担当記者の世界選手権


 担当記者の世界選手権を、旅日記風にまとめてみました。
(レポート・樋口郁夫)

9月21日(木) 9月23日(土) 9月24日(日) 9月25日(月) 9月26日(火) 9月27日(水)
9月28日(木) 9月29日(金) 9月30日(土) 10月1日(日) 10月2日(月)   

 《9月21日=木》

女子の直前合宿がスタート。同時に公開練習が東京・国立スポーツ科学センター(JISS)で行われる。
その後、有志記者によって赤羽駅近くの日本橋亭でコーチの激励会。
コーチ5人(全日本コーチ4人+綜合警備・大橋正教監督)に対し、
集まった記者は、名古屋へ帰るため途中で帰った人を含めて22人。

全日本コーチに決意表明を求め、「金メダル6個取れなかった時には上下のどちらを剃るか」を
断言してもらう。真っ先に「上を剃る!」と手を上げたのが栄和人監督。さすがは女子のトップ。
この決意の固さが、日本女子レスリングの強さの秘密か。

大橋監督にあいさつを求めるのを忘れていたので、最後に吉田沙保里ほか所属選手の好成績を
保障するあいさつをしてもらう。すると、栄監督が「オレがトリでなくなった」とすねたので、
最後にもう1度あいさつしてもらい、あらためて全階級金メダル獲得を宣言してくれた。
達成できなかったらスキンヘッド、という公約は守ってもらいましょう!

コーチとともに世界選手権へ向けての決起集会

《9月23日=土》

男子フリースタイルが全日空便で出発。私や矢吹カメラマン、東京スポーツの中村亜希子記者、
綜合警備の大橋正教監督、伊調寿行コーチ(千春・馨の兄)らは日本航空。
ほぼ同じ時刻の出発だけど、成田空港のターミナルが違うので、出発は別々。
全日空には、共同通信の森本任記者やフリーの美人カメラマン、佐野さん(愛称=ミキティ)が同乗。

朝日新聞の柴田真宏記者は中国南方航空とのこと。ところが、日本航空機にその姿が!
共同便だったのでした。広州へ着くと気温34度! 
9月下旬にして夏をもう1度経験でき、得した気分へ。

本部宿舎でIDカードの作成。日本からの取材申請書など全く関係なしに受け付けてくれる。
あの申請はいったい何だったのだ。時間かかるとのことなので、自分たちのホテルへチェックイン。
チェコからの取材のビル・メイさん(本HP英語版の記事も執筆)と1年ぶりの再会。

午後6時半、IDカードを取りにいくと、まだかかるという。仕事の遅いスタッフだ。
仕方ないので、記者14人でホテル隣の中華料理店で「記者も頑張ろう」の決起集会。
ものすごく辛い料理もあって、口の中が焼けてしまった。
夜9時、再度IDカード発行のデスクへ行くと、「あと1時間」とのこと。近くのマックで時間をつぶす。

10時10分、やっとIDをもらい、10時40分に広州空港着のノースウエスト便で来る
協会HPアシストの増渕由気子記者を矢吹カメラマンとともに迎えにいく。
これが初めての海外旅行という記者だけに、エスコートしなければ。

空港着10時35分。待つこと40分。もう誰も出てきそうにもなく、
どうなったのかと心配した矢先に出てきた。「ごめんなさい!」と謝る増渕記者に、
かなり酔っていた矢吹カメラマンが「オリャ!」と一喝。
深夜の高速道路を120kmくらいでぶっ飛ばし、ホテル着は0時20分。

機中の伊調寿行さんと矢吹建夫カメラマン。矢吹さんの左隣もけっこう大きな人で、ヘビー級2人に囲まれていた! 1年ぶりに再会したチェコ在住のビル・メイさん(右)と朝日・柴田記者、カメラマンのミキティ。
初日の夜は14人の記者で宴会。試合が始まると、夕食はきちんととれないので、これが最初で最後の宴会か?

《9月24日=日》

朝7時半起床。朝食、ひと休みのあと、増渕記者のIDを取りに本部のホテルへ。
申請だけして(発行は午後になるから)、広州の観光へ出発。最初の中山記念堂へ行くと、
何と、五輪3連覇のアレクサンダー・カレリン(ロシア)の姿が!

