担当記者のドーハ・アジア大会


ビッグイベント恒例となった「担当記者の遠征日記」。広州の世界選手権では、
エロい話題も少なくなく、一部の女性読者から不評で、「次回は女性記者に」としましたが、
今回、協会記者として来ているのは私だけですので、もう1回、おつきあい下さい。
中東の国ですので、あまりどぎつい話はないと思いますが…。
(文=樋口郁夫)

12月5日(火) 12月6日(水) 12月7日(木) 12月8日(金) 12月9日(土) 12月10日(日)
12月11日(月) 12月12日(火) 12月13日(水) 12月14日(木) 12月15日(金)   

《12月5日=火》

↑ドバイ空港で満月がお出迎え
↑モンゴル・チームと遭遇
↑韓国の金メダリスト、朴章洵さん(左)。
 前夜23時、中部国際空港からエミレーツ航空で出発。初めて使う空港で、ちょっと心配だったが、成田空港に比べれば小さく、名鉄の駅に降りてから迷うことなし。

 使った航空会社はエミレーツ航空。カタール航空だと20万円近くするけど、エミレーツ航空だと11万円! JALと提携しているので、マイルが貯まると喜んでいたけど、このチケットでは適用外なんだって! 往復1万マイル以上たまると思っていたけど、あてがはずれた。

 ドバイで2時間の待ち合わせ。モンゴル・チームや、モンゴルの名物レフェリーのバスクー、韓国のバルセロナ五輪金メダリストのコーチの朴章洵さんらに遭遇。ほかにもスポーツ選手らしき人物がいて、いよいよアジア大会の地へ行くという感じ。

 ドーハ空港では、選手や記者などは別ゲートへ。韓国の選手がキムチを取られたとか、豚肉の入っているカップラーメンを取られたとか報じられていたが、スーツケースを開けられることもなく、カップ麺もお酒(紙パック)もOK。

 ただ、X線でしっかりチェックしていたので、ビンのウイスキーとかだと分かると没収かも。また、一般客のゲートではどうかは不明です。

 カタールは日本の9月並みの気候と聞いていて、まあ、その通りかな、という感じ。例によって赤字覚悟で取材に来ている保高幸子カメラマンが、開会式前に現地入り。「1年に3日くらいしか雨が降らないドーハで、もう2回降りました」との報告あり。なら、もう降らないから、傘はいらないか、と思ったが、念のため持ってきた。鉄砲玉としての役目は果たしてくれている。

 今回の宿泊はメディア・ビレッジ(記者村)。シドニー五輪の時も同様で、その時はプレハブに4部屋だった。今回は25階建てくらいのビルで、部屋もホテルのような部屋。でも、最初は水が出なかったとかのトラブルがあったようだ。

 トラブルといえば、コンセントの種類が聞いていたもとの違った。どんなコンセントにでも通じます、というプラグなので、特に用意していなかったが、これでは使えない。強引に押し込めば押し込めないこともないようだが、壊れる可能性もあるので無理しない(注:2日後、わたしの無知であることが判明しました。詳細は7日分へ)。とにかく2時間くらい睡眠をとり、メーン・メディア・センター(MMC)へ。

 共同通信のブースへ行ってかつての先輩に相談すると、1個貸してくれた。街中のどこかででも手に入ったと思うが、助かった。未知の国へ行く時はコンセントの形はしっかり調べておくべきと反省。

 メディアセンターを出て、すぐ近くのショッピング・モルを散策。イスラム圏だけに、女性は顔を出さないとか言われているが、確かに地元の女性は顔をすっぽり覆うか、顔は出していても頭からほほにはベールをはおっている。

 しかし、外国人は関係ないもよう。けっこう、素顔の女性も歩いている。イランのように、外国人にまでは強制することがないようだ。

 夜、女子チームの栄和人監督に電話する。柔道の会場にいるとのこと。明日の練習は10時から近くの小学校あたりでやるとのこと。場所が分からないから、行くのはやめ。その柔道会場から10時ごろ、保高幸子カメラマンがプレスセンターに戻ってきたとの連絡あり。とりあえず顔を見に行く。

 「夜は寒くなるんですよ」とか言って、薄いダウンジャケットを持っていた。「オレもブレザー持ってきたから、よかった」と言うと、「ブレザー? 何でですか?」と言うから、「アジア連盟の会議とかで、そこそこの格好が必要な取材もあるだろ」と言うと、「私、持ってきていない」。そこで「おまえは、へそ出しルックがオフィシャルな格好だからいいんだよ」と伝える。でも、中東の国だから、節度持った格好しろよ!

アジア大会関係者専用のドーハ空港のゲート。 乾燥していて、いかにも砂漠の街という感じ。 世界のどこにでもあるマックを見つけた。 記者村の部屋の中。ちょっとしたホテルの部屋だ。

ドーハのコンセントと、使えない“世界共通”のプラグ 顔すべてを覆っている地元の女性(盗み撮りにつきボケています) ショッピングモル中央の吹き抜けは、意外にもスケート場


《12月6日=水》
↑いかにも砂漠の都市という感じの建物(移動バスより)
↑レスリングのドラマが展開されるアスパイアー・ホール
↑メーンフロアは体操競技
 夜便フライトで来た睡眠不足の埋め合わせのため、朝10時ごろまでぐっすり寝ようと思ったが、7時すぎに目が覚めて眠れない。前夜はベッドに入ってすぐに意識がなくなったので、それだけぐっすり寝ていたようだ。記者村のレストランへ行き朝食を食べる。その後、ビジネスセンターでパソコンを打つ。

 日本から3日後に到着する後発部隊のメールあり。昨日、空港の状況などをメールした返事だが、空港でID組とそうでない組に分かれるのが心配らしい。「きょう行った赤石コーチと高橋君(協会事務局員)に会ったら、支援役員宿舎の行き方を連絡してくれ」と泣きが入った。

 「そんな都合よく会えるもんじゃないよ。ドーハは広いんだよ」と、内心で返事。しかし、その3時間後、スーパーで買い物中にその2人にばったりと会う。目に見えない力が働いていたとしか思えない。

 その後、メーン・メディア・センターで日本で書き残していた鶴巻選手の記事を書き、簡単に昼食を済ます。街に出てみようかと思ったが、レスリングの会場を見ておこうと思い、スポーツ・シティーへ向かう。ガイドでは49分かかると書いてあったが、30分くらいで到着。

 大きなアリーナだが、そのひとつの小体育館がレスリング会場。メーン会場は体操が使用。天井部分はつながっているので、隣の会場の大歓声、アナウンス、国歌などが聞こえる。ちょっと問題ありの構造かな?

