【特集】実現するか双子対決! 長島兄弟がフリースタイル74kg級にエントリー【2007年12月20日】








 21世紀、レスリング界で最初に活躍した双子レスラーは、長島正彦(青山学院大〜現太田倶楽部)、和幸(早大〜現クリナップ)だ。ここ数年は弟・和幸が男子フリースタイル74kg級で活躍。昨年度は全日本の頂点を極めた。今年の全日本選手権でV2を狙うが、同組になんと双子の兄・正彦がエントリーしている。実は、この双子、10月の秋田国体で準決勝で対決し(右写真=赤が和幸、青が正彦)、テレビ放送もされて話題になった。22日に行われる同級は、いろんな意味でおもしろい階級になりそうだ。

■同じ道を進んできたエリート双子

 正彦、和幸の2人にはさらに兄・康弘がおり、重量級で活躍した。2人は兄が優勝する姿を見てレスリングを始めた。ともに群馬・館林高時代に5冠王へ。鳴り物入りで大学に進み、大学では全日本学生選手権を正彦が2連覇、和幸が3連覇を達成。若手のホープに躍り出た。目標は「アテネ五輪で金メダル」。だが、その夢は叶わなかった。

 2001年9月、女子の五輪種目入りが正式に認められたが、同時に男子は階級は減らされた。69kg級は66kg級へ、76s級は74kg級への変更を余儀なくされた。以前は7kg差だった2人の階級は8kgにまで広がる。同じ体格にもかかわらず、身長の低い正彦が66s級を強いられることになった。このころから正彦にけがが目立ち始めた。家庭の事情もあって、正彦は“プロ”の道を選ばず、卒業後は地元で公務員になる一方、和幸は企業で“プロ生活”を選んだ。同じ道を歩んできた双子が、初めて違う道を進み始めた。

 減量がキツい正彦は2004年の埼玉国体で74kg級に出場し、3位の成績を残した。しかし全日本選手権にはエントリーしなかった。「同じ階級じゃ戦えない」。お祭り気分の国体と違って、世界選手権がかかる全日本レベルの大会での兄弟対決を回避した。2006年は再び66kg級に戻して全日本社会人選手権で復帰。しかし2回戦で敗退し、全日本選手権への道は断たれた。練習相手が少ない地方での厳しさと減量のキツさのダブルパンチを食らった。

 一方の和幸は、早大卒業後、プロとして順調に成長。全日本での入賞も常連となっていた。しかし、超えられない壁があった。それが同級王者の小幡邦彦(ALSOK綜合警備保障)だ。「20回以上やって、一度も勝ったことがない」という。接戦を持ち込むことだできても、あと一歩及ばない試合が続いた。2005年のシーズンは、クリンチのみによって2試合連続黒星と消化不良で連敗。

 「家族のためにレスリングはしてません。自分のためです」。双子だからこそ質問の定番になる、“家族”というキーワードをぶつけると和幸はバッサリと言い切った。それくらい切羽詰っていた。

 “プロ”としての3年目の2006年。そろそろ結果を出さねばならない和幸は、1月の2006年度の全日本選手権で、念願の全日本のタイトルを手に入れた
(左写真=決勝で萱森を破り全日本王者に輝いた和幸)。その観客席には家族の姿があった。「母親は泣いていたし、正彦は笑顔で喜んでくれた。自分は本当に悪いことを言ってしまった」。一人で戦っていたつもりだった和幸は家族の愛を知った。

■正彦の復帰を和幸は「うれしいですね」

 それから9ヵ月後の秋田国体のフリースタイル74kg級には、長島兄弟の名前が並んだ。正彦が1年以上のブランクを経て復帰したのだ。五輪を目指すためだけがレスリングじゃない。国体では地元・群馬代表の肩書きを誇らしげにレスリングをする正彦の姿があった。和幸はクリナップの会社がある福島代表として、ついに準決勝でぶつかった。

 結果は“プロ”の和幸が2−1で薄氷の勝利。第3ピリオドは1点差で、正彦がラスト10秒でローシングルのタックルを4本出したが、及ばなかった
(右写真=国体で激突した兄弟)。練習量ははるかに和幸が多い。その状況で、正彦は「最後の1点は譲りました」と言って悔しさを吹き飛ばした。和幸も「もう、兄弟対決はいいです」と苦笑いしつつも、「兄弟そろってマットに立ててうれしい」と兄のカムバックを心から喜んだ。

 館林高校時代の双子の恩師の小林希監督は「2人ともに、壁をひとつ超えたかな」と両者の成長に目を細めていた。22日に同じマットに再び立つ長島兄弟。双子対決は再び実現するか。

 「やりたくないけど、やるならば決勝の舞台で」(和幸)。学生のタイトルを総なめにした“史上最強の双子”長島兄弟が天皇杯のマットに戻ってくる!



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