【特集】二つの母校を持つ男、山梨学院大・倉本一真が2年ぶりに栄冠【2007年10月25日】








 過ちを犯したために、つみ取られそうになった若手の芽が、紆余曲折を経て再び花開いた。10月18〜19日に行われた全日本大学グレコローマン選手権60kg級は、山梨学院大の倉本一真(が決勝で“笹本睦の後継者”松本隆太郎(日体大)を下して、2年ぶり(2年前は55kg級)2度目の優勝を遂げた(左写真)。今年4月、山梨学院大に編入してからは初タイトル。「いろんな方に迷惑をかけての優勝です」と、うれしさ反面、神妙な面持ちで語った。

 倉本と言えば、昨年までグレコローマン55kg級の選手であるとともに、所属は拓大だった。滋賀・日野高校時代にJOC杯ジュニアオリンピックを制し、スーパー高校生と注目を浴び、ジュニアの日本代表として活躍。大学入学時から同級のホープとして期待されたが、ある事情があって今年山梨学院大の2年生に編入となった。「高田(裕司)先生に僕は拾っていただいたんです」。

■退学、引退、そして山梨学院大・高田先生からのスカウト

 2006年7月、“レスラー倉本”は死んだ。問題を起こして拓大を中退したのだ。「本当に自分が悪いことをした」とけじめをつけ、大学を去るとともに引退を決意。とはいえ、中学時代からレスリング一本で生きてきた倉本は、いきなり“生きがい”を奪われ、どん底だった。そんな倉本を救ったのが高校時代の恩師の南敏文・日野高監督など地元の先生たちだ。

 「問題を起こしてしまって、あちこちに電話をしたんですけど、話を聞いてくれない人なんて一人もいませんでした。みんな温かくて…。とりあえずこっち(滋賀に)帰って来いって。そして『お前からレスリングを取ったら何が残る?』って言われました」。大学中退とショッキングな形で地元に戻ってきた倉本の反省ぶりを見た上で、再度マットに戻るよう、誰もが勧めた。

 それでも自分が起こした問題の大きさもあり、同年10月の兵庫国体に引退試合として出場。しかし、今まで相性の良かった峯村亮(神奈川大)に初黒星をつけられるという納得いかない内容。「優勝して辞めるつもりだったのに…」とレスリングに未練が残った。

 「やっぱりレスリングをやりたい」。そう思い始めた直後、山梨学院大から編入の誘いがあった。拓大と同じ東日本学生連盟に所属し、ライバルでもある大学。誘いを受けるか迷いもあったが、面接時に“世界V5”の高田裕司・山梨学院大監督(日本協会専務理事)の「オリンピックを目指しなさい。練習したら行けるぞ」という一言で心が決まった。もう一度やり直す。倉本は再びマットを踏んだ。

■階級と所属を代えて再スタート

 「もともと減量が下手」という倉本は、これを機会に階級を60kg級に上げ、5月の東日本学生リーグ戦で学生再デビューを果たした。山梨学院大の同級フリースタイルには大沢茂樹がおり、倉本は2番手としてリーグ戦の半分を闘った。高田監督をはじめ、多くの人たちの尽力でマットに戻った倉本の使命はただひとつ、「勝つこと」だ。半年のブランク、階級変更をものともせず60kg級で大活躍。8月の全日本学生選手権もいきなり2位と存在感をアピールした。

 しかし、優勝するには大きな壁が倉本の前に立ちはだかった。日体大の松本隆太郎だ。ことしの世界選手権銀メダリストの笹本睦の後継者とも言われ、6月の全日本選抜選手権では、あの笹本から第1ピリオドを奪取。“最強の2番手”と言ってもいい。

 「前に出る力が強いし、ローリングも強烈で高校時代からずっと負けていました」と苦手な相手。ことしのインカレ、国体とすべて松本と対戦して敗北していた。その相手に対し、第1ピリオドに変形ガッツレンチで3点を奪い
(左写真)、第2ピリオドはきっちり守ってストレート勝ち。「初めて松本選手に勝ちました」と、通算5度目の正直での勝利を挙げた。

■元恩師の一言で決意「この技で攻める!」

 「勝った瞬間、まず浮かんだ顔は、西口先生(茂樹=拓大部長)でした」という倉本。拓大にスカウトしてくれた、その恩を“退学”という仇(あだ)で返してしまったバツの悪い間柄になってしまっていたが、松本との決勝戦を控えた倉本に「策はあるのか?」と声をかけてきてくれた。正直、分の悪い相手に倉本は作戦を決めかねており、失点しないことが最大の作戦で、コイントスなどの“運頼み”で勝負に徹する作戦を立てていた。

 そんな攻撃よりディフェンス重視で勝機を見出してる元教え子に、西口コーチは「これだろう?」と拓大が得意とする変形ガッツレンチのしぐさをして見せた。「攻撃のパターンのひとつに考えてはいたんですけど、西口先生のアドバイスで、グラウンドの最初の攻撃で使うと決心しました」。

 その技が見事にかかって、松本の体が返った
(右写真)。「技が決まった時、西口先生の『うまい!』という声も聞こえました。西口先生の盛り上げ方はずっと好きでした。退学になってもアドバイスをもらえるなんて……」と、拓大の看板で活躍できなかったことを申し訳なさそうに、感謝の気持ちを並べた。

■2012年ロンドン五輪を目指して

 「卒業後もレスリング続けるよね?」という問いに、「はい、続けます。オリンピック目指します」と倉本は即答。今後の活躍を誓った。拓大中退―山梨学院大という複雑な経歴に後ろ指をさされることもあるだろう。でもそれを覚悟で倉本はマットに戻ってきたし、拓大にいた1年半は無駄にはなっていない。

 「藤本浩平先輩(拓大4年)をはじめ、みんな良くしてくれる」。きっと数年後は拓大と山梨学院大が倉本にとって二つの母校となっているはずだ。拓大でお世話になった先生、先輩、退学中に温かく見守ってくれた地元の恩師たち、そして今、最高の環境を提供してくれる山梨学院の関係者たち……。倉本の優勝は、普通の学生より3倍の人たちに助けられながらの涙の優勝だった。

(文・増渕由気子)



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