【特集】世界選手権へかける(13)…女子51kg級・坂本日登美(自衛隊)【2007年9月7日】






 「自衛隊体育学校の一員として、全力で闘い優勝します」。世界選手権に向け、3連覇を目指す女子51kg級の坂本日登美(自衛隊=
左写真)は決意を語った。

 2000年から世界選手権2連覇を果たし、国際レスリング連盟が選ぶ年間最優秀選手賞も獲得。女子レスリングが初めて採用されるアテネ・オリンピックの“星”として、誰よりも早くから注目を集めながらも、ヒザを手術し、復帰戦となった2002年全日本選手権で中京女大の後輩・吉田沙保里(ALSOK綜合警備保障=当時中京女大)に完敗し、さらには精神的にも乱れて、2004年夏までレスリングから遠ざかったいた坂本にとって、北京オリンピックは最初で最後の挑戦だ。

■選手生命をかけたクイーンズカップで松川知華子に不覚

 坂本は、昨年の世界選手権(中国・広州)が終わると、すぐにオリンピック実施階級である55s級にアップ。今年1月行われた全日本選手権では吉田に敗れたもののの、確かな手応えをつかんでいた。「これなら、4月のクイーンズカップで沙保里に勝てる。もしまだ差があっても、オリンピックへの出場権をかけた次の全日本選手権、来年のクイーンズカップでは絶対に倒してみせる」

 そう思った矢先、日本協会は理事会で「女子は2007年の世界選手権で金メダルを獲得した選手を、その段階で北京オリンピック代表に内定する」と決定した。勝負をかける闘いが、10ヶ月以上も早まってしまった。だが、坂本は愚痴ひとつ言わずに増量に励み、吉田対策に集中し、世界選手権代表最終選考会を兼ねたクイーンズカップに臨んだ。

 だが、落とし穴にはまってしまった。レスリング関係者、マスコミ、会場に詰めかけた観客の誰もが坂本と吉田の決勝戦を期待する中、坂本は松川知華子(ジャパンビバレッジ=当時日大)に足元をすくわれ、まさかの準決勝敗退
(右写真=赤が松川)。表彰式のため、吉田と松川の決勝戦が行われているマットの近くで待機させられていた坂本は、ぼう然自失。もうろうとする意識の中で“引退”の二文字が脳裏をよぎったことだろう。

 坂本は悩み続けた。特例措置として、世界選手権2連覇中の坂本のほか、59kg級の正田絢子(ジャパンビバレッジ)の世界選手権代表をかけたプレーオフ出場が認められたものの、喜んで練習に打ち込みことはできなかった。「この先、レスリングを続けて何の意味があるのか。何を目標に練習したらいいのだろうか。沙保里に負けて、北京オリンピックへの道が閉ざされたら、引退する覚悟でクイーンズカップに臨んだのに」−。

■1%でも可能性がある限り、オリンピックを目指す

 それでも、坂本は現役続行を決意した。坂本を支えたのは、自衛隊体育学校の監督、コーチ、そして仲間だった。「自分にとって、オリンピックが最高の目標でした。ここ数年はそのために、きつい練習にも堪えてきました。でも、私は沙保里が世界選手権で優勝してオリンピック出場権をつかんでも、レスリングを続けます」。坂本は笑顔を取り戻し、力強く語った。

 「私のレスリング生命は、中京で終わっていたかもしれません。私が今こうしてレスリングを続けていられるのは、自衛隊の皆さんのおかげ。それを考えたら、世界選手権のチャンスを無駄にすることはできない。自衛隊体育学校にいる限り、世界チャンピオンになることが私の使命だとわかりました」

 51s級に戻し、世界選手権3連覇、5度目の優勝を目指す坂本は、同時にもう一つ心に決めていた。「オリンピックへの道はまだ残されている。例え1パーセントでもその可能性がある限り、諦めるべきではない。今までは妹の真喜子がいる48s級など全く考えたこともありませんでしたが、55s級がダメでも、48s級で可能性が残っていたら、私はもう迷うことなく48s級に下げて挑戦します」

 志定まれば、気盛んなり! 51s級では昨年3位のパトリシア・ミランダ(アメリカ)、準決勝で坂本に敗れたアレクサンドラ・コート(ウクライナ)らの上位進出が予想されるが、誰もが“女子51s級の最高傑作”と認める坂本のレスリングが戻ればライバルはいない。9月22日、アゼルバイジャンの首都バクーのマットで、坂本は芸術的でさえある安定感抜群のレスリングを世界に見せつけてくれることだろう。

(文=宮崎俊哉)



《iモード=前ページへ戻る》

《前ページに戻る》