 体操のメーン会場をぐるりと1周すると、やっとレスリング会場を見つけた。でも、まだカバディの会場となっており、どこにも「Wrestling」の字は見えない。それにしても狭い! マット2面を入れたら、フロアには隙間がなくなるという感じだ。カタールにおけるレスリングの地位を見せられたような気がした。

 その時、3時45分。カバディの試合はやっていなかったが、観客席ではインドとパキスタンが陣取って、早くも応援合戦をやっている。ムードとして4時から試合開始のようだ。「カバディというスポーツを見るのもいいな。インド・パキスタン戦なら盛り上がりそう」と思い、少しだけ観戦しようと思う。しかし、4時になっても、4時半になっても始まらない。そうするうちに、「5時から3位決定戦のイラン−バングラデシュ、6時から決勝のインド−パキスタン」とのアナウンスあり。

 ゲッ! 3位決定戦を飛び越えて、6時からの試合に3時45分から陣取っていたのか。イランの国旗もあったことが納得。5時近くになると、小さな観客席はぎっしりで、入場制限している。自分みたいな人間が1席を取っているのは申し訳ないと思って、10分間だけ観戦し、会場を後にする。

 この会場のプレスルームへ行ってパソコンを打つ。6時からカバディの会場が一段と沸き、プレスルームにいても大歓声が聞こえる。日本では馴染みのない競技だが、インドやパキスタンでは、すごい人気競技なのかな、と思った。

 帰りのバスに乗ると、東京スポーツの中村亜希子記者と遭遇。前夜は電話だけして、会わずじまいだった。開会式前から来ているので、かなり疲れている様子。こちらが原稿書き終わって、「ビール飲みにいこう」(イスラム国で、アルコールは禁止だけど、プレスセンター内で1ヶ所だけ飲める場所あり)と誘ったが、グロッキー状態で無理とのこと。お疲れさま。

 記者村へ帰ると、イランのレスリング記者が到着中。2人は知った記者だ。イランはフリースタイルだけで「4つか5つの金メダルを取る」だと言っていた。「日本は?」と聞かれたので、「女子は4個」などと問題をすり替えると、1人の記者が「ヒデノリ(田岡秀規)」と言ってきた。「?」。この記者、広州の世界選手権にいたけど、広州での田岡選手は1回戦負けだった。

 「55? ディルショド・マンスロフ(がいるので分からない)」と答えると、ちょっぴり首をひねって、「ヒデノリ・イズ・ア・グッドレスラー」と返してきた。広州での田岡選手のレスリングを見て、負けた試合だったが、その資質を見抜いたのか。イランのベテラン・レスリング記者の眼力に期待するとともに、今度の冬は田岡選手を3ヶ月くらいイランに預けて鍛えるべきかな、と思った。和田貴広コーチに進言しておこう。
入り口はすべて一緒。そこから各競技場へ向かう。 レスリング会場となる第3ホール。2面マットがやっとの狭さ。 女性役員はご覧のように肌を露出しない服装。 さすがイランのカバディ選手。何人かはレスリングシューズだ。

さあ試合開始という時までTVカメラが割り込む。世界の流れか? 初めて見たカバディ。ルールがよく分からなかった。 記者村在住者は1日1食、タダの記者食堂で遅い夕食。 田岡選手の金メダルを予想したイランのレスリング記者。

《12月7日=木》

↑まず上の穴に差し込む。すると下の2つの穴が開く。
↑朝食は半テラスのレストランで雨を見ながら(なぜかプール泳いでいる人がいた)
↑メディアセンターでの食事。アジアの料理が多かった。
↑豪雨の中で行われていたビーチバレー。
 最初におわびしておきます。初日に“世界共通”のプラグが使えないと書きましたが、やり方があって、その通りにやれば使えるのだそうです。真ん中の穴は、電気が通っているとかではなく、ここを差し込むことによって、残りの2つの穴にきちんと差し込めるのだそうです。

 そういえば今年3月、ウズベキスタンのホテルでも同様のケースがあり、ボーイさんから「ここに部屋のキーを差し込めば入る」と教えられたことを思い出しました。年を取ると、もの覚えが悪くなってしまうものですね。

 東京スポーツの中村亜希子記者と保高幸子カメラマンから「メーカーから抗議がくるよ」とお叱りを受けました。「プラグにきちんと書いておけよ」と強がりを言ったものの(もう捨ててしまった説明書には書いてあったかもしれません)、製品の万能性にケチをつけたわけですから、非はありますね。ごめんなさい。

 というわけで、この日の日記に移ります。朝、雨の音で目がさめました。けっこう土砂降り。「年3日しか雨が降らない国」というのは見事にウソでした。まあ「豪雨」が3日ということなのでしょう。海に面している都市なのだから、水蒸気となった水が降ってくるのは当然の理。ちょっとした雨はちょこちょこ降っているのだと思います。そうでなければ、いくら植樹をしても、植物が育つわけがありません。

 朝食を食べたあと、2階のビジネスルームでまだやっていなかったアジア大会の資料つくりをやっていると、もう午後2時。空はどんより曇っていて、時たま激しい雨が降っている。この日は外に行きたくないと思ったが、1日中、コンクリートのビルの中にいるのも不健全なので、とりあえずメーン・メディア・センター(MMC)へ。

 記者村に宿泊している人は、1日1食、ここのレストランで食べられる食券をもらっている。1日目、2日目は寝る前に食べたので、胃のことを考え、量も控えめだったが(けっこう健康には気をつかっているのです^^)、この日は午後3時ころの使用なので、まずまずの食べ物を取った。バイキングというのは、どうしても取りすぎてしまう。レストランを出た時は、おなかがいっぱいで動きづらかった。反省!

