【特集】“オレ流”大沢茂樹(山梨学院大)、王者の試練を乗り越えて再び頂点へ【2007年11月9日】








 2005年に1年生で全日本大学王者に輝いた大沢茂樹(山梨学院大=
右写真)が、2年ぶりに60s級の王者に返り咲いた。昨年、アジア・ジュニア選手権優勝、世界ジュニア選手権3位の成績を残し、今年6月には超攻撃的スタイルで全日本選抜選手権を初制覇した。プレーオフで敗れ、世界選手権出場はならなかったが、湯元健一(日体大助手)、高塚紀行(日大)、大沢と60s級の“3強時代”を強く印象づけた。

 しかし、8月の全日本学生選手権(インカレ)は2位、10月の秋田国体は3位に終わり、世界代表を逃して燃え尽きた部分があったが、「今は北京五輪に出場することだけを考えている」と代表権獲得に意欲を見せている。

■強すぎるからこそ、全選手から徹底マーク「誰も攻めてこない」

 全日本選抜選手権を制し、全選手から一段とマークされるようになった大沢は、ひとつの悩みを抱えていた。「6月の全日本選抜の後は、誰も攻めて来なくなったんです」。大沢のスタイルは本来、クリンチになりにくい超攻撃的。しかし、インカレ、国体ではその“らしさ”がまったく見られずに優勝を逃した。大沢のレスリングをライバルたちが徹底的に研究をし始めたからというのが一因だっただろう。

 6月の全日本選抜選手権で誰もが舌を巻いたのが2回戦の清水聖志人(クリナップ)戦。2006年世界3位の高塚をストレートで下した清水を、鮮やかなカウンター攻撃でフォールに追いやった。ルール上、クリンチ勝負に持ち込めば相手が“天才”でも勝機を見出せる。そのため、多くの選手が大沢の前では手堅くディフェンスに回る。カウンター攻撃を封じられた大沢が業を煮やして攻めたところを逆にカウンターで攻撃するというパターンが多かった。

 インカレ、国体と負けが続いた状況で、今大会は普段より腰高で足が止まり、攻撃も中途半端なスタイルだった。コイントスで勝負を決めた試合もあった。「けがによる練習不足でタックルが出せないのでは…」とささやかれた。しかし、大沢は「スタイルを変えようと思ってわざとやっていることです」と不調説を一蹴し、あくまで全日本選手権への布石と言い切った(右写真=決勝第3ピリオド、終了間際にタックル返しを決めて優勝を決めた)

 「今は組み手を勉強中です。ただ、迷いながらレスリングをしているので、ちょっと足が止まるなど、レスリングがバラバラになるときがあります」と今のスタイルが完ぺきでないことを認めたが、「昔の攻撃スタイルに戻すことはいつだってできます」とタックルやカウンター攻撃がサビついていることは否定した。

■誰にも染まらない“黒色”の選手

 昨年まではジュニアの大会にも出場していたので、本格的にシニア参戦するのは今年からということになる。その1年目にして全日本選抜王者へ。海外でも十分に戦える素質を持っていることから、「20年に一人の逸材」と周囲は天才扱いする。大沢自身は「天才のつもりはありません。努力を積み重ねた結果がこれです」と謙遜するが、練習量に対して成績がいいことで“天才”と評価されている部分については、「切り替えてやっているだけ」とメリハリをつけた生活を送っていることを強調した。

 小学校まではサッカー選手でレスリングもやっている状況だったが「個人競技が向いている」と判断して、その後の10年間はレスリング一本でやってきた。大学に入ってからのスタイルは超自己流。「自分は誰の色にも染まらない“黒”のスタイル。現在のレスリングスタイル、作戦、技の研究はほぼ一人でやっています」。

 もちろん、「いろいろな人にお世話になっている」と高田裕司監督や母校・霞ヶ浦高の大沢友博監督など諸先生たちの指示を仰ぐことはあるが、最終的にその技を使うかどうかの選択は自分で決めている。どのスタイルにも染まらない、まさに“オレ流”。今大会のスタイル変更も天皇杯を見据えてレスリングを多角的に研究した一環だ
(右写真=決勝戦でわき腹を痛めたが…)

 6月に王者になったことから、多方面から研究され丸裸にされたが、インカレ、国体で痛感した王者の試練を今大会で乗り越えることができた。果たして、12月の天皇杯全日本選手権で大沢が見せるレスリングスタイルとは――。“オレ流”大沢の“さい配”にも注目だ。

(文・撮影=久坂大樹)



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