【特集】宿敵を破っての「一生の思い出の優勝」…女子72kg級・浜口京子【2007年5月11日】







 最後の一瞬まで激闘だった。準決勝で最大のライバル、アテネ五輪金メダリストの王旭(中国)を破った女子72kg級の浜口京子(ジャパンビバレッジ)にとって、決勝のオルガ・ジャニベコバ(カザフスタン)戦は、王旭よりはくみしやすいと思われた相手だった。しかし、そうならないのが勝負の世界。ジャニベコバは「負けてもともと」という気持ちがありありと出ており、キックまがいの足払いを仕掛けるなどラフファイトもおりまぜての挑戦。浜口の手に金メダルを簡単にはつかませてくれなかった。

 浜口は、2005年、2006年の世界選手権ではともに準決勝までに最大のライバルを撃破し、優勝間違いなしという状況に持ち込みながら、最後の試合を落として金メダルを逃していた。第2ピリオドを取られた時、嫌な予感が脳裏をよぎった人は多かっただろう。

 だが、悔しい思いをし、それに耐えて世界一奪還を目指して努力してきた浜口の精神力は、焦ることもなければ、相手の挑発に乗ることもなかった。闘志の中にも冷静さを失わず、第3ピリオドは2−0の勝利。応援に駆けつけてくれた日本語学校の多くのキルギス人などの歓声にこたえ、表彰台ではこれ以上はないというさわやなか笑顔。昨シーズンは沈むことが多かった浜口の顔に、久しぶりに満面の笑みが浮かんだ
(左写真)

 「日本で待っている人たちのことが何度も思い浮かんだ。いい知らせを届けられる。遠くて交通の不便なところまで応援に来てくれた両親に、最高の気持ちで帰国してもらえる」。常に感謝の気持ちを忘れないところはいつもと同じ。「王を破っての金メダルは、一生忘れられない思い出になります」。もちろん自信もついたことだろう。世界選手権へ向けて、大きなステップとなる優勝だった。

 最初の勝負は準決勝だった。アテネ五輪と昨年12月のドーハ・アジア大会ででも不覚を喫した王旭。世界一へ返り咲くためには、絶対に破らねばならない相手であり、浜口が「3連敗はできない。この試合で自分の真価が問われる。絶対に勝たなければならない試合」と位置づけた重要な一戦だった。

 ドーハでの闘いは、お互いに攻撃できない展開で、コイントスからの勝利で第1ピリオドを取った王旭が、浜口の焦りを誘って勝利を引き寄せた。今度も王旭は仕掛けてこない。それどころか、張り手まがいの前さばきに、指を強くにぎって浜口の動きを制し、ヘッドバットの反則まで。試合後の浜口の額は、真っ赤なバッティングの跡が残っていた。

 しかし浜口もだまってはいない。指をつかむ攻撃に対しては、怒とうの大声をあげてアピール。この時は、王旭が一瞬びっくりして、その手を離したほど。額を襲った明らかに故意と思えるヘッドバットに対しては、マットにうずくまって反則をアピール。昨年の世界選手権決勝では、相手のヘッドバットを必死で耐えて何食わぬ顔をしてしまった経験から覚えた大きなアクションで相手をけん制する術(すべ)だろう。

 何よりも、焦りや、怒りで我を忘れるような様子がなかった。「ここまでやってきたことを信じてきました。自分で自分を信じないで、誰が信じるのかと思った。自分を信じて闘うだけでした」。そんな我慢のレスリングが、第3ピリオドのクリンチの勝負で爆発した
(右写真=必死の形相で王旭と闘う浜口)

 コイントスで負けた浜口は、ホイッスルの直後、一瞬しりもちをついたが、すぐに体勢を立て直し、取られている右脚を伸ばした。王旭のクラッチが次第にゆるんでいき、体も伸びてきた。応援席では、日本から駆けつけたアニマル浜口夫妻やチームメートの必死の応援。時計が15秒を示したころ、浜口が王旭の背中に回りこみレフェリーが1点を挙げた。

 ほぼ満員の観客が入っていた前日までの男子フリースタイルの試合に比べれば、観客の数はずっと少なかった。まして午前セッションの試合。コンサートホールにもなる片側が極端に広い観客席は、2割程度しか埋まっていなかった。それでも、浜口が王旭を破った時のボルテージは、前日までの熱狂に優るとも劣らない高さ。日本チームとアニマル浜口夫妻による大歓声、何よりも浜口自身がマット上で飛び跳ね、耐えていたエネルギーを爆発させ、地響きが起こるような熱狂が会場のスポーツパレスを襲った
(左写真=王旭に勝った浜口を迎えた父・アニマル浜口さん)

 「クリンチの防御は特に練習していませんでした。守れたのは、いつもの練習の成果だと思います」。クリンチの練習はしなくとも、繰り返したタックルの防御の練習が役に立ったのだろうか。昨夏からジャパンビバレッジの赤石光生コーチがつきっきりで指導している技術は、攻撃の技術だけではなかったのだ。

 「世界選手権の前に表彰台の一番高いところを経験しておきたかった」と話した父のアニマル浜口さんは、「去年の世界選手権で鼻骨を骨折し、練習も満足にできない状況からよくはい上がった」と、まな娘の不撓(とう)不屈の精神に感慨無量。「この優勝で弾みがついた。次は世界選手権。絶対に勝つ」と気合を入れ、世界一奪還を誓っていた。



《iモード=前ページへ戻る》

《前ページに戻る》