【特集】かつてない苦しい闘いだったが、最後は会心の勝利…女子55kg級・吉田沙保里(ALSOK綜合警備保障)【2007年9月22日】







 満身創いで準決勝までを勝ち抜いた女子55kg級・吉田沙保里(ALSOK綜合警備保障)が、決勝の第2ピリオドは、これ以上はないという最高の攻撃で締めくくり、アテネ五輪を含めて6度目の世界一に輝いた。同時に北京五輪の日本代表を事実上決め、連勝記録を「115」まで伸ばした。

 試合を終え、握手を求めてきたセコンドの栄和人監督(中京女大職)にいきなり飛行機投げの洗礼
(右写真)。グレコローマンでは、コーチに抱きついてそり投げで投げる喜びのシーンは時おり見かけるが、飛行機投げで“日ごろの恨み”を果たすのは珍しい。

 「打ち合わせはまったくありません。監督が棒立ちだったので、思わずやってしまいました」。カメラマンの「もう1回!」の声に勢いは止まらず4連発。栄監督は体をさすりながら、「6度目の世界一なんだから、6度やらなきゃダメだよ」と振り返ったが、昨年同様、試合後も絶妙のコンビネーションを見せる師弟の姿がそこにあった。

■1回戦で“フォール勝ちへのこだわり”を捨てる

 苦しい決勝までの道のりだった。1回戦のジェシカ・ベヒテル(ドイツ)戦からその兆候は表れていた。思うようにフォールできない。「フォールの体勢に持っていこうとすると、すぐにブレークされる。外国選手に対してのより、私の時の方が絶対に短い」。世界チャンピオンへの厳しいと思えるジャッジが、吉田の気持ちからフォール勝ちにこだわる気持ちをあきらめさせた。

 そして3回戦の第1ピリオド。今年のパンアメリカン選手権とパンアメリカン大会の覇者ジャッケルネ・レンテリア(コロンビア)にタックル返しを受け
(左写真)、2−3とこのピリオドを落としたことから、試練の道が始まった、2005年5月のワールドカップ(フランス)、ティナ・ジョージ(米国)以来の失ピリオドに、吉田のコンピューターが正しく機能しなくなった。

 弾丸のようなタックルにいけない。辛うじて第2ピリオドを取ったものの、向かい合って指と指を合わせられて強く折り曲げられた痛さも加わり、第3ピリオドはほとんど攻撃できないまま、0−0で1分30秒を超えてしまった。多くの人が「コイントスで負け → テークダウンを奪われる」というシーンを重い浮かべたことだろう。

 だが、こうした中でも残り時間を見ることができ、ポイント取るための攻撃ができるのが吉田の強さだ。「残り15秒くらいの数字が見えた。コイントスにもつれるのは絶対に嫌だった」。思い切りのいいタックルが決まり相手の体が場外へ。残り時間は7秒。その7秒で相手は最後の突進を試みてきた。1点を取られたら負け。しかし、これを冷静にかわしてニアフォールに追い込み2点を追加して勝利を決定づけた。

 それでも、4回戦と準決勝の吉田の動きはいつものそれではない。正面から弾丸のように攻めるタックルが出せずに、いずれも1点を争う闘いとなり、ヒヤヒヤものの勝利。その動きのおかしさに、体の不調やけがをしているといった声があちこちから上がるほどだった。

■最後の決戦は吉田らしい勝ち方

 しかし6時間以上のインターバルを置いた午後の部の決勝では、過去3戦全勝のイダ・テレス・カールソン(スウェーデン)相手に、第1ピリオドこそ「慎重になりすぎて」という理由で1−0で終わったが、第2ピリオドは「自分のレスリングができた」という会心の勝利。最後をきちんと締めくくり、午前セッションでうわさされた“体調不良説”を一蹴した。

 「研究されていますね。今まで経験したことのなかった弱い自分を今回経験しました」。白星を6つ重ねた優勝にも、満足よりも反省の言葉が出てくる。「外国選手は今まで以上に圧力があった」とも話し、どの国の選手もレスリングのパワーがついてきていることを感じ取った。北京五輪へ向けて、やらなければならないことがたくさんある。

 一方で、「終わったあとのこの気持ち、最高ですね。やめるまで無敗でいきたい」と、勝ち続けることのよさも再確認した。試練を経験した選手ほど、さらに強くなれる。1日6試合というかつてない試合数と、かつてない苦しい試合の連続を経験した吉田は、ひと回り大きくなって北京のマットに立ってくれることだろう。

(文=樋口郁夫、撮影=矢吹建夫)



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