【特集】吉田沙保里の“弟”の参戦で激戦階級がさらに燃える!…男子フリー60kg級・小田裕之(国士大)【2007年11月3日】








 国内で最激戦と言われている男子フリースタイル60kg級。その闘いに新たな逸材が参戦することになった。2003年に男子で史上3人目の3年連続中学王者に輝いている小田裕之(国士大1年、当時三重・一志中=左写真)。9月の全日本学生王座決定戦で、昨年世界3位であり今年の学生王者の高塚紀行(日大)を破り、大学進学半年にして大気の片鱗(へんりん)を見せた。

 今月8〜9日の全日本大学選手権(岐阜・中津川市東美濃ふれあいセンター)で1年生王者の期待がかかるとともに、12月の天皇杯全日本選手権ではダークホース、いや大学選手権の結果次第では優勝候補の一角に躍り出る可能性も出てきた。

■2003年に史上3人目の全国中学生選手権3連覇達成

 高塚戦を振り返る。第1ピリオドを1−2で落とした小田は、第2ピリオドは0−0で2分間を終了。コイントスで勝ってテークダウンを奪い、ピリオドスコアを1−1とした。第3ピリオドも0−0で終了。今度はコイントスに負けてしまった小田だが、高塚のクリンチを切って五分の体勢とし、30秒を守り切った。

 高塚とは初顔合わせだった。「試合前は位負けしてしまい、『絶対に勝てない』と思っていたんです」。しかし第1ピリオドが終わると、「勝てるかもしれない」に変わった。組み手やかけてくる圧力などが考えていたほどではなかったからだ。この気持ちの変化が闘いにも現れ、失点を許さなかったことが勝利へつながった。

 もちろん、この白星で高塚を追い越したと考えるのは早計だろう。本当に自分の力で取ったポイントは第1ピリオドの1点だけ。クリンチを受ける体勢になってもあきらめずに逆転勝利へつなげた粘りは褒められても、攻撃力という点ではまだまだ。

 何よりも、この大会で安沢薫(早大)と内村勇太(拓大)の2選手に負けており、世界3位を破ったのは「まぐれ」と言われても返す言葉はない。「スタミナに難があります。レスリングのスタミナをもっとつけなければなりません」。1年生大学王者の道は決して楽な道ではない。

 しかし、全国中学生大会3連覇
(右写真=2003年に3年連続全国中学王者へ)で示した資質をあらためて証明し、その存在を周囲に認めさせたことは今後に向けて大きな武器になりそう。男子で全中3連覇を達成したのは、93〜95年の松永共広(静岡・焼津中)、97〜99年の松本真也(京都・網野中)に続いて小田が3人目になるが、小田の高校時代の成績は、前記2人ほどではなかった。

 松永が静岡・沼津学園高で2年連続五冠王(全国高校選抜大会、JOC杯ジュニアオリンピック、インターハイ、全国高校生グレコローマン選手権、国体)、松本が京都・網野高時代の2年半でメジャー8冠制覇(全国高校選抜大会2度、インターハイ3度、国体3度)というとてつもない大記録を打ち立てたのに対し、青森・光星学院高へ進んだ小田の全国制覇は、全国高校選抜大会1度(1年末=
左写真)、インターハイ1度(2年)、国体1度(3年)だけ。「神童(天才的な子供)も、大人になればただの人」と言われるような道を歩むかとさえ思われた。

■不完全燃焼だった高校時代だが…

 小田が分析する。「2年生の最初にルール改正がありました。1年経っても、そのルールに対応し切れませんでした」。それまでの小田の攻撃パターンは、パッシブを取ってグラウンドの攻撃でポイントを取ることだった。そのルールが廃止されスタンド中心の闘いに移行してしまった。誰もが同じ条件だが、結果を残してきただけに、本気になって新ルール下での練習に取り組むことができなかったようだ。

 これではいけなと、3年生時は必死になって新ルールに取り組んだが、最後の夏のインターハイでは団体戦(55kg級)で燃え尽き、個人戦では10kgの減量ができずに無念の出場辞退。「悔しかったですね」。こうして中学校時代に天才ぶりを見せつけた選手の高校生最後の夏が終わったが、10月の国体は60kg級に出場し、1階級アップをものともせずに優勝しているのだから、やはり並の選手ではない。

 こんな“期待の星”も、高校時代のコーチ(金渕清文)の母校・国士大への進学を決めたことで、周囲から将来を危ぶむ声が多く上がった。かつて現役・OBを含めてのべ16人の五輪選手を輩出した国士大も、最近は低迷。フリースタイルでは2000年以来学生王者を輩出しておらず、05年の東日本学生リーグ戦では総合11位。学生レスリング界でもトップから大きく後退してしまっているからだ。

 強くなるには、強いチームに入って強い選手と毎日練習するに限る。レスリングに打ち込む意識も違ってくる。「他の高校の先生から反対する声がたくさん上がりました」。それにもかかわらず国士大進学を決めた理由は? 「日体大や山梨学院大、日大といったところを倒したかった。強いチームへ行って強くなるのもいいけど、強いところを倒してみたかった。自分がしっかりしていれば、どんなところででも強くなれると思います」。
(右写真=国士大で練習する小田)

■短い練習時間で最大限の集中

 この反骨精神は頼もしい限り。そんな決意を表すように、練習中の小田は、スパーリングの合間にもフットワークを使って体を動かし、腕立て伏せ、腹筋、シャドーレスリングと常に動いている。強い選手は、練習を見ていればすぐに分かる。スパーリングの合間に“完全休憩”などせず、マットの周囲で常に動き回っている選手がそうだ。

 「練習時間は高校の時よりも短く、2時間です。自分でやらなければ、あっという間に終わってしまう。2時間でどれだけエネルギーを出し切るかです」。監督時代には鉄拳指導も珍しくなかった滝山将剛部長も、時代の流れに合わせてすっかり様変わりし、今は選手の自主性を重んじる指導に変わっている。楽をしようと思えば、いくらでもできる境遇だ。

 その中で、6月の東日本学生春季新人戦では高校時代に2度負けている1年上の前田翔吾(日体大)にリベンジして優勝し、8月の全日本学生選手権では全日本選抜王者の大沢茂樹(山梨学院大)から1ピリオドを奪う善戦で3位入賞。そして前述のとおり高塚相手に殊勲の白星を挙げた事実をもってして、いかに強い意志を持って練習しているかが分かる。上から言われなければやらない選手ではない
(左写真=滝山部長の指導を受ける小田)

 滝山部長は小田を「技が多彩で、正しく身につけている」と評価している。同部長はキッズレスリングが盛んになるのはいいことだとしながら、「正しい技術を身につけないと、その時は勝てても後が続かなくなる。キッズの指導者は正しい技を教えてほしい」と訴える。小田の技は変なくせもなく、基本に忠実。それが小田の成長を支えているという

 三重・一志クラブで、吉田沙保里選手の父・栄勝さんに3歳の時から指導を受けた強さは正しい方向を向いている。キャリアを積むことで、もっと強い選手に育つはず。大きな可能性を秘めた選手の台頭は、国士大復活の狼煙(のろし)を上げるとともに、最激戦階級フリー60kg級をさらに熱く燃やしてくれることだろう。



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