【特集】世界選手権へかける(21)完…女子72kg級・浜口京子(ジャパンビバレッジ)【2007年9月15日】







  「クイーン・オブ・レスリング」−。女子72kg級の浜口京子(ジャパンビバレッジ=
左写真)は、1997年にフランスで行われた世界選手権で初優勝を飾って以来、そう呼ばれ続けてきた。単に世界での優勝回数からだけではない。世界選手権・オリンピックでの優勝回数なら、浦野弥生が6度優勝しており、吉田沙保里(ALSOK総合警備保障)と伊調馨(ALSOK総合警備保障)はすでに浜口と同じ5度の優勝をマーク。しかも、5年連続で世界一に輝いている。それなのになぜ?

 ひとつには、浜口が全日本選手権11連覇、クィーンズカップ11度の優勝を続け、日本はもちろん、世界の女子レスリングをリードしてきたからに違いない。一口に“10年”と言うが、アスリートがケガもなく体調を維持し続け、10年以上断トツに君臨し続けることが、どれだけの偉業であるか。それは誰もが認める、浜口の精進の賜物にほかならない。

■「何があろうと、負けは負け」…昨年のズラテバの反則攻撃

 そして、もうひとつ。浜口がクイーン・オブ・レスリングと呼ばれる所以(ゆえん)は、世界チャンピオンになってから今日まで、一度負けた相手には必ずリベンジを果たしてきたからだ。吉田や伊調馨のように連勝街道をばく進してきたわけではない。山あり谷あり。紆余曲折を経て、何度もたたきのめされながら、必死でドン底からはい上がってきた。

 アテネ五輪前年に地元・東京で開催されたワールドカップ。浜口はクリスティン・ノードハーゲン(カナダ)、トッカラ・モンゴメリ(米国)に続けて敗れた。だがその3ヶ月、浜口はプレ五輪でノードハーゲン、モンゴメリーにきっちり借りを返してアテネ五輪に臨むと、本番でもモンゴメリを撃破した。それ以前にも、世界王座から陥落していた2000年から2002年にかけても、黒星を喫した選手たちを世界合宿でのスパーリングでことごとく完ぷなきまでに叩きのめしている。

 そんな女王にとって、昨年の世界選手権決勝で敗れたスタンカ・ズラテバ(ブルガリア)へのリベンジは、今大会絶対成し遂げなくてはならない目標である
(右写真=昨年の決勝、ズラテバ戦)。日本協会が抗議し世界的にも問題となった反則まがいのヘッドパットで浜口の鼻骨を粉砕し、金メダルをつかんだズラテバは、今回も何をしてくるかわからない。それでも、浜口は正々堂々と闘うと誓った。

 「何があろうと、負けは負け。今回は必ず勝ちます。相手がどんなことをしてこようが、私はレスリングをするだけ。青春をかけ、愛しつづけてきたレスリングで、私は正々堂々とズラテバを倒します」

■アテネ五輪金メダリスト、王旭(中国)との決着戦も実現するか

 アテネ五輪金メダリストの王旭(中国)との闘いも、今大会、男女を通じて最も注目される試合となるだろう。今年5月のアジア選手権(キルギス)で浜口は王を破り、金メダルを獲得した。アテネ五輪、ドーハ・アジア大会と連敗したリベンジは既に果たされたが、浜口は満足していない。対戦成績は2勝2敗。北京オリンピックに向け、絶対に勝ち越しておきたい相手である。

 試合内容からも素直に喜べない勝ちであったことは、浜口自身が誰よりも感じている。相手有利のクリンチから尻もちをつきながらもタックル返しでポイントを奪っての勝利は見事だったが、微妙な判定であったことは間違いない。どう転ぶかわからない試合運びではなく、積極的に攻め続け、誰が見ても明らかなポイントを奪って勝たなければならないと浜口は覚悟している。

 二人三脚で歩んできた父・アニマル浜口、浜口がレスリングを始めたときから指導を続けている金浜良(ジャパンビバレッジ)に、1984年ロサンゼルス五輪銀メダルの赤石光生(ジャパンビバレッジ)が加わった磐石のコーチ陣。97年に浜口が世界選手権初優勝した際にセコンドについていた赤石コーチは、この1年間、徹底的にレスリングの基本を叩き込み、反復させてきた。

 これまでは弟・剛史や浜口道場の道場生が務めてきたスパーリングパートナーも、この春日大を卒業し、ジャパンビバレッジに入社した伊藤潤哉らが加わりさらに充実した。体調を気遣い、試合で大声援を送るのは、もちろん母・初枝さん。パワーアップした“チーム京子”が一丸となって、世界王座奪還に挑む。

 9月12日の壮行会で、浜口は選手団の一番最後に力強く決意を語った
(左写真)。「負けることは一切考えていません。勝つことしか考えていません。心から、勝ちにいきます」。その声の力強さに、決意と自信とが表れていた。

(文=宮崎俊哉)



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