰ってきてからも、かなりハードにやりましたから」と話す。これまでにも、オーバーワークで大会に臨んだこともあるそうで、「コーチの指示をそのまま聞いてしまうんです。自分の体は自分にしか分からない。自分でコントロールできないとダメなんですよね」と苦笑いする。

 この点で、アテネ五輪代表の松本慎吾、笹本睦、豊田雅俊の練習には一日の長を感じるという。「マイペースでやっているというか、自分の調整方法を知っている。見習わなければなりません」。だが、これも経験によって自分にとっての最良のコンディションづくりが分かってくる。強豪先輩のやり方を見習うことがすべてではないだろう。

 そして、不安は発奮のエネルギーにもなる。不安があるからこそ厳しいトレーニングに打ち込めたのであり、疲れが残るくらいの練習をこなさなければ世界では勝ち抜けないと考えるのも間違いではあるまい。その答は、世界選手権が終わってから出るのであり、今の段階で菅の調整方法がどうなのかを論ずることはできない。

 ひとつ言えることは、8月のトルコ遠征は国際試合の経験不足を少しでも補ってくれたことだ。カザフスタンも加わっての練習で、「日本選手にはない攻撃パターンを経験することができました。デフェンスの幅が広がったような気がします。いきなり世界選手権だったら、そこで面くらってしまったでしょう」と成果を話す。

 オーバーワークかもしれないと感じた今夏の練習は、決して無駄だとは思えない。生かすも殺すも、あと10日間のコンディショニング次第だろう。この期間でのオーバーワークは、間違いなく自殺行為。「練習しない勇気も必要でしょう」という問いかけに、こっくりとうなずいた。

 「やるしかないんですよ」。自分に言い聞かせるように繰り返した菅は、「アテネ五輪を逃した悔しさがあるから、ここにいる。オリンピックに出ていたら、ここにはいなかったと思う」と語気を強める
(左写真=永田克彦の壁を破れずアテネ五輪出場を逃す)。その言葉に、厳しい練習に向かっていった理由が言い表されている。

 そして厳しく言った。「今年ダメなら、たぶん来年もダメですよ。今年が最後のつもりで頑張ります」――。


 ◎菅太一の最近の国際大会

 
【2006年4月:アジア選手権(カザフスタン】

1回戦 ● [0−2(1-@Last,0-2)] Hee Bok Kang(韓国)

 【2006年8月:ピトラシンスキ国際大会】

1回戦 ● [1−2(3-1,1-2,TF1-7=1:50)] Alain Hassli(フランス)



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