 この日の競技スケジュールを見ると、午後6時からビーチバレーで日本の女子選手が出る。会場はレスリングと同じスポーツシティー内。カバディが終わったので、もうレスリングマットが設置されたかどうか見るのもいいと思ったほか、ビーチバレーといえばレスリング以上に肌が露出するスポーツ。本当にビキニ、いや、セパレートの水着姿でやるのかどうか、この目で見ておこうと思い(本当です! 決して女性の水着姿への興味ではないのです!)、雨の中、スポーツシティーへ向かう。

 まず水泳会場へ行くと、北島康介選手の200b平泳ぎがあるので記者室は日本のメディアが多く、どこともなしに緊張感がただよう。その会場を後にして、近くのビーチバレーの会場へ。このとき、土砂降りの雨となり、必死の思いでビーチの記者室へ。傘を持ってきていて正解だった。そこで共同通信のレスリング担当の森本任記者と遭遇。11月17日から現地入りしているので、かなり疲れ気味だ。

 着いた時は男子の試合をやっており、6時から日本女子の試合の予定だったが、スケジュールが押していて、7時すぎになりそうとのこと。共同通信の先輩の小林さんと7時ごろからビールを飲む約束をしていたので、女子の試合まで待っていられない。まあ、水泳会場では女子選手が普通に水着姿になっていたのだから、レスリングのシングレットだってOKのはず。

 6時半にMMCへ向かう。レストランの脇にビールを飲めるラウンジがあるので、そこへ連れて行ってもらい、ハイネケンを注文。ドーハにこっそり持ち込んだ紙パックの酒はまだ飲んでいないので、これが約3日ぶりのアルコールになる。日本では、夕食時にワイン2杯か発泡酒350ccくらいは必ず飲んでいる。休肝日ということで1日あけることはあるが、丸2日もアルコールを遠ざけたことは、いつ以来になるだろうか。

 記者村への帰りに道にショッピングモルを散策。後発部隊と食事する場所を押さえておかないとならないので、その下調べもある。中東とは思えないほど西洋化が進んでいて、4階のファーストフード・コーナーには、マック、バーガーキング、ケンタッキー、スターバックス、ピザハット、サブウェーなどお馴染みの店がずらり。

 女性のファッション店も多い。ベールの下に着る服を着飾っても仕方ないと思ったが、考えてみれば、女の人って、外で見せるわけでもない下着に凝ったりするよね。それと同じ理論かな? まあ、最近の日本では、下着を見せたくて仕方ないって女性もいるけど…(保高幸子カメラマン、あなたのことではないから、心配しないでね^^)。

 きょうはレスリングの話題が少なくてごめんなさい。明日は女子の直前会見と男子グレコローマン初日の計量。いよいよ始まります。
雨中でのビーチバレーにも熱狂的な観客がいた。 生では見られなかったので、MMCでのテレビ画面を撮影。 3日ぶりに飲んだアルコール。

スーパーにビールが売っていた! ノンアルコールでした。 マックなどお馴染みの店が並ぶ外食店エリア。 これが中東のショップ街? と思わせるファッション・エリア。中東のイメージは大きく変わった。

《12月8日=金》

↑会見後も浜口選手を熱心に取材する共同通信・森本記者。
↑記者団と懇談する吉田沙保里とコーチたち。この余裕こそが強さの秘密!
↑選手村には、前日、アクシデントで死亡した韓国選手への献花台が。日本選手も手を合わせた。
 朝10時から女子チームの公式記者会見。そのため、朝8時に起きて準備をし、メーン・メディア・センター(MMC)へ。そこで朝食を流し込んだあと、9時半の選手村行きのバスで会見場へ。栄監督ほか選手と久しぶりに会う。オリンピックやアジア大会では、選手と記者とのエリアが色分けされ、練習場にも行けないのが普通。世界選手権などとちょっぴり違うところだ。

 某外国通信社の記者が浜口京子選手に「プロレスラーであったお父さんの影響は?」などと、アジア大会とは関係のない質問をした。こんなところで聞かなくても、と思ったが、浜口選手は少し考えながらも、理路整然と答えた。こうした抽象的な場違いの質問には、えてして何を言っているのか分からない答になる場合が多い。

 隣に座っていた東京スポーツの中村亜希子記者に「さすがだね。きちんとした答えになっているよ」と小声で話しかける。これまで、どの選手よりも多くの取材を受けてきた浜口選手のマスコミ対応の力量を感じた。

 そのあと、栄監督が「コーヒーを飲みにいきましょう」と記者団に声をかけてくれ、記者も入れる喫茶エリアまで誘導。さらにテーブルを2つつなげたり、イスを持ってきたりと至れり尽くせり。「監督がこんなことをやる競技団体は他にないよな」と声をかけると、そこにいた記者たちがうなずく。栄監督は「いや〜。こんなくらい…」と照れて顔が赤くなってしまった。この監督、意外に照れ屋の一面もある。

 それよりも驚いたのは、3日後に試合を控えている吉田沙保里選手も記者のためのコーヒーを注文に行ってくれたりして、いろいろと動いてくれたこと。監督に言われて仕方なく、ではなく、率先して、ごく自然な振る舞いで動いていたのです。これも他の競技団体にはないこと。まあ、これくらいの余裕があるからこそ、試合で連戦連勝ができるのでしょう。そして思いました。将来は、きっといい奥さんになるだろうな、と^^。

 吉田選手に関するエピソードをひとつ。共同通信の森本任記者から聞いた話です。柔道会場の観客席で応援している吉田選手に、グレコローマンの嘉戸洋コーチが肩もみをしてやっていたそうですが、そのシーンが館内のビジョンに大映しにされたとのこと。2人のいる位置からは死角になっていたようで、2人は全く気がつかず、マッサージを続けていたそうです。

 それを見ていた地元の係員や観客は、別世界のものを見ているかのような驚きの表情になったそうです。日本人や欧米人の感覚ではどうということないシーンだし、ただでさえ優しい嘉戸コーチは吉田選手のためを思ってやったのでしょうが、こちらでは、女性が男性に肩もみさせるなんてことはありえず、そのシーンがとても奇異に映ったようでした。

 吉田選手の名誉のため、決して男をあごで使う人間ではなく、男に尽くす昔気質(かたぎ)の日本女性であることを伝えておきたかったですね。

 12時からアジア・レスリング連盟の会議が試合会場であるので、11時に他の記者を残して選手村を去り、会場へ向かう。やや遅れたが、会議室を探し当て、そっと入ると、富山英明監督、土方政和総務、下田正二郎・アジア連盟副会長らの姿を見つけた。アジア連盟の会議というより、大会の監督会議といった感じで、各国のエントリー状況などを確認して終了。大ニュースがあるとは思っていなかったけど、ちょっと拍子抜け。

 その後、計量の18時まで時間があるので、プレスセンターで軽食をとり、会見のもようなどの執筆。携帯電話での通信などを試みるが、今回は不調。まあ、プレスセンターへ戻れば何とかなるが、広州の世界選手権で大丈夫だったので、ちょっぴり油断した。日本を発つ前に、きちんとチェックしておくべきだった。次回に生かしましょう。

