【特集】ちばりよー、屋比久保さん! 沖縄レスリングの発展のために!【2007年6月28日】






※「ちばりよー」=沖縄の方言で、「頑張れ!」の意味

 中学レスリングの充実が叫ばれて久しい日本レスリング界だが、現在、全国中学生選手権は3年連続で出場選手数が増加し、参加する県も増えてきた。今年の大会には沖縄県から初参加があり、いよいよ47都道府県すべての県からの参加する日が近づいてきた感がある。

 沖縄県から参加したのは、浦添工業高校の屋比久保監督
(左写真)率いる「てだこ道場」の選手(同クラブの代表は花城安明氏)。国士大時代にグレコローマン82kg級で活躍した屋比久さんは、現在プロレスラーの永田裕志選手らとも激戦を繰り広げ、全日本王者になって世界選手権へ出場したこともある強豪だ(右写真:1991年全日本選手権で永田選手と闘う屋比久さん=青)

 1992年のバルセロナ五輪出場を逃したあと、郷里の沖縄に帰り、高校の教員として高校レスリングの発展に尽力する一方、現在はキッズからの一貫強化にも取り組んでいる。2010年に沖縄でインターハイがあるのが、若い世代の強化に取り組むきっかけとなった。

 「キッズや中学のレスリングがこれだけ盛んになっている今、高校に入ってからレスリングに取り組んで、3年間で勝負するのは厳しい」。地元インターハイで惨敗という結果は避けたい。そこで4年前にキッズ・クラブを立ち上げ、昨年の全国少年少女選手権で優勝選手を輩出するまでに成長。今年、3年生2人、1年生6人を連れて全国中学生大会デビューとなった。

■中学レスリングの技術レベルに驚く

 「中学のレスリングがこれだけ盛んということは知りませんでした。70人を超える選手が出場する階級があるなんて、びっくりしました」。繰り広げられている技術レベルや1年生と3年生の体力の差なども驚きだった。「3年生の強豪は、今高校の中に入れても通用するのでは、と思える体力と技を持っています」。

 こうした現状を実際に見て、あらためて「高校に進んでからレスリングに取り組んでは、とても全国では勝てない」という気持ちを強くしたという。今の3年生が高校3年生になったときにインターハイが行われる。大きな壁を目の当たりにして、がぜん力が入っていきそうだ。

 今回参加した選手は、ご他聞にもれず中学にはレスリング部がなく、屋比久さんが監督を務める高校のレスリング部に加わって練習している選手ばかり。中学のクラブではないから、大会参加に際して経費は出ないが、幸いにもインターハイへ向けての一貫強化が県から認められており、今大会は半分近くを補助してもらうことができたという。

 それでも個人負担は約4万円で、関東の選手には考えられない負担となる。全国のどこの大会に出場する場合でも飛行機を使っての移動となる。「どうせなら全国の大会を経験させ、全国のレベルを経験させよう」と参加に踏み切った。結果は、85kg級の与那嶺竜太選手が2勝して準々決勝に進出したのが最高で、あとは軒並み初戦か2回戦で敗退だった
(左写真=全国中学生選手権に初参加した選手たち)

 しかし、今後の強化につながる収穫はしっかりと得て、沖縄へ戻ったことだろう。屋比久さんは「何よりも、親がそれだけのお金を出してくれたことに感謝し、頑張りにつなげてほしい」と言う。

■指導者には恵まれている沖縄県

 沖縄のレスリングというと、屋比久さんの後にも、2004年のアジア選手権グレコローマン66kg級で伊是名正旭選手が銅メダルを獲得するなど、国際舞台で活躍する選手も生まれているが、強豪県とまでは言われず、キッズ・レスリングがスタートしたのが遅かったこともあって発展途上というイメージが強い。

 現在、沖縄にキッズ・クラブは4チームあり、キッズ選手が約80人、中学生選手が約15人いる程度。中学選手の受け皿が少ないという全国にほぼ共通する悩みがある。しかし、1987年に沖縄国体があり、それを機に高校でレスリングに取り組み、大学へ行っても続け、現在は郷里に帰っている人が多いので、指導者になりうる人材にはけっこう恵まれている。

 キッズから中学、そして高校へと一貫強化で選手を育てれば、大きく伸ばすことができる土壌はある。それだけに、キッズで選手を集め、中学で途切れさせることなく育て、高校へとつなげるパイプづくりが望まれるところだ。

 もっとも、キッズ、中学、高校と指導する屋比久さんのレスリング一色の生活を聞いてみると、いかに大変かが感じられる。この大会の後はインターハイへ向けて高校選手の強化に全力を尽くすことで分かるように、3部門の大会が次々とやってきて息つくひまもない生活。

 インターハイのあとは、すぐに沖縄に戻ってくるのではなく、どこかの高校と合宿をこなし、沖縄以外の選手と練習する経験を積むのが普通なので、家を空ける日も多くなる。

■子供たちの頑張りが、自分の頑張りにつながる

 だが、そんな生活を語る屋比久さんの目は輝いている。長男の将平君(中学1年)もレスリングに取り組んでくれ、「お父さんのように強くなりたい、大学へ行ってレスリングがしたい、オリンピックへ出たい、って言ってくれましてね…」と、うれしそうに話す。陸上選手だった直美夫人も、2人の子供(他に妹が1人)がスポーツにかけてくれる生活に理解を示しているという。

 自分の子供のことだけではなく、レスリングに必死に取り組む選手の目を見ていると力が入る。「子供たちの頑張りを見ていると、自分も頑張らねば、という気持ちにさせられるんですよ」。選手の保護者からの期待と信頼も感じるそうで、果たせなかったオリンピック出場の夢を教え子に託したい気持ちに多くの要素が積み重なったものが、今の屋比久さんのエネルギーだ
(右写真=選手に指示を送る屋比久さん)

 「ちびっ子に強くなることだけを押し付けると、嫌になってしまいます。遊びの中で体力をつけさせ、レスリングが面白い、とさせなければなりません。中学くらいから本格的にレスリングを教えるのでいいんです」。全国少年少女選手権の優勝選手を輩出するまでに4年の歳月しかかからなかった指導力で、中学レスリング界でもしっかりと花を咲かせてほしい。

(文=樋口郁夫)


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