【特集】プレーオフでの勝利にガッツポーズ封印…フリースタイル60kg級・湯元健一【2007年6月11日】








 史上最大の“戦国階級”になったフリースタイル60kg級の今年の世界選手権代表を勝ち取ったのは、全日本選手権覇者の湯元健一(日体大助手)だった。しかし、その湯元も決勝戦で大沢茂樹(山梨学院大)に不覚を喫し、プレーオフで世界代表に返り咲くという内容。評判通りの激戦階級だった。

 決勝は、湯元が第1ピリオド残り20秒までに3−0とリードするが、大沢ががぶり返しを決めて同点。ビッグポイント制で、このピリオドを落とした。第2ピリオドも、終始攻めていながら決め手に欠け、場外際で回りこまれて失点。ストレートで代表を決めることはできなかった。
(右写真:決勝で大沢=青=に不覚を喫した湯元)

 昨年も世界選手権に王手をかけていながら、2回戦で敗れ、プレーオフでもトーナメントで優勝した高塚紀行(日大)に敗れた。本戦敗北に「去年の記憶がよぎった」と湯元。

 「去年は負けたことがショックすぎて、プレーオフまでの切り替えができなかった。でも、今年は切り替えができました。決勝も攻めていたので負けた気はしませんでしたし」。大沢に負けたとはいえ、試合の内容は悪くなかった。むしろ上出来だった。ナショナルチームの冬の遠征で腰を痛め、4月までマットに上がれず棄権の可能性もあったほど。5月からスパーリングをこなして、ぎりぎりで仕上げてきた。技を決め切れなかったのは、調整不足からくる“鈍り”だったのかもしれない。

 そんな湯元に力を与えたのは双子の弟・進一(自衛隊)の存在だった。「進一が決勝戦後からずっとそばにいてくれたんです。マッサージとかしてくれてたり。本当に切り替えられた」。1時間後のプレーオフでは別人の顔つきで登場。試合も得意のタックルからテークダウンを奪い、最後は自分から攻めてフォール
(左写真)。大沢に決勝戦の借りを返すとともに、自身2度目の世界への道を切り開いた。

 試合のブザーが鳴ると、日体大応援席は狂喜乱舞。だが、プレーオフなしで世界代表になるのが目標だった湯元はガッツポーズを封印。この悔しさを肥やしとして9月の世界選手権に乗り込む。昨年代表の高塚と違って、湯元の世界デビューは1回戦負けと悔しい過去だ。海外の成績では他選手に遅れを取っているが、「正攻法のレスリングで攻めまくりたい」と世界でも今のスタイルは貫くつもり。

 残念ながら弟の進一はフリースタイル55kg級の3位に終わり、双子そろっての世界選手権はならなかった。だが、「まだ双子で五輪をあきらめたわけではありません。まずは今年、僕が一足先に五輪代表を決めます」と五輪代表内定の条件となる世界選手権3位以内を声高らかに宣言した。

(文=増渕由気子、撮影=矢吹建夫)


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