 計量のあと、バドミントン会場をのぞいてみる。小さなホールにぎっしりの観客で、ここでも入場制限していた。そのあと、同じスポーツシティーの中にある水泳会場へ行ってシンクロを見ようと思ったが、ちょうど日本チームが終わり、逆転負けしていたところだった。

 演技を見ることができずに残念だったが、MMCへ戻り、抽選の執筆。正式な組み合わせが出るのを待ち、確認してからHPにアップ。さあ、明日からいよいよ本番だ。
アジア連盟の会議。FILAのマリオ副会長が張り切っていた。 マットがしかれた会場。観客席の目の前にマットがある。 審判として参加する斎藤修さん(左)と福田耕治さん。

計量会場。アップ場なので、明日から記者は入れないだろう。 計量と抽選を終え、引き上げる菅太一選手。 満員になったバドミントン会場。反対側にあるレスリングは?

《12月9日=土》

↑いよいよ始まりました。午前の観客席は閑散としていたけど。
↑ステージの下の部分のベニヤ板がむき出しだ、と指摘するミキティ(左)と保高カメラマン。
↑上の写真は渋い顔なので、本当はこんなに可愛い、という写真をパチリ!
 9時試合開始に間に合わせるため、朝6時半に起床。ドーハへ来て一番早く起きた。メーン・メディア・センター(MMC)を7時40分に出発するバスに乗ろうと思ったが、どうしてもぐずぐすしてしまい、朝食のためにMMCの食堂に着いたのが7時20分すぎ。バイキングの食べ物を取り終ったのが7時30分。いくらなんでも7、8分で食べるのは無理なので、8時のバスに変更。

 その食堂で、フリーの佐野美樹カメラマン(愛称=ミキティ)とばったり。本来はサッカーのカメラマン。「日本負けてしまったし、いつまでいるの?」と聞くと、「何言ってんですか。これからが本番です! 私、レスリングをメーンに撮りに来たんですよ!!!」と怒られる。そうでしたか。ごめんなさい。

 ミキティは本籍がサッカーで、現住所はレスリングとのこと。レスリングは特に金になる仕事ではないようだが、「レスリングの皆さんに(私も含めてでしょうね、当然!)よくしていただいているので、レスリングは絶対にはずせません」と泣かせるセリフ。ミキティや保高幸子カメラマンが左団扇(うちわ)になる日が来てほしいものだ。

 会場へ着くと、その保高幸子カメラマンがいて、「2時間も前に来ていました」とか。いよいよレスリングが始まるということで、興奮して早起きしたようだ。だからといって、9時開始なのに7時に来なくたっていいだろ。やっぱり変わったカメラマンだ。

 今回は記者兼カメラマンでの仕事なので、フロアへ降り、2人とともに撮影のお仕事。若い(!)女の子にとって、おしゃべりというのは食べることと同じくらい必要なことと言われるが、よくおしゃべりが続くと感心。日本選手の試合撮影でも、筆者などは声を発することもなくシャッターを押すが、2人は「そこだ、行け!」「あと10秒!」などと力を入れてシャッターを切っている。ちょっと真似できない。

 午前の部が終わり、軽く食事をし、午前の原稿を書き上げると午後3時。4時からビーチバレーに日本選手が出るので、今度こそ生で見てみようと思ってビーチ会場へ。風が強いこともあって半袖では寒い。こんな状況でもセパレートの水着でやるのだから、すごいなあと思う。

 保高幸子カメラマンも顔負けのヘソ出しルックだけど、何の問題もなく試合は進行(問題があったら、毎日やっていないでしょう)。言われているほど、女性の肌の露出にはうるさくない国のようだ。これがイランなら、どうか分からないけど。

 午後の部になると、笹本選手が決勝へ出るということで日本のメディアが多くなり、カタール選手2人が3位決定戦に出るので観客席も満員に埋まってきた。と同時に、報道規制が厳しくなり、係員(といっても、チーフのオーストラリア爺さん)と小競り合いが増えてくる。

 筆者は素直な人間なので、「ここで撮るな」と言われたら、その通りに従うけど、プロのカメラマンはそうではなく、「なぜここでダメなんだ。どこにそんな決まりがある。ここなら問題ないだろ」などとくってかかる。

 保高幸子カメラマンから「樋口さんは人がよすぎですよ」と言われたが、まあ昔はけっこう瞬間湯沸かし器のところはありましたよ。昔の協会役員で私を「生意気なヤツ!」と思っている人間は少なくありませんからね^^;; 

 でも、生まれつきの人間性に加え、年齢を重ねると無用のトラブルは起こさない方がいい、と思うもので…。それでも、カメラマン席で「パソコンを開くな。ここは撮影の場所であって、記事を書く場所じゃない」と言われた時はカチンときたよ。記者兼カメラマンだっているはず。新聞社のカメラマンの場合は、パソコンに写真を取り込みながら、その場で送信しなければならない場合だってある。こんな規則があるか!

 さらに「ユーはカメラマンIDだから、(ミックスゾーンで)インタビューはするな」には、もっとカチンときた。アテネ五輪の時にカメラマンIDだったけど、取材しても文句はなかった。自分のことだけではなく、他社のカメラマンとの小さな小競り合いを見るうちに、徐々に神経がぶち切れてきそうになった。

 「最終日は徹底的にケンカするかもな」と保高幸子カメラマンに話すと、「なんで最終日なんですか?」と聞いてくる。それまでにケンカして、IDを取り上げられたり、オーストラリアお爺さんをぶん殴って刑務所送りになったら、HPの記事が書けなくなるでしょ。少しは考えて行動しなさい!

