【特集】夢は双子そろっての五輪出場! 湯元健一(日体大助手)・進一(自衛隊)【2007年5月30日】







 この世に2人同時に生を受ける“双子”。世界のレスリング界では、ともに世界・五輪王者に輝いたアナトリー&セルゲイのベログラゾフ兄弟(ソ連)が有名だが、日本のレスリング界でも、今までに何組かの双子兄弟がそろって活躍してきた。1980年代初めの大町孝雄・忠雄兄弟(ともに国士大)、1990年前後の清水光二・一成兄弟(ともに日体大)など。近年では長島正彦(兄=青学大)・和幸(弟=早大〜現クリナップ、現フリースタイル74kg級全日本王者)、平沢光秀(兄=専大)・昌大(弟=早大)が記憶に新しい。長島兄弟は数々の学生タイトルを兄弟同時に獲得し、双子の学生記録ではダントツの成績を残した。

 学生タイトル獲得数では、長島兄弟に及ばないものの、“双子で五輪”という大きな夢に挑戦している兄弟がいる。それが湯元健一(兄=日体大〜日体大助手)・進一(弟=拓大〜自衛隊)だ。学生タイトルを同時に獲得することはなかったが、昨年の国体で史上初の双子同時制覇。今年3月にはそれぞれ大学を卒業し、健一は日体大助手、進一は自衛隊へ。ともに“レスリングが仕事”という道に進むことができた。双子同時に“レスリングのプロ”は、おそらく史上初めてだろう
(右写真=左が健一、右が進一)

 明治乳業杯全日本選抜選手権(6月9〜10日、東京・代々木第二体育館)を直前にし、初の双子同時優勝を目指す湯元兄弟にインタビューした。(聞き手・道場撮影=増渕由気子)


■史上初! 双子そろってのプロ選手

 ――レスリングでの就職おめでとうございます。就職して、新しい環境にだいぶ慣れてきたとおもいますが。

 
健一 お互い、いい職業に就けてすごくよかったと思っています。

 
進一 レスリングに専念できる環境を2人とも手に入れられたことがよかったです。自衛隊の練習にもだいぶ慣れてきました。(左写真=2006年全日本大学選手権で闘う進一)

 ――いつごろ進路は決まったんですか?

 
健一 自分は去年から日体大助手の話があったので、かなり前から決まっていました。あとは進一の進路が決まるのを待っていた状態でしたね。どうなるのかめちゃくちゃ心配していましたが、自衛隊に決まったと聞いて、ホッとしました。

 
進一 自衛隊に決まったのは10月の国体が終わった後ですね。大学4年生の時、あまり勝っていなかったので、進路決定が遅くなってしまいました。

 ――社会人になって変わったことはありますか?

 
健一 全日本選抜選手権に集中できる環境ができあがったので、五輪に向けて気持ちが高まります。

 
進一 自衛隊体育学校は五輪で金メダルを獲ることが絶対的な目標なので、「五輪に行かないと」という気持ちが出てきました。(右写真=健一が撮影した進一)

 ――プロ意識がお互い十分出てきたんですね。

 
健一進一 はい。

 ――双子で初めてプロ選手になったという意識はありましたか?

 
進一 全然なかったです。

 
健一 本当に、僕らの他にいなかったのかな(笑)。

■双子だからレスリングエリートになれた

――レスリング一本で社会人まで来れたのは、やっぱり双子だったから?

 
進一 それは間違いないです。

 
健一 僕らの場合は間違いなくそうですね。双子のおかげでここまで来れたのだと思う。双子じゃなかったら環境的に強くなっていないと思います。(左写真=2006年度全日本選手権で闘う健一)

 ――一緒に競技を始めたと思いますが、辞めたくなることはありましたか?

 
進一 あります。2人そろって辞めたかった時期もあります。大学に入学してからはさすがにありませんけど、小学校の時は、レスリングに嫌気がさしてたこともありました。

 ――そもそも小学校のときはどんな環境で練習していたんですか?

 
進一 小学校3年生から競技を始めて、週2回のレスリングクラブに通っていました。あとは家で毎日、親父(鉄矢氏)から特訓を受けていました。

 ――吉田沙保里選手の家にレスリングマットがあるのは有名ですが、湯元選手の家にもマットがあったんですか?

