【特集】ガッツレンチの防御が甘く白星を逃す…男子フリースタイル60kg級・湯元健一(日体大助手)【2007年9月19日】







 男子フリースタイルの先陣を切ってマットに上がったのは、国内の激戦を勝ち上がってきた60kg級の湯元健一(日体大助手)。2年ぶりに戻ってきた世界選手権だったが、1回戦のサマル・ザクポフ(カザフスタン)戦を終えたマットの上には、頭をマットに沈める湯元の姿があった。

 「2年前よりも緊張したが、いい緊張だった」という中で試合はスタートしたが、どこかで硬さが取りきれていなかったのだろう。第1ピリオド、「慎重になって見合ってしまった」そうで、2分間で試合は動かず、コイントスは湯元の負け。クリンチでテークダウンを取られ、このピリオドを落とした。

 第2ピリオドは湯元がザクポフに牙を向く。開始40秒でバックを取って1点を取ると、アンクルホールド2回転を決めて5−0。その後も相手に攻めるスキを与えず、このピリオドを取って試合を振り出しに戻した。

 しかし、決勝の第3ピリオドで展開されたのは、ラスト2秒にガッツレンチをかけられて負けた今夏の「ベログラゾフ国際大会」(ロシア)と同じような一幕だ。課題としていたガッツレンチの防御ができず、またしても勝負を分けたのだった。

 第3ピリオドの展開は、53秒に湯元が仕掛け、くぐり抜けてバックを取りまず1点。アンクルホールドを執拗に狙ったものの決まらず、立ち上がりかけられたが、うまく相手に乗っかり2点を積み上げた。しかし、すぐさまザクポフが湯元のバックに回って1点。間髪おかずにガッツレンチ
(右写真)。電光掲示板に3点が刻まれ、スコアは3−3へ。ラストポイントによってカザフスタンの勝利が決まった。

 「今回は自分ひとりの負けじゃない気がする」。多くの人からのサポートを受けて上がった世界選手権の舞台。組み合わせからして、最低でも準決勝のイラン戦までは勝たなければと思っていたという。1回戦という早すぎる敗退に、だれにともなく「申し訳ない」と謝った。

 そして、すぐさま「五輪には絶対に出たい」と強い意志を口にし、12月の天皇杯全日本選手権で勝ち、五輪第2次予選となる来年3月のアジア選手権(韓国)でも勝って、再び世界のマットに戻ってくることを誓った。

 世界選手権ではつまずいてしまったが、北京五輪に向け、再び湯元は歩きだすことだろう。

(文=藤田絢子、撮影=矢吹建夫)



《iモード=前ページへ戻る》

《前ページに戻る》