これには驚き。さっそく「ミスター、カレリン」と声をかける。過去、何度も取材したことがあるので
顔を覚えてくれていたようで、「オー」と言って握手を求められた。感激!

一緒にいた伊調寿行さんも大感激で、記念写真。寿行さんも大きいけど、その2回り大きい。

観光を終えて午後3時の計量へ。笹本選手の減量が大変だったという。
当日朝で1・9kgオーバー。でも、外国選手には1日でガクッと落として、長い期間減量することによる
体力の低下を防ぐ選手もいる。そんな目的でやっていたのかと思い、「わざとそうしたんですか?」と質問。
笹本選手は「そんなわけでないでしょ」とあきれ顔。
でも、この質問、そんなに的はずれではないと思うけどなあ…。

プレスセンターで組み合わせ表を待つが、なかなか来ない。そうこうするうちに、
FILAのホームページに組み合わせがアップされた。昨年の武漢でのアジア選手権もそうだったけど、
中国の記録発行への意識は低いから、先が思いやられる。

8時から開会式。中国で有名な雑技団のアトラクションがある。
でも、長いこと見ていると疲れるので、途中で切り上げ、食事へ行こうとする。
しかし、増渕記者が荷物を記者席においてフロアへ下りたまま行方不明。世話のやける記者だ。
朝日の柴田記者にことづけし、荷物を持って先へ行く。戻ってきた増渕記者、
自分の荷物がない、と泣き叫んだとか…。

カレリンとの思わぬ遭遇に、私(左写真)も伊調寿行さんも大興奮!
 
計量を終えた選手とコーチに取材する増渕(右)川崎(左)の両記者。 開会式で行われた中国雑技団のアトラクション。


《9月25日=月》

この日から試合。会場の規模はまずまずだけど、記者席から試合後の選手取材を取材する
ミックスゾーンへの道がスムーズでない。記者席で試合を見届けて、狭い階段と廊下を通って行くと、
もう間に合わないという感じ。笹本選手の場合、もうウォーミングアップ場に戻ってしまわれた。

 予想されたことだが、記録の出方が遅い。朝日新聞の柴田記者も不満いっぱいで、
「だれに文句を言えばいいの?」と聞かれたので、
「FILAの副会長(福田富昭・日本協会会長)でしょ」と答える。
柴田記者、カメラマンからIDカードを借りてフロアへ降り、FILA役員席にいる福田会長のもとへ。

さすがは大新聞の記者、行動力がある。え? なぜ自分でやらなかったって?
「中国はこんなものだから、仕方ない」とあきらめていたのです。
で、福田会長は地元の役員とかとかけあってくれたが、結論は「旧社会主義国だから仕方ない」だったようだ。
ね、私の行動、間違っていなかったでしょ。

今大会は午前中に準決勝までやるスケジュール。これは正直言ってきつい。
昨年は3回戦までやって休憩。午後に準々決勝、準決勝をやり、それから敗者復活戦だった、
案の定、午前の部が終わったのは2時20分。3時から計量、4時から午後の部ではきつい。

それでも、朝日新聞が雇ってくれた通訳の人の案内で、計量までの間に中国料理の店へ。
去年の武漢でのアジア選手権の時においしかった火鍋の店があるかどうかを聞くと、
あれは四川料理で、広州にはあまりないそうだ。
それでも体育館の近くに1軒あるので、その場所を教えてもらった。

不幸にも午後の部は日本選手の出場0。そのため、決勝終了後は比較的早く仕事が終わり、
待望の鍋料理店へ。辛かったけど、1年4か月ぶりの中国鍋に満足。

計量会場。今回は毎日3時から。
四川料理の鍋。右がチョー辛。でも、こちらに手が伸びる ハードスケジュールの後に食べる地元の料理だけが楽しみ? 初の世界大会取材の増渕記者と東スポ・西村カメラマン。

《9月26日=火》

朝起きて、朝食のためエレベーターへ向かうと、東京五輪金メダリストの小幡洋次郎さんと、
市口政光さんとばったり。レストランの大部屋は何かのスポーツの選手団専用になっていたので、
個室に通された。五輪金メダリスト2人との会食は緊張する。
2人が何者か知らない増渕記者らがうらやましい。