 
進一 ありました。親父が母校の紀北工業高校からマットをもらってきて、家の六畳間に手作りの練習場を作ったんです。レスリング教室は週に2回でしたが、家での練習は毎日ありました。

 ――家に手作りの道場ができた時はどんな気分だったのですか?

 
健一 正直、イヤでイヤで仕方がなかったです。当時はレスリングを自分でやろうとは思っていなかったから(右写真=進一の撮影した健一)

 ――小学校のとき、ほかにやりたいことは?

 
健一進一 野球をやりたかったです!

 
進一 野球部の入部届けを学校からもらってきたんですけど、結局、親父に見せたり、相談することはできませんでした。野球をやっている友達が周りに多くて、リトルリーグとかの練習とかよく見に行っていたし、やりたかったですね。

 ――双子で野球といえば、漫画の「タッチ」を連想してしまいますが、近所に「南ちゃん」のような存在は?

 
健一進一 いなかったです(笑)。

■鉄拳制裁はあたりまえ! 父・鉄矢氏のレスリング熱血教育

 ――小学校のときは、自発的に練習はしてなかったようですが、いつごろから、トップを目指す意識が出てきたのですか?

 
健一 本格的に考えたのは、中学校の時ですね。親父とずっと約束してきたことですから。双子じゃなかったら、親もそこまで強く言わなかっただろうし。

 ――レスリングの基礎はお父さんに教わったんですか?

 
進一 はい、基礎は親父と“3人4脚”です。親父はものすごく怖くて、殴る専用の棒とかあったんですよ! 角材にタオル巻いたくらいの棒が。

 
健一 それで殴られると、それがまた痛いんですよ。

 
進一 技ができないと「その手は違うやろー!」と鉄拳が飛んできます。人生で一番辛かったのは、小学校の時だと自信をもって言えます。往復びんたの嵐も経験スミです。

 
健一 今は、すごく優しいけどな(笑)。

 ――どちらかがいつも先に怒られてしまうのですか?

 
健一 どっちも不器用なんで、どっちもどっちでした。

 
進一 両方そろってできないと、怒られるので、互いに「そこ違うよ」とサポートはしますが、基本的に自分のことで精いっぱいでした。まずは自分が怒られないことで必死でしたから(笑)。

 ――かなりのスパルタ親父だったんですね。対してお母さん(サツエさん)は?

 
健一 すごく優しくて、おかんにだけは甘えられました。親父は本当に怖かったですけど、その分、おかんが優しくしてくれたから(乗り越えられたんです)。だけど、レスリングの練習中は、おかんも止めることができないくらい、厳しいものだったんです(左写真=1995年5月、押立杯関西少年選手権に息子の応援に来た時に撮影)

■別々の進路をとった大学時代

 ――高校までは同じ環境でしたが、大学では健一選手が日体大、進一選手が拓大と別々の進路を取りました。大学時代は別々でよかったと思っていますか?

 
健一 日体大での学生生活はとても満足していますが、進一と一緒の大学に行きたかったという思いと、半分半分です。

 
進一 僕も一緒の大学行っていたら、どうなっていたかなと想像することがあります。

 ――個人戦はさておき、大学対抗の団体戦になったときはどんな気分でしたか? 拓大と日体大はともに強豪校で優勝を争う大事な局面で何度も対戦していると思いますけど。

 
健一 それはもう、黙って見ているしかなかったです。心の中では進一が勝てと思っていました。

 
進一 もちろん自分の大学を応援していましたが、健一がマットに上がると、自然に力が入ってしまいしたね。

 ――日体大と拓大の名勝負といえば、2006年の全日本大学王座決定戦ですね。あのときは、日体大の健一選手が、拓大の藤本浩平選手に負けて、拓大に勝利を譲る形となりました。(参照記事⇒クリック

 
進一 (藤本)浩平が勝ったことは拓大にとっては大きい一勝で、その結果、拓大がその試合をものにすることができました。浩平がマットに上がる前、「双子なんて関係ないから、思い切って行け!」と励ましていたんですが、実際には、健一が浩平に負けた瞬間、がっかりした態度を取ってしまいました。しかも、その瞬間の写真を保護者の人が撮っていて、証拠として残っているんですよね(笑)。浩平からは「先輩、これなんですか!」と言い寄られるし、部員から大ひんしゅくを買ってしまったし大変でした。意識してないつもりでしたが、やっぱり健一のことは気にしていて、何かあったら態度に出てしまうんですね。

 ――健一選手は同じようなこと、ありませんでしたか?

