【特集】過去の実績抜群の“伏兵”が番狂わせ…フリースタイル66kg級・鈴木崇之【2007年6月10日】








 フリースタイル66kg級の世界選手権代表は、昨年のドーハ・アジア大会銀メダリストの小島豪臣でもなく、アテネ五輪5位の池松和彦でもなく、20歳にして全日本2位に躍進した米満達弘でもなく、ノーシードの鈴木崇之(警視庁=右写真の青)が勝ち取るという番狂わせを演じた。

 “番狂わせ”という表現には語弊があるかもしれない。レスリング選手だった父の影響で幼少の頃からレスリングに取り組み、全国少年選手権6連覇を達成した選手。中学でも2〜3年時に全国大会2連覇を達成し、京都・立命館宇治高時代には高校三冠王に輝いた。

 2003年の全日本選手権では、大学2年生にして決勝まで進み、天皇皇后両陛下が観覧された天覧試合で世界3位に輝いた直後の池松と闘った選手。国内での実績では、前述の誰よりもすばらしいものを持っている。

 しかし、池松の参加しなかった04年のこの大会で優勝したあと、ひざの負傷に悩まされ、日本代表争いに加わるどころか、学生の大会でも優勝から見放されてしまった。結果が出ないことでスランプへ陥り、若手の躍進の影でいつしか忘れられた存在へ。全日本選手権でベスト8に入れなかったため、今回の大会は予選から勝ち上がって参加資格を得たほどだ。

 「この間、何をやっていたの?」というちょっと意地悪な質問に、「何を、と言われたって…」と答えにつまり、「両ひざのけががあって…。勝てない時期は辛かったです」と振り返った。しかし、はっきりと言った。「目標はオリンピックです。その気持ちはずっと持っていた。今回も絶対にプレーオフへ持ち込み、勝つつもりでした」。

 全日本王者の小島が2回戦で左肩を負傷し、以後の試合は満足に左腕が上がらない状態だったという運も引き寄せた
(左写真:小島と闘う鈴木=青)。初めて手にした世界選手権へのキップは、頑張り次第で北京オリンピックへのキップに変えることができるもの。9月にはそのキップを手に入れ、だれにも邪魔されずに北京五輪へコマを進めることができるか。

(文=樋口郁夫、撮影=矢吹建夫)


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