午前中に観戦に来ていたアレクサンダー・カレリンへの取材を敢行。
「ロシア選手の試合があるから、1時間後に」と言われ、その時間へ行くと、
74kg級のロシア選手が終わってから。その時間に再度行くと、
ロシアのおばさんレポーターが取材中。昨年もフリー74kg級優勝のサイキエフに
長々とインタビューしていた人。今回も長いインタビュー。

2人の後ろの席に座ってじっと待つ。カレリンはこちらの存在に気がついているのかな、
と心配になったが、インタビューが終わると、振り返って「レディー」とか何とか言ってくれた。
さすが気遣いがすごい。

「通訳は?」と聞かれ、「プリーズ・イングリッシュ」と言うと、「マイ・イングリッシュ・イズ・バッド」。
そこで「ミー・トゥー。シンプル・イングリッシュ」と頼むと、OKしてくれた。
インタビューの内容は後日のお楽しみ。

ところで、会場のフロアに、ものすごいセクシールックのロシアのTVレポーターがいて、
連日、日本の報道陣の目を釘付けにしている。セクシールックでは保高カメラマンも有名だが、
それよりはすごい。おへそもしっかり出ていて、顔もきれいなのだ。
保高カメラマンに「おまえよりすごいじゃないか。何ルックというんだ?」と聞くと、
「今は何とかルックなんて言いませんよ」とのこと。では「ホダカ・ルック」と命名。

某スポーツ紙のカメラマンは、正面からバストライもくっきり写っているシーンをこっそり撮影し、
プレスセンターでみんなに見せている。(どこか分かるよね、そんなことする夕刊紙って)。
さすが、根性ができている。私は、記者席から遠めに撮影するのが精いっぱい(下写真)。この臆病者!

カレリンにインタビュー。極めて紳士的に応じてくれた。 ロシアのセクシー・レポーター。正面から見るとすごいセクシー。

《9月27日=水》

朝、会場へ行ってフロアを見渡すと、な、な、な、何と、ロシアのセクシー・レポーターが
普通の格好をしているではないか。しかも長袖。いったいどうしたことかと、居並ぶカメラマンに聞いてみると、
初日、2日目と、日本のカメラマンが結構見つめていたので、嫌になったのでは? とのこと。
人を見つめる時は、遠慮しろよな!

午前中、高塚紀行選手が準決勝まで進出。準々決勝のハンガリー戦のラスト3秒の逆転劇は
すばらしかった。でも、準決勝のあと、富山監督が一喝。詰め掛けた報道陣をかきわけ、
有無をいわせない迫力でウォーミングアップ場へ連れて行き、
その怒号がミックスゾーンにまで聞こえてきたほど。準決勝進出で満足させてはいけないのだ。

昼食は、近くにある、本当に“地元の店”という手打ちラーメン屋へ。
日本の感覚で考えると“汚い”で、入る気にはなれない店だけど、“地元”を経験することも必要。
共同、朝日、中日などの記者、カメラマンで大挙して押しかけた。

すると、おいしい! そして安い! ラーメン+焼きギョーザで10元(約160円)もいかない。
ちょっとしたレストランに入ると、お昼でも50元(約800円)はいく。
こうした店で、本当の地元の味を体験することも、海外へ来る楽しさだ。はずれもあるだろうけど。

午後は高塚選手が銅メダルを獲得。矢吹カメラマンや先に原稿を書き終えていた増渕、川崎両記者ほかを
先に帰させて、プレスセンターで原稿執筆。LANがあるけど、スピードが遅く、写真の転送に時間がかかる。
終了は11時。もう周りに誰もおらず、係員にうながされるように外へ。

近くのセブンイレブンで、中国製おにぎりとビールを買って部屋で食べようとするが、
おにぎりはおいしくなく断念。ビールは瓶を買ってきたため、部屋に栓抜きがない。
よほどフロントへ行こうかと思ったが、睡魔に襲われダウン。結局、ほとん食べられないままベッドへ。
記者のみじめな海外生活! 楽しく海外へ行きたかったら、絶対に記者になっちゃダメですよ。

普通の格好になったロシアのレポーター。 おいしかった地元のラーメン屋。店の前で手打ちで麺をつくっていた。右端はおいしそうに食べる増渕記者(掲載は本人の了承を得ています)

