【特集】不死鳥、再び立つ! オリンピックを目標にマットに戻った坂本日登美(自衛隊)【2007年6月1日】







 「私は辞めない」−。女子51kg級現役世界女王の坂本日登美(自衛隊=右写真)が現役続行決意した。坂本は五輪実施階級である55kg級に階級を上げ、北京オリンピック出場を目指していたが、4月のジャパンビバレッジクイーンズカップでまさかの3位。しかもライバルの吉田沙保里(ALSOK綜合警備保障)と対戦することなく準決勝で敗れ、北京五輪のキップがかかる世界選手権代表の座を逃した。

 日本協会は、今年の世界選手権(9月・アゼルバイジャン)で金メダルを獲得すれば北京五輪代表の内定すると決めていた。国際大会無敗の吉田なら、今年の世界選手権優勝はかなりの確率。坂本が自力で北京五輪の道を切り開くには、クイーンズカップで優勝し、6月のプレーオフに日本代表決定持ち込むことが最低条件だった。

 「負けたら引退」という覚悟で臨んだクイーンズカップ。しかし、3位に終わった坂本が取った答えは、「現役続行」だった。坂本がマットを去らないわけとは――。

■敗因は吉田を意識して生まれた心のスキ

 世界を4度も制し、世界選手権で無敗の坂本の階級は51kg級。不運にも五輪の採用階級ではない。48kg級は妹・真喜子のいる階級であり、姉妹対決を避けるため、階級を上げて五輪を目指していた。昨年9月の世界選手権(中国)を「最後の51kg級での試合」とし、その後は55kg級に参戦。約1ヶ月半後に参加したNYACホリデー国際オープン・トーナメント(米国)でいきなり優勝し、幸先いいスタートを切った。それも、アテネ五輪前に吉田を最も苦しませた選手といっていいティナ・ジョージ(米国)に大差をつけて。

 「階級アップが思ったよりうまくいったんです。階級上げてすぐの国際大会で優勝。1月の天皇杯(全日本選手権)でも、沙保里と思ったよりできたんです」。坂本は階級を変更しても抜群なレスリングセンスで結果を出してきた。次は吉田に勝てる――。全日本選手権のあと、その気持ちは日に日に高まっていた。

 「でも、とんとん拍子にうまくいって、逆に心にスキができていたんですね」。クイーンズカップの準決勝で対戦したのは松川知華子(ジャパンビバレッジ)。「沙保里以外もみんな強い選手ですから、一戦、一戦を大事に戦おうとした」という意識はあっても、練習は主に吉田対策に費やした。気持ちのどこかで決勝戦しか見てない自分がいて、そこが落とし穴だった。

 坂本に改めて松川との試合を振り返ってもらおうとしたが、意外な答えが返ってきた。「覚えていないんです。頭が真っ白になってしまった。あんな経験は初めて」。第1ピリオド、まさかのテークダウンを取られて我を忘れた坂本は、平常心を取り戻すことなく第3ピリオドも落とし、決勝に進めなかった
(左写真:松川=赤=の猛攻に防戦一方となった坂本)

 「シニアになって決勝に進めなかったのは、初めてなんです。どんなに調子が悪くても決勝戦まではいけましたから」と、坂本のクイーンズカップは不完全燃焼で幕を閉じた。

■より完ぺきな51kg級の世界チャンピオンへ目指して

 しかし坂本はマットを去らなかった。吉田といえども、けがや思わぬハプニングで連勝記録が止まり、代表争いは今度の冬までもつれるかもしれないからか。だが、坂本はきっぱりと言った。「沙保里が世界選手権で金メダルを獲っても、私はレスリングを続けます。五輪が自分のすべてだと思っていました。けれど五輪の夢が消えたとしても、こんな終わり方じゃ終われない。あの試合を最後にマットを去ることはできない。最後は満足して周りに“お疲れさま”と言われたい」。

 また、こうも付け加えた。「もし51kg級が五輪の実施階級で、55kg級が不採用だったとします。そうしたら、沙保里は51kg級にエントリーするでしょう。その場合、自分は勝てるのかな? 階級を超えた根本的なレスリングの資質で、(吉田に)勝っているのか、と思ったんです」。世界を4度制したとはいえ、51kg級の選手としてまだ完全ではないという気持ちが、現役を続ける決心の原動力となった。

 昨年で最後と決めた51kg級に再び挑戦する理由も明確だ。「私は自衛隊体育学校に所属しており、世界の頂点に立つのが使命です。使命を果たすために、今年は51kg級に戻して世界女王を目指します」。ここまできたらプロ根性を見せつけるのみだ。

■アジア選手権で“ハプニング”発生

 4月下旬の全日本合宿には不参加だったが、アシスタントコーチとして参加した5月の全国少年・少女エリート合宿(参照記事→クリック)でマットに上がり、キッズ選手と無邪気にレスリングをしながら
(右写真)6月のプレーオフに向けて調整をスタートした。迷いなくスタートを切った坂本だったが、その直後、また心境の変化が訪れた。

 キルギス・ビシュケクで行われたアジア選手権で、48kg級にエントリーしたアテネ五輪銀メダリストの伊調千春選手(ALSOK綜合警備保障)が計量失格した。大陸選手権を盛り上げるために今年からアジア選手権に出場することが世界選手権出場の条件。計量失格してしまったことで、伊調千の世界選手権出場が微妙となってしまった。

 もし出場が不可能になったら、北京五輪の国内選考は1からやり直すことになるだろう。そう知った坂本の気持ちは揺れた。「練習を本格的に始めてみたら、やっぱり五輪という目標が一番モチベーションになるんですよね」。

 追い討ちをかけた出来事がある。自衛隊体育学校から初の北京五輪内定者が出たのだ。近代五種の選手だった。五輪の足音が近づくにつれ、このようなニュースは今後増えていくだろう。純粋にレスリングが好きという気持ちでカムバックした坂本だが、「五輪に出たい」という気持ちが再沸騰してしまった。

■心の支えはやっぱり五輪

 48kg級には妹の真喜子
(左写真=2005年ヤリギン国際大会で同時優勝した坂本姉妹)がいる。これまでは姉妹対決を避けるために48kg級はないものとし、51kg級か55kg級で闘ってきた。51kg級を“本職”とする坂本は、プラスマイナス3kgで両隣の階級に移動することがでる。実際に、伊調千は元51kg級の選手で、日登美のライバルだった。

 「根底にある『レスリングが好き』という気持ちでマットに立っています。でもやり始めたら、はやり五輪には出たいですよね。だから、妹がいるからとか言っていられなくなりました。やはり心の支えは五輪に出ることです」と、状況次第では48kg級参戦もにおわせた。

 今年の世界選手権代表は決まったが、北京五輪の代表が決まったわけではない。勝負は水もので、チャンスがどう転がってくるか分からない。クイーンズカップの敗戦から1ヶ月半。引退か現役続行かの結論は出た。あとは、55kg級か51kg級か、はたまた48kg級への参戦か…。今後の状況次第で坂本の気持ちは揺れ動くだろう。

 しかし、坂本はプロとして揺ぎない目標を作った。「今年の9月、もう一度51kg級で世界女王になる」。この軸がある限り、悩むのはいったんお休み。世界女王を目指すために、6月10日の世界選手権代表プレーオフで元気な姿を見せる。

(文=増渕由気子)


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