 すると、そばにいた朝日新聞の柴田記者が「IDを取り上げられることはないですよ。そんな権限はない。そんなことしたら、大問題になりますよ」とアドバイスしてくれた。そうか…。右拳に巻くバンテージでも探してくるか…。まあ、手をかけたら論外だろうな。

 この夜は笹本選手が金メダルを獲得し、取材の終了が9時前。最低限度の記事をアップしたあと、バスでMMCに到着したのが10時20分。食堂が遅くまで開いているので、世界選手権の時のようにカップラーメンで空腹をしのがねばならないことはないので助かる。食事のあと、午前1時近くまで執筆してアップ。日本は朝7時。朝起きてアクセスしてくれる人に笹本選手金メダル獲得の記事を届けることができ、ホッとして1時半に就寝。
ついにカタールでヘソ出しルックを見つけた。人気競技かと思ったが、日本の記者は2人だけだった。 午後の部はカタール選手が3位決定戦に出ることもあって満員へ。ベールをかぶった女性も観戦。イランでは女性のレスリング観戦は禁止だが…。

女の人にはことのほか優しい富山英明監督を盗撮! 取材をめぐり、係員とカメラマンのトラブル多発。 金メダルの笹本選手とカメラにおさまるミーハーカメラマン。

《12月10日=日》

↑メーン競技場の外観と内側
↑ドーハの夕日を見た。
 この日は比較的てきぱきと行動し、メーン・メディア・センター(MMC)を7時40分に出るバスに乗れた。午前の部は、カメラマンが少ないこともあって大きなトラブルはなし。午前の部の原稿を書き上げると3時半。

 6時の試合開始までまだ時間があるので、一度くらいはメーン競技場を見ておこうと思って陸上競技場へ。すぐそばに見えるけど、歩くと意外に遠い。さらにメディアの入り口が分からずに、無駄なウォーキングもあって、記者席にたどりつくまでに30分近くはかかった。

 雨にたたられた開会式のことは聞いていたが、実際に現場を見て、その話を実感。カメラマンなどは下着までずぶ濡れになったとか。雨が降ることを想定していない造りなのだから、雨には弱いはず。雪に弱い東京と同じだ。やはり、刑事の世界と同じで、記者も現場主義が大事と痛感。現場を見なければ、報じられていることがきちんと理解できない。

 アジア大会に来た記念にと、陸上を取材していた中村亜希子記者に頼んで記念撮影。今度はスポーツシティー内の巡回バスで帰ろうと思ったが、バス停を探してウロウロ。結局、歩いた方が早かったような気がする。アスパイアー・ホールの前にあるサッカーのグラウンド(日本チームが練習で使ったそうです)のベンチに30分だけ横になって体力の回復をはかって午後の部。

 ここでトラブル発生。日本の出る試合は66kg級と84kg級の3位決定戦だから、55kg級の決勝が終わるまで記者席でパソコンを打ち、そこからフロアへ降りようとすると、屈強な黒人ポリスが「インポッシブル。ゼア・イズ・ノー・スペース」と足止めされた。何人かのカメラマンともみあっている。報道の権利の侵害だ。マットサイドにスペースならたくさんある!

 こちらも片言の英語で対抗。「組織委員会に訴えるぞ」などと言うが、答えは同じ。いつまでもかかわっていては試合が始まってしまうので、観客席に移って撮影。飯室選手の試合が終わると、今度は記者とポリスのトラブルが起こった。ミックスゾーン(インタビュー・エリア)へも行けないという。英語が堪能な時事通信の富沢記者は、しっかりした英語でポリスとやりあい、「行く」「ダメだ。警察へ連行する」などとのやりとりの末に乱闘へ。服を引き裂かれてしまった。

 こんなひどい大会はない。結局、表彰式のあとミックスゾーンへは降りられたようだが、どの国の記者もカメラマンも、こんな運営にあきれ顔。あまりにもひどい大会だ。飯室選手と松本選手の銅メダル獲得の感動も、組織委員会への怒りの方が先にたって感じることができない。

 原稿の執筆を12時すぎまでやって、さあ、明日の女子の組み合わせを、と思ったが、データ・ボックスになし。おかしいと思ってメーン・メディア・センター(MMC)のあちこちに置いてある大会専用のコンピューターを調べても、「No information」のまま。グレコローマンの2日間はきちんと出ていたのに。

 HPに最低でも初戦の相手くらいは載せたいが、監督に電話するには遅い時間。心身ともに普通の状態なら、とことん探すかもしれないが、怒りと2日間の長時間労働で疲れ果てていたので、「もういいか。仕方ない」という気持ちに。東京スポーツの中村亜希子記者は、MMCのフロント・デスクなどにかけ合っている。本当にタフで仕事熱心な女性記者だ。私の尊敬する記者の一人です!
開幕10日が経ち、スタッフもだらけムード。IDのチェックポイントでも、ノーチェックが多くなった。 国旗が傾いて昇ってしまったグレコローマン55kg級の表彰式。北朝鮮などに謝罪したのかな? ミックスゾーンの入り口で起こった報道陣とセキュリティーのトラブル。

《12月11日=月》

↑なぜかセコンド不在で、誘導スタッフがセコンド席で試合観戦。それにしても邪魔なところにある。
↑フロアへ降りれるカメラマンの抽選。
 いよいよ女子がスタート。観客席には浜口選手や吉田選手のご両親など知った顔。この日の早朝にドーハへ到着し、そのまま会場へ向かってきたそうだ。試合の組み合わせが、この日の朝になっても出てこないという不手際があり、試合が始まっても誰と誰が闘うか分からないというトラブルがあったものの、午前の部は取材規制もなく何とかこなす。

 選手とセコンドを引導するスタッフの座る位置が撮影エリアからちょうど邪魔になってしまう。試合の合間にそのイスを動かしたりするが、いつの間にか元のところに戻して座られてしまう。誰の試合か忘れたが、ちょうど邪魔なところに座られてしまい、保高幸子カメラマンに「樋口さん、どかしてきてくださいよ!」と怒鳴られて背中を押されてしまう。そこまで頼られては仕方ないので、「プリーズ! カメラ!」と言いながらゼスチャアで動いてほしいことを伝える。相手は渋々応じてくれた。

 あとで、このやりとりを観客席で見ていたグレコローマンの伊藤広道コーチから「保高さんって、すごく気性が激しいところがあるんですね」と言われた。まあ、レスリングにからんだ時だけで、そのほかは極めて普通の子なんですけどね(たまにはこう書いておかないと、ブログでの掲載禁止を言われかねない…。あ、いえ、本当のことなんですよ)。

 午後の部は、さすがに組織委員会も前日のトラブルにこりたのか、カメラマンはチケット制にするとなった。2時半からプレスセンターで配るとか。こちらは、写真を撮りながら空いている時間にパソコンを打つ必要があるので、もう撮影エリアへ降りることは考えないことにした。でも、せっかくだから、その抽選場へ行ってみる。いざとなったら、事情を知らずに時間ぎりぎりにしたカメラマンに横流しできる。