 
健一 進一は僕の前で負けたことはないのでありませんでした。

 ――複雑なこともあったようですが、大学はばらばらでよかったのかな?

 
進一 高校までずっと一緒だったんで、離れてみて、大切さがわかりました。

 
健一 成長できたと思う。

 
進一 そら、ほんま思うな。

■絶対に同階級では闘わない

 ――階級について聞きたいのですが、同じ階級に出る可能性は?

 
健一 ないですね。中学3年生の時、全日本中学生選手権の53kg級に同時エントリーしましたけど、その時だけです。

 ――その時は「決勝戦で一緒に戦おう」というのが合言葉?

 
進一 そうだったんですが、結果は僕が3位で健一が2位でした。

 
健一 進一の敵討ちを決勝戦でしたかったのですが、粉砕してしまいました笑。体格は昔から少しだけ僕のほうが大きかったんです。だから基本的に同じ階級に出ることはなかったですね。小学校のときも、健一が26kg級で、進一が24kg級。

 
進一 自然に分けるようになりましたね。今では4、5kg違います。

 ――同じ階級にしてはいけないという考えがあるのですか?

 
健一 考えなくても、一緒になりません。

 
進一 五輪にそろって出るという夢があるので、できるだけしたくないです。

 ――もし、互いに80kgくらいの体格だったら、どうしましたか?

 
進一 それはそれで、どっちかが分けて階級をずらしたんだと思います。

 
健一 同じ階級では出られないです。

■日本の“ベログラゾフ兄弟”になれるか?

――もうすぐ明治乳業杯全日本選抜選手権です。今年の世界選手権で3位以内なれば五輪内定です。天皇杯全日本選手権で優勝した健一選手は王手がかかっていますね。
(右写真=そろっての世界選手権出場を目指す湯元兄弟)

 
健一 去年の悔しい思いがあるので、今年は絶対に負けたくないです。ライバルが、というより自分が進化するだけです。強くなれば絶対に負けない。少し前までけがでマットを離れましたが、マットを離れてもやることがいっぱいあって、いい練習を積むことができました。今ではもう問題なく練習できています。去年は学生の大会もあって連戦で疲れてしまったのですが、今年はバッチリ調整して、プレーオフなしの一発で勝負を決めます。

 
進一 僕は、とにかく勝ちに行かないと、勝負になりません。“あの選手”に勝たないと…。健一だけ五輪に行くのは一番悔しいことなので、全力でやって優勝したいです。

 ――“あの選手”である松永共広選手を天皇杯でもっとも苦しめたのは進一選手だったと思いますが…。

 《松永共広の全日本選手権成績》
1回戦  ○[2−0(3-0,TF7-0=0:54)]久古敏章(警視庁)
2回戦  ○[2−1(0-3,3-0,1-0)]湯元進一(拓大)
準決勝 ○[2−0(1-0,TF7-0=1:22)]齋藤将士(警視庁)
決  勝 ○[2−0(1-0,1-0=2:30)]田岡秀規(自衛隊)

 進一 それはよく言われて、自信になったけど、今のルールではワンチャンスではダメなんです。もうひとつ、1本とる力、取り切る力が必要ですね。

 ――その修正は自衛隊に入ってできましたか

 
進一 はい、環境がすごくいいし、コーチ陣の方も気にかけてくださるので、明治乳業杯では優勝してプレーオフも制したいです。

 ――健一選手がすでに3度も経験している優勝インタビューを受けてみたいですか。

 
進一 開口一番に「湯元は健一だけじゃない!」って叫びます。みんな、「健一、健一」って。「進一って誰?」状態ですよ。湯元は健一だけじゃないって一番言いたいことです。正直、成績だけだと負けているので、追いつき、追い抜きたいと思っています。健一のことはもちろん応援しています。健一が全日本を初制覇したときも、うれしさのあまり携帯電話で親父に「勝ったで!」と勝利報告をしましたし。でもその直後、「オレは何してるんだろう…。1回戦負けか」とブルーになりました。だからこそ、今回は一緒に優勝します。

 ――進一選手が熱くなっていますが、健一選手から何か一言ありますか?

 健一 (選抜で優勝して「湯元は健一だけじゃないって」)言って下さい(笑)。




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