【特集】あえて父と別の高校へ進み3位入賞! “地元”で燃えた森岡桂也(佐賀・鹿島実)【2007年8月5日】







 地元の鹿島実が、団体戦での3位入賞に続いて個人戦でも4人が3位入賞を果たしたが、その中でひときわ注目されたのが、84kg級の森岡桂也
(右写真)。父・敬志さんは1984年ロサンゼルス五輪前には富山英明・現日本協会強化委員長と接戦を演じて全日本2位に入った強豪であり、現在は福岡・三井高校の監督として多くの強豪を輩出している名指導者だ。

 森岡は2回戦から準々決勝までの3試合を、すべてピリオドスコア2−0での勝利。準決勝で全国高校選抜大会覇者の山口剛(岐阜・中津商)に第2ピリオドを取る善戦を見せながら、第3ピリオドはローリング地獄にはまってしまい、無念の黒星を喫した。

 「もう少しやりたかった」と試合後は言葉少な。しかし、準決勝のもうひとつの試合をマットサイドでじっくり観戦し、この大会が終わりではないという意思がありあり。「国体では優勝を目指して頑張りたい」と気を取り直した。小柴健二監督は「チャンピオンとはパワーも技術も違ったが、よく粘ってくれた。この3位に満足せずに、高校グレコ大会と国体で頑張ってほしい」と期待する。

■中学卒業と同時にあえて親元を離れる

 中学時代までは野球少年。しかし、心の中で「父と同じレスリングをやりたい」という気持ちを持っており、ちょうど親にも勧められて高校進学を機にレスリングへ。普通なら、父がいて強豪の「三井高校で」となるが、「3年後にインターハイがあるから」と佐賀県の高校を選び、父に「行かせてほしい」と頼んだという。

 強豪選手の息子とはいえ、レスリングの素人なので1からのスタートだ。だが、周囲は「強豪選手の息子」という目で見てしまい、普通の選手より注目される。「プラスの面もあったと思うが、他の選手にはない辛さもあったと思う」(小柴監督)と、そのギャップを埋めるのが大変だったようだ。小柴監督も「強くしなければ、いつまでもそのギャップに苦しめられるので、とにかく強くしたかった」と振り返る。
(左写真=試合前、父からアドバイスを受ける森岡)

 昨年の国体でベスト8に入る成績を挙げ、順調に実力を伸ばしていった半面、注目されるプレッシャーに耐えられなくなったのか、その頃、合宿所を抜け出して小郡市の自宅に帰ったという。森岡監督は、怒ることもなく迎え入れた。「本気でやめようと思っているわけでないことが分かりました。すぐに戻ってくれると思った」。事実、小柴監督が迎えに来て、そのまま合宿所に戻ったそうだ。

 そんな紆余曲折を経ての地元インターハイ3位入賞。敬志さんは「24時間体制で面倒を見てくれた小柴監督のおかげです。感謝しています。逃げ帰ってきた時、その苦しさを乗り越えたから、今があるのかな、と思います」と振り返る。「スポーツの面白さに接してくれれば、それでいい」とレスリングを押しつけることはしなかったが、高校進学にあたって「レスリングをやりたい」と言ってきた時にはうれしかったという。

■自立心こそが、実力アップの原動力!?

 敬志さんも中学卒業と同時に親元を離れてレスリングに打ち込んだ人間。父親譲りの独立心と言えるわけで、「自立心がついたのが、この成績につながったんじゃないかな」とも言う。自らはインターハイで「団体戦3位、個人戦ベスト8」の成績だったそうで、「ボクを上回りましたね」と、うれしそう。
(右写真=優勝した山口相手に、クリンチからのタックルでピリオドを取る。山口がピリオドを落としたのはこの試合だけ)

 卒業後は、父と小柴監督の母校の日体大に進学することがほぼ決まっている。まだ未完成の選手だが、それだけに大学へ進んでからの成長が楽しみ。昨年のように個人優勝選手を輩出できなかったが鹿島実だが、頼もしい選手を東京に送ることになりそうだ。

(文・撮影=樋口郁夫)


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