 チケットを持っている白髪オーストラリア・オヤジが、筆者のIDを見て「ジャパン・レスリング・フェデレーション? もう、1人に渡しているから、ユーはダメだ」ときた。保高幸子カメラマンのこと。よく見ている。まあ、1社1人という理論はもっともなので、チケットは専門の保高カメラマンに譲った。しかし、東京スポーツのカメラマンやミキティがもらえなかった。何を根拠に選んでいるのか分からない(最終的にはチケットがあまったらしく、2人はフロアへ降りることができた)。

 午後の部が始まる前、福田富昭会長の通訳などを務めるターニャ古賀さんに会ったので、「マルティニティ(FILA会長)に言ってくださいよ。メディアに対して、こんなにひどい大会はない。レスリングはアジアのメディアを敵にまわすのかって」と伝える。すると古賀さんも、そうしたトラブルは耳に入っていたらしく、「FILAも客人だから、どうしようもないらしいわよ。カタールのレスリング協会は何の力もないみたいよ」との返事。すべての根源はドーハの組織委員会なのか。

 会場へ行くと、日本オリンピック委員会(JOC)の広報担当の竹内さんが来て、「時事の富沢が服を引き裂かれたんだって?」と聞いてきた。前日のトラブルがJOCへ伝わって伝わっているらしい。ちょうどこの日、2016年五輪にドーハが立候補を決めたという報が流れたので、「絶対に無理ですよ。こんな大会しか運営できないところに、オリンピックが開催できるはずがない」と伝える。東京は、他の都市に負けてもいいが、ドーハにだけは負けてはならない。
女子の試合にはぎっしりの報道陣が集まった。記者席や観客席にも記者、カメラマンがいる。 日本選手団の林務団長(左)、JOCの竹田恒和会長も観戦に訪れた。 NHKの青山裕子アナ。伊調馨の優勝の際、栄和人監督がちゃっかり握手していた。 55kg級はアジア・レスリング連盟の下田正二郎副会長がプレゼンテーター。

フロアへ降りられない筆者を慮ってフェンス越しにポーズ。本当に気配りがすごい子だ。! 試合に敗れ傷心状態でも、2人の副審判へのあいさつは忘れない浜口京子。 女子72kg級表彰式でA浜口さんがビジョンに映し出された。地元のスタッフもよく知っている。 無念の銀メダルに終わったまな娘を激励し、抱きしめたアニマル浜口さん。

《12月12日=火》

↑浜口夫妻を見送り。
↑吉田夫妻が差し入れてくれたカニ。近海で取れるらしい。
↑支援役員宿舎から見えたドーハの夜景。
↑どこかで見たことあるような看板だと思ったら、広州。左下が世界大会をやったところ。次回のアジア大会は広州です。
 この日はレスリング競技の中休み。世界選手権は7日間連続でやるけど、やはり中間に1日の休憩があると、体力も気持ちも楽だ。前夜は女子4階級でメダル獲得で原稿終了も遅く、寝たのが2時ごろ。で、この日の起床は11時。9時間の睡眠だったけれど、前2日間のの睡眠不足を補うには至らず、実際にベッドを出たのは11時半。12時になると2階の食堂が閉まるので、朝食を食べるために、仕方なく起きたという感じ。

 朝食を食べ、女子の原稿の続きを書こうとパソコンへ向かうが、頭が痛く、体にもだるさが残っていて、今ひとつ気持ちが乗らない。1時から2時間、昼寝をして、やっと頭がすっきりしたという感じ。場所をメーン・メディア・センター(MMC)に移して前日の女子の記事執筆の続きだ。

 7時に支援役員の宿舎へ向かう。浜口さん夫妻が7時半に宿舎へ出て帰国されるので、その見送り。ちょうど吉田さん夫妻が近くの市場で買ってきたというゆでたカニの差し入れがあり、支援役員の部屋へ行っていただくことにした。ノンアルコールビールとともに、日本産の焼酎がテーブルに並んだ。

 筆者は、せっかくイスラム圏へ来たのだからと、7日のビール中ビン2本を最後に禁酒に踏み切っていたので、ていねいに固辞し、コーラで「フリーも頑張ろう!」と乾杯。この日で5日連続、アルコールなしの記録を更新だ。

 筆者は決してのんべえではなく、居酒屋で生ビール3杯も飲めば前後不覚に陥るほどだが(ただし、セクハラ行為はしたことがありません。保高幸子カメラマン、中村亜希子記者、ミキティ、そうですよね!)、家では夕食時、“食欲増進薬”として350ccの発泡酒かワイン・グラス1杯くらい、1週間に6日は飲んでいる。

 1滴のアルコールも体内に入れなかったのが6日も続いたのは、94年7月に盲腸の手術で1週間入院した時以来の長さだと思う。やれば、できるものだ。

 何かをしなかった記録更新といえば、この5、6日、サイフからお金を出したことがない。これも新記録だろう。だって、記者としてここにいると、お金使うことないんですよ。朝食は記者村かMMC。昼食はレスリング会場にあるプレスセンターでサンドイッチなどの軽食がタダで食べられるのでそれで済ます。夕食は1日1枚の食券があるので、MMCで食べる。

 飲み物は、ミネラル・ウォーターやコーラ、ジュース、コーヒー、紅茶はタダ。記者村〜MMC〜会場への移動バスはもちろんタダ。仕事終了がいつも0時をすぎるので、MMCで食事をし、部屋へ戻って寝るだけ。MMCではインターネットは自由に見られるし、コピーなども自由にできる。

 ドーハに着いて空港で90ドルを327リアル(1リアル=約32.5円)に両替したが、そのほとんどがサイフに残っている。試しに、使ったことを思い出してみた。

 【5日】
ノート         2リアル (日本から持ってくるのを忘れたため)
サンダル      25リアル (宿舎の部屋であった方が便利なので)
旅行便利セット  15リアル (あった方が便利グッズ。スーパーで衝動買い)
昼食         20リアル (MMCではタダのお昼はないので、バーガーキングで)
 【6日】
昼食         25リアル (同上の理由で、ピザハットで)

 ドーハ滞在の8日間で使ったお金はこれだけである。合計87リアル(約2827円)。シドニー五輪やアテネ五輪は、記者村の朝食と水とコーラ、地下鉄などの交通機関だけがタダで、会場内とMMC内の食事はお金を払わなければならなかった。1食で30ドル前後。10日もいたら、食費だけで500ドル(約5万9000円)くらいはかかる。それに比べると、お金を使う必要のないいい大会ということになる。だからといって、メディア対応の悪さの帳消しにはならないが…。