《9月28日=木》

午前中の試合で、多いとは言えない観客席が沸いた。
五輪2度を含む9度目の世界一を目指していたブバイサ・サイキエフ(ロシア)が、
準々決勝で昨年の世界ジュニア王者に終了3秒前に技を受けて逆転負け。

長いビデオチェックの間、大の字になって休憩していた。サイキエフに有利な判定が出て、
これで大丈夫だろうと思ったら、最後の最後にポイントを奪われた。
8月にはロシアとカザフスタンの選手に負けていたし、そろそろ限界か。

勝ったブルガリア選手は、初戦で小幡選手を破った選手。
このまま勝ち進めば小幡選手が生き返るのに、次の準決勝で負けてやがんの。
勝つなら、とことん勝て!

お昼は、毎日中国料理ではあきるので、近くのジャスコのビルの中にあるピザ・ハットへ行こうと決断。
6階までエスカレーターで上がると、回転寿司の店が。増渕記者が「お寿司食べた〜い!」と
駄々をこねたため、お寿司の店に変更。しかし1皿が10元(160円)〜30元(480円)と高価。
5皿食べただけで、最低50元(800円)。きのうのラーメン屋は、1杯5元(80円)だった。
こちらのお昼にしては、すごい高価。ちょっと損した気分。

でも、せっか入ったので、25元(400円)のうなぎ丼を頼み、試しに寿司を1皿。
米もネタも日本とちょっと違うくらいで、日本料理といって合格だろう。高いことを除けば。

夜の部は残念ながら日本選手の出場なし。明日からは女子が始まり、
必ず夜の部に残るだろうと思えるので、この日が夕食を普通に食べられる最後の夜かも。
そう思い、タイ料理の店へ。チェコから来ていたビル・メイ記者、
「なんで、そう辛いものが好きなの?」と笑いながらも、一緒に来てくれました。

ビデオチェックの間に大の字になったサイキエフ(左)と負けた直後。 中国の回転寿司

わさびは入っておらず、しょうゆにわさびを溶かしてつける。 プレスルーム。期間中はひっきりなしにキーボードの音がする。 広州で食べたタイ料理。

《9月29日=金》

前日、福田会長を通じて国際レスリング連盟のラファエル・マルティニティ会長にインタビューを申し込み、
朝9時にアポを取りつけた。8時55分。ビル・メイ記者とともにFILAの役員席へ。
福田会長に連れられてプレジデント・ルームへ。姿が見えないので、
「忘れているのかな?」と話していると、9時ほぼぴったりに来てくれた。

忙しい人だし、第4試合に北村が闘うので、要点だけ聞く。
「サンキュー」というと、「日本のメディアから取材されて、私も幸福だ」という感じで言っていた。

試合は48kg級の伊調選手が快進撃。イタリア戦で不利な判定をされたりもしたが、決勝進出。
さあ、君が代が聞けるかという感じで、お昼休み。
グレコローマンより出場選手は少ないので(世界ではグレコローマンの方が盛んなのだ)
1時前には終了。これだと結構余裕がある。

外へ出ると、芝生の上でロシアの女子コーチになった元全日本コーチのセルゲイ・ベログラゾフさんが
サッカーに興じている。もう50歳を超えているはず。それでいて試合の合間にもサッカー。
元気いいというか、体を動かすのが好きなんだなあ、と思う。

お昼は2日前に行った街角のラーメン屋に再チャレンジ。前回は細麺だったが、
今回はきし麺的なものが出てきた。「え? なんで?」と言うと、
隣にいた川崎記者が「さっき、聞いてきましたよ。それに対して、樋口さんは『ワン(1)』と返事していました」
とのこと。そうか…。ま、きし麺も経験だ。

ひと休みのあと会場へ。伊調兄はFILAのVIPカードどこからか手に入れ、
妹のウォーミングアップを手伝っている。すばらしい兄妹愛!

