【特集】就任7年目での3位入賞! 地元の期待にこたえた鹿島実・小柴健二監督【2007年8月4日】






 地元の鹿島実が2回戦からの3試合に勝って準決勝へ進出。霞ヶ浦に2−5で敗れて決勝進出はならなかったものの、同県高校から初の3位入賞を果たした。元全日本チャンピオンでオリンピック候補選手、小柴健二監督にとって就任7年目での目標達成。昨年の個人戦優勝選手輩出(55kg級・内村勇太選手)に続き、指導者としての手腕を発揮した。

 霞ヶ浦に敗れたあと、選手を集めてミーティング。すると、小柴監督の目からみるみるうちに大粒の涙がこぼれ落ちた
(左写真)。負けた悔し涙ではなかった。優勝はならなかったが、レスリングエリートではない選手たちが、春の覇者・霞ヶ浦と真っ向から勝負できるまでに育ち、3位入賞を勝ち取ってくれたことに対する感謝の涙だった。

 「みんな、よくがんばった。やればできることが分かっただろ。自分たちのやってきたことに自信を持て。次は個人戦だ。全力でぶつかれ」。そう話す小柴監督の話を聞く選手たちも、次々に涙をぬぐった。小柴監督の脳裏には、7年間のいろんな思い出がかけめぐったことだろう。

■優勝は逃したが、選手の成長の度合いに「満足」

 「もうひとつ上まで行きたかった。でも、今の選手が1年生だった時のことを考えると、信じられない成績です。よく頑張ってくれました。選手に感謝したい。(監督を)やってよかった」。中学時代にレスリングをやっていた選手はたった1人、しかも優勝経験のない選手だ。他の部員も特別に運動神経がいいわけではない。

 キッズレスリングが盛んになり、高校に入ってからレスリングを始めた選手では2年半で全国のトップまでいくことが難しい時代だ。その中でチームを3位入賞まで引っ張りあげることができた。
(右写真=準決勝、55kg級で池田陵将選手が勝ってチームスコアを1−1へ)

 一昨年がベスト8で、昨年が2回戦敗退とはいえ優勝した秋田商に3−4の善戦。だからといって、今年勝てる保障などどこにもない。努力を続けなければ、勝ち抜けないのが勝負の世界。事実、3月の全国高校選抜大会は1回戦敗退だった。「地元開催のプレッシャーだって、各選手には大きくのしかかっていたんです。そんなことを考えたら、自然と涙が出てしまいました。誇れる生徒たちです」。

 優勝できずに「満足」といった言葉は使うべきではないかもしれない。だが、それぞれの選手のスタート時を考え、その成長の度合いに対して「満足」と振り返ることは、決して間違ってはいない。小柴監督にとって、指導者として初めて経験した地元インターハイへ向けての充実した日々は、涙をとめることができないほどまでに「満足」の日々だったのだ。

■五輪選手育成の夢も、1日1日の積み重ねから

 もちろん、地元インターハイが終わりではない。小柴監督は日体大時代の92・93年に連続で学生二冠王を獲得し、大学4年生で全日本王者となり、その後ワールドカップ王者にも輝いた“超エリート選手”だった。それだけに、この全国3位で、本当の意味で「満足」するとは思えない。

 全国一を目指した闘いはこれからも続く。さらに、自らが踏むことができなかったオリンピックのマットへ教え子を上げるための闘いは、始まったばかりだ。(左写真=準決勝戦終了後、選手同士のあいさつに合わせて霞ヶ浦高に深々と頭を下げた小柴監督。礼儀も自らの実践でもって指導)

 「別に何年後までに、とかの気持ちはありません。まず、このあとの個人戦に全力を尽くさせます。そして全国高校生グレコローマン選手権と国体を全力で闘わせます。新チームになったら、また1からの指導が始まります。1日1日の努力の積み重ねが大事なんです」。

 壮大な夢も、目の前の壁をひとつひとつぶつかって、破っていってこそ実現する。当分は、高校に入ってからレスリングに取り組む選手たちに手とり足とり指導する日が続くのであり、オリンピックを現実のものとして考えることは少ないかもしれない。

 だが、素人集団を全国3位にまで押し上げた小柴監督の情熱が続くのであれば、必ず夢が現実となる日がやってくるはずだ。佐賀のレスリングが熱く燃える日も、そう遠い日のことではないだろう。

(文・撮影=樋口郁夫)


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