 カニを食べながらの歓談中、和久井始コーチの携帯電話に和田貴広コーチから明日出場する2選手の組み合わせの結果が入る。60kg級の高塚紀行選手が、最悪の組み合わせになったとか。あと、どうも某国がらみでイカサマをやられているみたいだ、という情報も教えてくれた。某国の組み合わせが3階級ともすごいいいのだそうだ。偶然なのかもしれないが、レスリングの抽選には時たまこの種の疑惑が持ち上がる。

 MMCに戻って原稿の続きを書いていると、10時すぎに女子バレーボール決勝を終えた東京スポーツの中村亜希子記者が戻ってきた。こちらは休養日だったが、一般の記者にとっては期間中、休みはない。あと数日、頑張ってね。

《12月13日=水》

↑試合を終えた吉田選手とご両親らと応援。
↑計量を控えてくつろぐ富山強化委員長ら。
↑計量と抽選シーン。インチキができるものかどうか。
 前日、サイフを開けなかった記録継続と書きましたが、この日は朝、その記録が破られました。記者村のクリーニング店に預けていた洗濯物の代金が必要になったのです。Tシャツ1枚が5リアル(約163円)。伝票に「Tシャツ」と書いてある。「Tシャツ」というのは和製英語じゃなかったのかな。いや、あれは「Yシャツ」のことか。昔テレビで見た「巨泉の使えない英語」を思い出した。

 さて、この日から男子フリースタイルのスタート。なぜか保高幸子カメラマンが途中でいなくなり、重いカメラバッグを持って戻ってきた。「格闘技通信」のための金メダリスト、笹本睦選手の撮影だという。それは前日の休日にやるとか言っていたが…。笹本選手の都合でこの日になったとのこと。

 他のグレコローマン選手もその場にいたそうだが、撮影が終わると、菅太一選手が「保高さん、撮ってあげますよ」と言って、笹本選手や松本選手、飯室選手らとともに写してくれたという。その写真を、さっそくパソコンのデスクトップに貼り付け(自分の写真をデスクトップに貼り付ける人も珍しい)、「菅君って、思いやりがあって、いい子なんですよ〜」と持ち上げていた。日大のきずな(保高カメラマンも日大卒)は強いようだ。

 さて、この日は3階級なので午前の部も早く終わり、てきぱきと執筆して記事のアップ。そして芝生そばのベンチで1時間の昼寝。午後は3階級でイランが決勝へ進出する。イランの記者も大喜びで、「スリー・ゴールドメダルズ」と言ってきた。

 その午後の部が始まる前の5時、計量会場にこっそり侵入。計量というのは公明正大さが必要で、公開の場所でやるという大原則があり、マスコミの出入りを禁止してはいけない。今年の世界選手権では、連日きちんと入れたし、普通はそうだ。今回は、開幕前日の計量は問題なく入れたけど、2日目からは練習会場で計量をやるということもあって、追い出されてしまう。いくら「FILAのルールだ」と説明しても、馬の耳に念仏だ。

 でも、ただで引き下がらないのが記者です。IDを裏返しにし、アテネ五輪の時に日本オリンピック委員会からもらった日の丸&五輪マークの入ったTシャツを着て侵入。いかにもチームのマネジャーというような顔でいると、どのスタッフからも何も言われなかった。スタッフは、まずIDを見るのではなく、まず仕種を見て、場違いな人間がどうかを判断するものなのです。

 で、抽選のシーンを行けるぎりぎりの場所でしっかり見ていた。今回は番号の書いてあるピンポン球を引く抽選。どうやってもインチキができるようには思えない。やはり思いすごしか…。

 今年の世界選手権はコンピューター方式で、カーソルの当てたところのトランプの絵がひっくり返って番号が出る方式だった。その結果、女子4階級はすべて日本と中国が別ブロックになっていた。やはりコンピューターの方に疑惑が残る。IT化が進んでも、抽選だけは昔ながらのくじ方式が公明正大でいいんじゃないかな?

 さて、会場の観客席にはイラン人がぎっしり。そしてイランが優勝する度に、イランで流行っているらしい音楽が流れ、それに合わせて大合唱が始まる。酒も飲まずに、よくこれだけ熱狂できるものだ。

 レスリングはイランのメーンスポーツ。田岡秀規選手の優勝を予想したイラン記者(6日に掲載)は、日刊のスポーツ紙(日刊スポーツじゃないですよ)の記者だそうで、ページ数は6ページ(日本に比べれば、かなり薄い)。そのうち5ページがレスリングだそうです。毎日5ページ分のレスリングの記事を集められること自体、日本では考えられないこと。メーン競技なんですね。
カタールの子供たちが日の丸を振っていた。 この日はイランの報道陣とスタッフが衝突。あちこちで小競り合いが発生。 会場を埋め尽くしたイランの応援団。3階級制覇で最高に熱狂していた。

《12月14日=木》

↑大渋滞。普通なら25分のところを75分かかった。
↑保高カメラマンが「カッコいい!」と言ったタイマゾフの後頭部。
↑地元のテレビ局に出演した福田会長(撮影=鎌賀秀夫)
 いよいよ最終日。疲れていれも何であっても、あと1日と思うと気が楽だ。しかし、朝からイライラする事態が発生。メーン・メディア・センター(MMC)を8時に出るバスに乗ったはいいが、途中から渋滞でほとんど動かない。普通なら8時20〜25分には到着するが、その時間はメーン競技場からかなり遠いところをノロノロ。

 前見ると、車がぎっしり詰まっている。筆者などは、何度も腕時計と前方を見比べてしまう。そんなことをやっても事態は変わりないのに…。隣を見ると、ミキティー・カメラマンが平然として寝ている。このくらいの落ち着きがほしいなあ、と思った。

 9時には着けそうにもなくなり、組み合わせを見ると、日本選手の出る試合は4試合目が最初。バス停から会場までの所要時間を考えると、9時15分に着かなければ、日本選手の試合に間に合わない。保高幸子カメラマンは、このバスとは別に行っているので、もう会場にいると思って電話すると、「選手も遅れているので、9時には始まらないみたいですよ」との天の声。

 しばらくして「9時半開始だそうです」という連絡があり、それと同時くらいに抜け道に入ってスムーズに動き出した。会場到着が9時25分。試合が始まる前だったのでホッと一安心。午前の部には、130kg級の世界チャンピオンのアーチュー・タイマゾフ(ウズベキスタン)が登場。北京オリンピックのあとはPRIDE参戦が濃厚。こんな強い選手が打撃や関節技を覚えたら、エメリヤーエンコ・ヒョードル(ロシア=現在のヘビー級王者)にも勝てると思う。

 で、レスリングの強い選手なら誰にでも「カッコいい!」と言う保高幸子カメラマンが、例によって「カッコいい!」と言ってきた。「あのツルツルの頭でか。それなら、時にはオレの頭を見て、カッコいい、ぐらい言えないのか」と言うと、「ソ連圏の人はあれがカッコいいの。樋口さんの場合は違うの」と返してくる。

 あのね! 「男の価値は髪の毛じゃないのよ」ぐらい言えないのか!。本当に社交辞令のできない子だ。中村亜希子記者は、筆者の髪の毛のことを言ってきたことは、一度もないぞ!