決勝では私もフロアへ降り、マットサイドから取材。すると、あのロシアのセクシーレポーターが
背中丸出しのルックでいるではないか。横からこっそり撮影。
この日記を見ていた日本の某競技団体協会から「正面からの写真、期待していますよ」
とのメールが入っていたが、やっぱり正面からは取れないよ・・・。
望遠レンズを使ってだろうが、それができるカメラマンは偉いなあ、と思った。

夜は11時にプレスセンターを出て、ホテル近くのセブンイレブンへ。
中国式おにぎりはダメなので、この日はカップラーメンと青島ビール。
同室の伊調兄は祝勝会でか、帰っておらず、1人で記者のみじめな夕食を食べました。

サッカーに興じるセルゲイさん(左端)。元気いい。 きし麺みたいなラーメン。好みもあるけど、細麺の方がおいしかった。 ウォーミングアップ場を上の窓からこっそり激写! セクシー度は「中」くらい

《9月30日=土》

この日、記者席に大きな衝撃が走った。日本レスリング界最狂のカメラマン、
保高カメラマンが、朝日新聞に「レスリングに魅せられた女性カメラマン」として写真入りで掲載されたという。
ただし、中部地区の版のみ。でも彼女の実家は岐阜なので、お母さんからもメールがあったそうだ。
そのファックスを見せてもらった。大きな口をあけて叫んでいる写真入り。
ファックスだから白黒だけど、現物はカラー写真だそうだ。

確かに珍しいカメラマンではある。でも、朝日新聞が扱うほどの話題か!
朝日新聞も○○たなあ、というのが筆者の感想。でも、もし筆者が見出しをつけるなら
「レスリングに魅せられた変人カメラマン」だろうな。これならニュース・バリューがある!?

で、いつもは雑誌の仕事をしているミキティ・カメラマンが驚いた。
「取材されて、こんなに早く載るんですね」。雑誌カメラマンの感覚では、取材されたものが、
1週間後とか、場合によっては1か月後に記事になるので、この速さが受け入れられなかったようだ。

「ホームページだったら、取材して、一番早くて5分後には記事になるぞ」と言うと、
「えー!」と驚きの声。「だったら取材してよ」という顔だったので、保高カメラマンとともにパチリ。
2人とも独身。よろしくね!

フロアでは、保高カメラマンよりすごいロシアのレポーターが、な、な、何と、ノーブラでいるではないか!
ノースリーブごしにはっきり分かるのだ。今度こそ、何とかと思うけど、正面に立つと、何もできない!
ま、これが普通の人間の感覚なのだと思うけど。

日本選手3人の快進撃もあって忘れていたけど(本当です!)、最後に記者席の前に来たとき、
高いところからこっそり撮影!


そしてこの日もホテル帰りが夜の11時30分。グーグー寝ている同室の伊調兄を横目に
セブンイレブンで買ったカップラーメンとビールでさびしく夕食をとったのでした。

保高カメラマン(右)と佐野カメラマン。 計量後の京子選手を激励する浜口夫妻。 吉田沙保里へのインタビューはかつてのライバル山本聖子 記者のわびしい夕食です!

《10月1日=日》

長かった大会も、いよいよ最終日。記者席には、どこともなしに「あと1日」というムードが漂う。
出場選手数はグレコローマンほどではないので、11時45分には午前の部が終了。
(ちなみに初日の終了時間は2時20分!)。

やや余裕があるものの、午後の部が1時間早い3時に始まる。
まして2人が決勝進出を果たしたので、原稿の準備のため、ホテルには戻らずプレスセンターで執筆。
ここ3日間できたホテルへ戻っての昼寝はカット。

それでも昼食とキャッシュをおろしに街中へ。この日は国慶節とかで、
いわゆる建国記念の日。街中は人であふれていて、5分でいけるところが15分もかかるほど。
やっとの思いで戻り、執筆継続。そうこうするうちに午後の部スタート。

67kg級で、女子では初めて地元・中国の国歌が流れる。競技役員も直立不動で国歌を歌っている。
やはり国歌や国旗に対する思いは強いようだ。


終わったのが7時。高田裕司専務理事が昨年に続き、日本チームの役員・審判と記者の懇親会を
開いてくれるという。そのため10時開始までに記事を仕上げようと
石炭をたいて(急ぐ=相撲用語なのです)記事を書く。

遅れてはならないと、9時半にいったん執筆を切り上げ、指定のホテルへ。
今回、マスコミは、中継の日本テレビを別にして20人を超える記者・カメラマンが広州に来ていた。
ちなみに、1995年モスクワ世界女子選手権を取材に来たのは1人、
1997年フランス世界女子選手権を取材に来たのは記者2人・カメラマン2人、
2002年ギリシャ世界女子選手権に取材に来たのは、記者5人・カメラマン1人でした。

懇親会には一部の記者が来れなかったけれど、スタッフと合わせて約30人のパーティー。
福田会長も来てくれた。そこで、記者やカメラマンにも自己紹介をお願いし、感想などを話してもらったが、
総じて言ってくれたのは、「レスリング協会は取材がしやすくて感謝しています」だった。

マスコミを大事にし、「マスコミのプレッシャーに負けるようなヤツが世界で勝てるか!」
という精神は、日本レスリング界不変の精神!
女子レスリングにも脈々と受け継がれているのです。

11時半に会を抜け出してホテルへ。原稿の最後の仕上げをして、午前2時から
4階にあるマッサージルームへ行って、最後のリラックス。やっと終わったけど、
明日はチェックアウトまでの間に「格闘技通信」(ベースボールマガジン社)の執筆がある・
8日発行なので、2日午前には送らなければならない。まだ終わりではないのだった。
8日発行の「格闘技通信」、よろしく。

日記には書いていないが、記者席にもロシアの美人記者がいたのだ! 67kg級の表彰式で中国国歌を誇らしく歌う若い役員たち。 浜口敗戦の直後、FILA役員席から福田会長が一目散に駆けつけ、激励。 昨年に続いて行われたスタッフ&記者の懇親会。福田会長も出席してくれた。

《10月2日=月》

午前8時に起床。シャワーのあと、「格闘技通信」の記事と写真説明の執筆へとりかかる。
終わったのが10時。30分でスーツケースの中に荷物を何でもいいから詰め込み、
フロントでチェックアウト。「バッテリーの忘れ物がある」ということなので、
川崎記者に行ってもらう。すると「何もなかったです。でも、これが忘れてありました」
とコンビニ袋を持ってきた。あのね、これは、もう古くヨレヨレになったので、ここで捨てていくパンツと靴下!
で、忘れていたバッテリーって何のことかな。今のところ、心当たりがないのです。
(後日、手のひらすっぽりおさまるiPODであることが判明。約2万円の損失!)

2台のタクシーに分乗して空港へ。運転手に「エアポート」と言っても分からず、
「空港」と漢字を書いても理解できない。「東京」と書いて、羽根をつくるゼスチャアをしたらやっと理解。
後で分かったことだが、「空港」ではなく、「飛行機場」だったら分かったようだ。

空港では、別のホテルだったフリーのミキティ・カメラマンらと合流予定。
私たちはJALで、ミキティたちはANAなので、チケットを発券してもらったあと、
ALSOK綜合警備保障の大橋正教監督とともに、ANAのカウンターへ向かう。

そこには男子グレコローマンの団長で、そのまま居残っていた今泉雄策団長の姿も。
あいさつし、大橋監督と2人で「今泉さんにあいさつに来ました」と言うと、
「何を、心にもないことを言っているんだ」と一喝。いえいえ、本当のことです…。きっと…、たぶん…。

総勢6人でブランチを食べにレストランへ。某記者が、どこかでつかまされた20元紙幣で、
その後、偽札だとしてどこからも受け取りを拒否された紙幣をみんなに見せてくれた。
日本人には偽かどうか分からないが、言われてみると紙質が違う。

で、ここから先に面白い武勇伝があるのだが…。まあ、これを書くと、
中国の公安から指名手配がかかる可能性があるので、やめておきましょう。

期間中、このバカな日記を含め、ホームページへのアクセス、ありがとうございました。
10月1日には、ふだんの日曜日の20倍近くにあたる1万9661件のアクセスがありました。
(ユニークアクセス=1人が何回アクセスしても「1」とカウントされる=は1万4932件)

来年は旧ソ連のアゼルバイジャンでの世界選手権。
この日記は「エロい」という悪評もあるようですので、来年は女性記者に書いてもらおうと思っています。
来年は、まともな記者による、まともな取材日記を期待してください。

今後とも当ホームページをよろしくお願いいたします。
《おわり》

広州の空港で最後の中国料理。某記者がニセ札を見せてくれた。


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