 午前の部が終わると、イランの記者が「ヤズダニ(84kg級)がマツモトを投げたシーン、撮れたか?」と聞いてきた。準決勝で松本選手が豪快に投げられたシーンだ。パソコンに落としたデータを見ると、松本選手の体が宙に浮いているシーンが取れている。ここの社のカメラマンは取り損ねたらしく、そのショットを欲しいという。

 まあ、知らない記者ではないし、筆者の写真は所詮売り物になるほどのものじゃないから、無償提供した。そこへ、毒舌の保高カメラマンがプレス・センターに戻ってくる。今度は保高カメラマンに「ないか?」と聞いてきた。

 日本語で「撮れてないって言った方がいいよ。タダでくれ、って言ってくるから」と伝える。そしてイラン記者に、ゼスチャアを交えて「シー・ライクス・ジャパニーズ・レスラー。ソ、ジャパニーズ・レスラー、アタッキング、パチパチ。バット、イラン・レスラー、アタッキング、ノー、パチパチ」と伝える。すると保高カメラマンがゲラゲラ笑い出して、「今のシーン、かわいい!」と言ってきた。

 あのね、40歳をとうに過ぎた男をつかまえて、「かわいい」って言葉はないでしょ。せっかく保高カメラマンのためを思っていったのに…。「だって、今の英語、本当にかわいらしかったんですもん!」と言って、いつまでも笑っている。あのね、コミュニケーションというのは気持ちなの。「文法を間違っては恥ずかしい」とか思わず、ボディー・ランゲージであっても何であっても、自分の気持ちを伝えることが大事なの!

 結局、保高カメラマンが「アイ・アム・ア・プロフェッショナル・カメラマン。アイ・セール・フォトグラフス。バット、アイ・ドント・ギブ・エニー・フォトグラフス」と言って引き下がってもらった。そのあと、「日本でも外国でも、写真はタダだと思っている人、多いんですよね」と言ってきた。記事も同じです。私たちにとって、記事や写真というのは商品であり、店に並んでいる品物と同じなんです。

 もちろん、何が何でも原稿料を要求するわけではなく、人間関係でタダで書くときもあるし、レスリングのためになると思えば、お金を要求しない場合は多いですよ。でも、それらはあくまでも“厚意”。信頼関係があり、ギブ・アンド・テークの関係があればこそだということを忘れないでほしいですね。

 かくて、アジア大会が終わります。期間中は体がきつく、頭もボーっとしていましたが、最終日となると、なぜかそうした心身の不調より、終わってしまうのか、という寂しさを感じてしまうので不思議です。MMCに戻り、食堂も閑散としていて、閉幕間近というムードがたっぷり。結局、午前1時半までかかってこの日の原稿を仕上げ、記者村へ帰りました。
福田耕治審判員

斎藤修審判員

試合後、ドーハまで来てくれた母にお礼を言いに来た松本選手。意外に(?)母親思いだ。

《12月15日=金》

↑やっと「中東に来た」という気持ちになったドーハの旧市街。
 レスリングの試合が終わり、この日は夜11時15分発のエミレーツ航空で、ドバイ経由で帰国予定。昼間はたっぷり時間がある。そこで、まず睡眠。11時ごろまでぐっすり寝て、それから朝食。日記を書き、アップし終わったまさにその時、中村亜希子記者から電話。彼女は閉会式の取材があり、明日帰国だが、夜7時までの閉会式までは比較的時間があるとのこと。

 サンケイ・スポーツのレスリング担当の牧記者とも合流し、3時からドーハ市内を観光することにした。牧記者は帰国後、プロ野球の巨人軍担当へ担当換え。長い間レスリングに来てくれたが、当分、試合会場に来ることはできそうにもない。まあ、気楽に観戦に来てほしいものだ。本ホームページを通じ、「レスリング界の皆様、長い間、お世話になりました」ということです。

 さて、いざ出発となっても、メーン・メディア・センターのタクシー乗り場はいつまでたってもタクシーが来ないので、向かいのショッピンセンターのタクシー乗り場へ。ここは30メートルくらい人が並んでいる。すると、「タクシー?」と声をかけてくる人物あり。いわゆる白タク。市内までの料金を聞くと「20(リアル)」とのこと。「10」と値切って、最終的に「15」で妥結。30メートルの列に並ぶよりいい。

 3人とも観光ガイドなんてものは持ってきていないので(遊びに来たわけではありませんからね!)、とりあえず市の中心部にある「時計台」へ行ってもらう。その近くにいくと、屋外マーケットのある場所を教えてくれたので、そこで降ろしてもらう。白タクにしては親切で、ぼったくりではなかった。

 いかにもドーハ、という街路を散歩しながら、お土産を買い、持っていたリアルを使う。日本に持ち帰っても換金できないだろう。筆者は、いかにも中東という感じの金色のヤカンが気に入り、値段を見ると「110リアル」。これを「100リアル(約3300円)」に値切って買うことにしたところ、ヤカンだけではなく、その周りにあった皿やコーヒーカップなども合わせた値段とのこと。仕方ないのでセットで買ったが、5kgくらいの重さ。帰りの飛行機に預ける荷物の重量オーバーが気になった。

 結局、スーツケースは20.9kgで、超過料金はなし。あまり荷物を持ってこなかったことが幸いした。ドーハ空港で、余った10リアル(約325円)紙幣で飲めるものは、と探したところ、ビールが8リアル(約260円)。8日ぶりにアルコールを体内に入れ、ドーハを後にしました。(完)
これは子供向けのビジネスらしいが、これも中東らしい 最後に、ドーハのきれいな夕日を見ることができた。 100リアルだと思った金色のヤカン。皿、カップとセットの値段だった。 8日ぶりに飲んだビール。